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ちらりとみえる蒼が目に毒だ。 僕を奴の懐へと堕とし 深く深く奥底まで誘い込む。 逃れる術など、僕は持ち合わせていないんだ。 Engraved in my body and mind. PR |
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LINK どれくらいの時が、過ぎて行ったのだろう。 私の属する世界に、主と共に帰って来たのは、最近の事のようでもあるし、 もう、はるか昔の事のようでもある。 主は悪魔に転生してからも、自堕落に過ごすのを嫌って、 人間の時と同じように、一日を24時間で過ごす。 目覚めから、就寝まで、私の懐中時計が無駄になることはなかった。 人間の食事は必要ではないのだけれど、習慣として、 また、味覚が残されているので、数少ない楽しみとして摂取するのだ。 だから、私の屋敷を再生する時、厨房を新たに加えなければならなかった。 そしてまた、定期的に人間の世界に赴いて、食材を調達することも必要になった。 その時には、気晴らしを兼ねて、主を連れて行く事にしている。 自分の存在を欠いてからの人間の世界を、主は、ただ静かな目で見ているだけ。 少しずつ、季節が移ろい、時が移ろい、何もかもが色を変えていく。 何一つ変わる事のない私たちを置いて。 かつて、あちら側の時間の中にいた主が、何を思っているのか、私は訊ねる事をしない。 それを聞き出したところで、どうする手立ても無いのだから。 私は、主の傍近くを離れず、寄り添うだけ。 主も、それ以上を望まない。 今はまだ、この距離を保っている。 あの時、決められてしまった未来を、私は、受け入れられるようになったばかり。 自分の立ち位置を、悪魔たる私が、まだ決めかねている。契約を交わした主従であっても、以前のそれとは、異なってしまった。 幾多の不安、数多の葛藤を超えて、ここに留まると決めた主。 殆ど永遠ともいえる悪魔の生を、死なずに生きる事にした。 悪魔の生を終わらせる気なら、水底に沈んだ悪魔の剣を探させれば済むのだ。 命令一つで、私は、その魔剣を彼の前に差し出すのだから。 けれど、主は、そうしない。 退屈を嫌う子供が、退屈の繰り返しに身を任せるという。 そんな生き方を彼にさせる為に、その魂を取り戻したのではない。 私の失態が、私の執着が、彼を悪魔に転生させるきっかけになってしまった。 深い後悔に苛まれ続ける私は、 離れて行く事など考えられないのに、その手を取れずにいる。 なのに、私の手の届く位置に居続けてくれる主が、嬉しかった。 いつか来るかもしれず、永久に来ないかもしれない、解氷の時を待つかのようだ。 何も言わずに、その後ろ姿だけで、私に許しを与えてくれる主。 言葉では私に与えられないものを、主は、そっと手渡してくれるのだった。 私は、その主に報いたくて、主の数少ない望みを叶えてやりたいと思う。 主好みの新作スイーツのレシピを入手してみたり、 主の気に入りそうな、他の色味を含まない白い薔薇の新種の苗を取り寄せてみたり、 “シエル・ファントムハイブ伯爵”に仕えていた時と変わらず、 私は、主が心地よくあるようにと心を砕く。 書店で本を物色する姿も、玩具店で新商品を試す姿も、 人間であった時と何も違いは無いけれど、時間の流れは彼に干渉しない。 時代が変わってさえ、同じままなのだ。 同じ年頃の男の子より、いや、女の子よりも華奢で小柄な姿は、成長することが無い。 丸みを残す輪郭、長い睫に縁どられた大きな瞳、透き通るように白い頬、 薄紅色の、ふっくらとして瑞々しい唇。 生意気で傲慢な物言いもあの頃のままに。 ある日、ふと気付いた。 毎日、その同じ行動を見ていただろうに、私は目に映すだけで見てはいなかったのだ。 主は、何かの拍子に左手の親指の付け根に右手で触れる。 今は失われた、青い宝石の嵌った指輪が、かつてあった場所。 主は、自分のその癖を、気付かずにいる。 転生して後のこの人を、私はきちんと見ていなかったと思い知らされた。 こんな癖を、あの頃の私なら決して見逃したりしないのに。 何という愚かな執事だろう。 苦笑する事さえ面はゆいくらいに、私は愚かだった。 あの出会いの日、私と主の歩く道はリンクした。 簡単には離れないリンクと知っていたが、それは、主の願いが叶うまでの時間、 私に取っては犬の欠伸程の間だと思っていた。 覚えている気も無く、数える事も無理な数の人間たちと契約を交わし、 願いを叶えれば、何を思う事も無く、当たり前に魂を喰らってきたというのに・・。 どの位の長さを生きて来たのかさえ定かでない私が、 これまでの生で覚えのないほどに執着したのが、主だった。 執着、固執、頑なに求めて已まないこれは、こころ?かんじょう?おもい? 何と呼ぶのかは知らないが、真っ直ぐに、激烈な何ものか。 主を傍に置いておきたい。 主の傍らに居続けていたい。 動かない人形のような主でさえ、そう思う。 しかし、私の本心からの望みは、生きて動く主との日々。 碧とアメジストの瞳に、私を映してほしい。 少年らしい高めの凛とした声に、彼の付けた私の名を呼ばれたい。 温かな主の体温に触れたい、触れられたい。 猫の目のように目まぐるしく変わる表情を見ていたい。 小さな背中を視界に収め続けていたい。 柔らかな頬の感触、抱き上げた主の軽さ、私の頸に回す腕の細さと力強さ。 そんな何もかもを、取りこぼす事無く全て、私のものにしておきたい。 そして、最も美味な状態となった主の魂を、私の内に取り込みたい。 私の最上の主との契約を、確かに成就させてやりたいのだ。 その為にこその、嘘まで吐いての毎日だったのに。 取り戻した主を人外のものにしてしまい、 つまりは、彼の望みを果たせなくさせてしまった事への後悔。 胸を掻き毟られる。 その余りの苦しさに、主を見失っていると気付かなかった。 いつから、指輪を無くしたままの指に触れる癖が付いていたのか。 そんな事にすら、意識が向かなかったとは。 主の指にあった指輪。 3年間、主の指にあったそれには、碧い色の透明な宝石が輝いていた。 外光に当ててから急に暗い所で見ると、暫くの間、赤く輝く。 その不吉にして妖しい美しさから、幾多の伝説を持つとも言われる。 発見当時の巨大さから、いつの間にか半分程に分割された石は、 一つは歴史の表舞台で、片割れの方は、闇の世界で受け継がれ続け、 主の家系では、主が最期の所有者であった。 紋章の刻まれた金の指輪と共に、主は、その指輪を外したのだ。 もう、永遠に戻る事の無いあの屋敷に、古い殻を脱ぐように、置き去りにした。 何もかもから解き放たれた証明のように。 いつもと何も変わりの無い日。 主は、薔薇園を散策していた。 他の色味を含まない白の薔薇と、こちらの世界にしか咲かない濁りの無い碧い薔薇。 主は、この碧い薔薇と白い薔薇のコントラストを気に入っているらしかった。 よく、薔薇園の東屋に来ては、本を読んだり、思索に耽っていたりしている。 咲き誇る薔薇の中、主は薔薇より美しい。 私とした事が、よくもまあ、こんな美しいものを見失っていられたものだ。 主が、こんな事で本質を変えてしまうような人ではないと、 充分に知っている筈だったのに。 何も付け加えられていない、何も喪失していない、 私が魅せられ求めた、あの日々のままの主が、ずっとここに居たのに。 最大の望みを叶えてやれなくなったなら、 もう一つの、意識に浮上するかどうかの塵ほどの小さな望みを成就させよう。 私の大事な主の為に。 ゆっくりとした歩調の主に追いついて、声を掛けた。 「坊ちゃん。」 振り向いた主は、満足そうな笑みを湛えている。 「やっと正気に戻ったのか?」 この人は、私が彼を呼ぶ声だけで、変化を読み取ってみせた。 心臓が、引き絞られる。 眉尻を下げて苦笑した私。 「そのようです、坊ちゃん。」 主は、フンと鼻で笑う。 「主を放っておいたまま、随分と長い不在だったな。」 からかう笑顔を浮かべるのも、久しぶりに見た気がした。 膝を折り、主の前に跪く。 心持ち顎先を上げるようにして私を見下ろす主の強い瞳は、碧。 口角を持ち上げて、ニヤリと笑っている。 「坊ちゃん、長い間お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。 やっと、本当にお傍に戻って参りました。」 頭を垂れ、胸に恭しく手を当てて、帰還の報告を奏上する。 「自分が躾けた犬には責任を持たないとな。」 ぶっきらぼうに言う主だが、機嫌の良さそうな事など、今の私には苦も無く分かる。 一歩、私に近付いた主が、私の頭をその胸に抱え込んだ。 言葉は無いが、それで過不足なく充分だった。 小さな主の狭い腕の中は、とてつもなく広い。 悪魔の私でさえも受け止めてしまえるのだから。 薔薇の芳醇な香りに辺りが満たされていても、主の香りに酔う。 ここに、主が確かにいる。 細い腕の、抱き締めてくる強さ。 私は、主の胸に頭を抱え込まれたまま、主の背に腕を回した。 許しを請う弱々しさだったかもしれないし、 長く離れていた時間を埋めようとする荒々しさだったかもしれない。 私の腕が主を抱き留めた時、主の声が、私の名を呼んだ。 「よく帰って来たな、セバスチャン。」 囁くような主の声が、甘い。 更に、これ以上に、私はこの人に魅せられて、どうすればいいのだろう。 離れられない、それ以上は、もう融け合うしかないではないか。 「坊ちゃん、ずっと、お傍におります。」 主の頬が、私の頭に重ねられる。 「嘘を吐くことは許さないと、あれだけ何度も言っておいたのに。 まったく、とんだ駄犬を拾ったものだ。 いいか、セバスチャン、2度目は無いからな。 ずっと、僕が生きてある限り、僕の傍を離れる事は許さない。どんな事があっても。」 主は、自分の言葉が、永遠の誓いともとれるものだと気が付いていないのか。 私をドキリとさせる事を、こんな風にするりと言ってのけたりして。 では、気付かせてみようか。 「坊ちゃん、私はずっと貴方のお傍におりますよ。 どんな時にも、どんな事があっても。 貴方が、健やかなる時も、病める時も、ずっとお傍に。」 声に笑いを含めずに言うのは、少々難しかった。 私は、主が、おかしな言い回しをするなと怒る声を待つ。 眉間に皺を寄せて、目を三角にする、ふくれ面の主を思い浮かべて。 胸に抱いていた私の頭を離した主は、けれど、不機嫌な顔ではなかった。 「可笑しなやつだな、何て顔をしているんだ。」 そう言う主の顔は、笑っていた。 切なくなるような、柔らかな微笑みを浮かべているのだ。 「・・坊ちゃん・・・。」 くすりと笑ったのは、私ではなく、坊ちゃんだった。 「こんな時に鳩が豆鉄砲をくらったような顔をするとは、デリカシーの無いヤツだ。 こういう時の作法も知らないのか?」 主は、真っ直ぐに私の瞳を見詰めてくる。 「誓いの言葉の後、どうするのかも教えなければならないようなダメ犬、 僕以外の誰が好き好んで拾うものか。」 胸に当てていた手を、主の、柔らかな曲線を描く頬に伸ばす。 いつも、私の予想を裏切って見せた主は、またしても、私の予想の外だった。 そうして、私の心を鷲掴みにする。 「貴方のような方の執事は、私以外に勤まりはしませんよ。」 跪いた体制から伸び上がるようにして、主の唇に近付いていく。 碧い左眼、転生してからは赤味を強くしてワインレッドに染まった契約の右眼。 美しく澄んだ、主の瞳から目を離さない。 近付くほどに、主の瞳は赤味を増して、今や、本性の赤く輝く悪魔の瞳になった。 あの碧い宝石のように、赤い燐光を放つ瞳。 私が、目を逸らしつづけてきたもの。 本来の道から、ある日突然に、考えてもみなかった道へと連れ去られて、 命を終える望みさえも絶たれてしまった主。 いっそ、あのままゆらゆらと眠りの揺り籠の中にいさせれば、 主は安寧だったろうかと煩悶する日々。 無理矢理に引き戻したばかりにと、どんなに悔やんでも悔やみきれずに、 自分の思索にばかり気を取られ、主がどう思っているのか、 どう感じ、どうする気でいるのかを、考慮に入れていなかったのだった。 いつまでも過去に拘っていたのは、私。 主は、悪魔としての命を生きる事を、とうに受け入れていたのだ。 永遠とさして違わない長さの生、 飽きるほどの時間を、ずっと、私の生とリンクし続ける覚悟をして。 彼は、与えられたのではなく、選び取ったのだ。 何処へでも連れて行けとの言葉は、そういう事だったのに。 人間でも、悪魔でも、行き着く先は同じ。 その行き着く先まで、ずっと、傍らにあり続けていくという覚悟。 それを理解できなかった愚かな執事は、心を不在にした。 こんな私の帰還を、どれ程長く待っていてくれただろう。 必ず戻って来ると、殆ど確信していたに違いないと思う。 そういう人なのだ、この人は。 妖しく輝く赤い瞳の主も、美しい。 唇が触れる寸前まで、私と主は見つめ合っていた。 柔らかい感触が、唇を満足させる。 触れて、離れて、また触れて。 次第に深まるキス、高まる熱、上がる息。 主に呼吸をさせる為に、少し唇を離す。 「・・はあっ・・・。誓いの・キス・・にしては・・・激しい・・な。」 荒い呼吸から紡がれる言葉は切れ切れで、艶めかしい。 見詰めてくる潤む瞳は、私を誘う。 このまま、ここで?それとも、屋敷に戻ってから? 私は不埒な考えを巡らせる。 「坊ちゃん・・。」 引き寄せられるように再度唇への接触を求めようとすれば、 主の指先が私の唇に留まる。 「儀式は、あくまでも儀式だ。けじめはつけなければな。」 悪戯な顔は、口角を上げて笑っている。 「イエス、マイ・ロード。」 胸に手を当て頭を垂れた私だが、立ち上がりざま主の体を掬い上げた。 「うわっ!」 私が主を落としたりするはずもないのだが、主は、急な体勢の変化に驚いて、 私の頸にしがみ付きながら声を上げる。 零れんばかりに見開いた目の子供っぽさが、私を笑顔にしてしまう。 「くすっ。そんなに驚かなくても、私が坊ちゃんを抱き上げるのは、 今に始まった事ではないでしょう?」 人間であった頃の主を、数えきれないくらいに抱き上げた。 囚われるのが得意な主を助け出す為、運動が嫌いで持久力のない主と共に逃走する為、 執務室や図書室で居眠りをしてしまった主を寝室へと運ぶ為。 「忘れた、そんな昔の事。」 私の胸に顔を隠す主のその言葉は、私が、この人を一人にしていた時間の長さを物語る。 傍近くにありながら、心を寄せていなかった時間。 いや、心を寄せていなかったのではなかったが、 少し遠くから見ていたのだ。 その手に触れる事も出来ないと、勝手に遠ざかっていた私。 「もう、2度と忘れさせません、坊ちゃん。」 ミッドナイトブルーの髪に口付ける。 主は、私の懐に潜り込もうとするかのように、私の肩に額を強く押し当てた。 私の美しい宝石は、その色を変えたわけではなかった。 見え方が変わっただけ。 赤い燐光は、この世界での見え方。 それだけの事だ。 あの日、二度と戻れない一歩を踏み出した私たち。 主と、私。 与えられた一歩には、大きな抵抗を感じる事を禁じ得なかったが、 今から始まる一歩は、二人で選び取った一歩。 迷わず、戸惑わず、決して引く事無く、ただ、二人して前に進んで行くだけ。 融けそうな程に寄り添って。 永遠と殆ど同義の、長い悪魔の生を。 私たちは、互いの伴侶として生きていくのだった。 End 注釈・・ファントムハイブ家に伝わるとされるブルーダイヤ、“ホープ・ダイヤモンド”は、 紫外線を当てると、1分以上も赤い燐光を放つのだそうです。この理由は、未だ に解明されてはいないそうです。ちなみに、青い色をしているのは、ダイヤが結晶する 地底深くでは、非常に稀なことながら、不純物としてホウ酸を含むからだと書いてありました。 さすが、伝説になる宝石だけの事はありますね。謎が多い。 |
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「おはようございます、坊ちゃん。気分はいかがです?身体は大丈夫ですか?」 滅茶苦茶、癇に障る爽やかですっきりしたような笑顔でセバスチャンは僕の横になっていた。 昨夜と違って辛うじてシャツは羽織っているが、胸元は大きく開きよく見ればシャツも皺だらけでどんなに勘の鈍い人間でもセバスチャンが夜が明けるまで何をしていたか明白だ。 「痛い、怠い、起きたくない…」 「今日の予定は全てキャンセル致しましょう。今日はゆっくりお休みになってはどうでしょうか?」 「おい…どう説明するつもりだ」 「まさか、坊ちゃんが私とベッドの中で一夜を共にしたなんて本当の事言えるわけないでしょう?無難なところで風邪ということにしておきますから」 お体が冷えてしまいますよというと僕の腕を引っ張って身体を抱き寄せた。そう思うなら何か服を着させろと言おうか迷ったが思ったよりセバスチャンの腕の中が居心地良かったので黙ることにした。 「…僕は初めてだったんだぞ。なのに5回もやるなんて…」 「正確に言えば9回です」 「きゅうかっ…」 絶句する僕に更にセバスチャンは続ける。 「坊ちゃん、最後ほとんど意識がありませんでしたからね。私も止められませんでしたし…ちなみに言わせて頂ければ、9回とは私がイッた回数で坊ちゃんはもっと多いですけど…」 「なっ…なっ…」 あまりの赤裸々な内容に二の句が継げない僕に構わず更にとんでもないことを続ける。 「まさか、初めてでドライをされるとは思いませんでした。…坊ちゃんは才能がありますね」 「何の才能だ!もういい!」 正直そんな才能があると言われても嬉しくない。 「坊ちゃん、怒りましたか?」 「当たり前だ!しかも意識のないときになんて…」 「だって坊ちゃん私を置き去りにして何度も失神してしまいますし、私だって辛かったんですよ?ですが貴方のあどけない寝顔を見ていると私も我慢できなくてですね…」 「まさか…おまっ!意識のない僕を……」 「ええ、意識はありませんでしたが身体は反応していましたよ。坊ちゃんの中は大層熱く私に絡みついてきてとっても気持ち良かったです。正直抜きたくありませんでした」 「この厚顔無恥男!もういい!昨日の話は!」 同じことを二度叫ぶ。顔はきっと真っ赤になっていることだろう。セバスチャンはにやにやとこっちを見ている。なるほど、フランシス叔母さんの言うとおりのいやらしい顔だ。 「あんなの僕じゃない…」 昨日の淫らな自分を思い出す。甘い嬌声を上げ続けてはしたないほど足を開いて何度も何度も気持ちいいとかもっと奥までとか恥ずかしいことをたくさん強請った記憶がある。セバスチャンの腰に足を絡めて、時には犬のように高く腰を上げてまぐわった。セバスチャンの精液を奥に注がれて何度も失神しそうになった。あんな娼婦のような淫乱な一面が自分にあったなんて思いたくなかった。 「ええ、分かっていますよ」 ポンポンと宥めるように頭を叩かれて、荒んだ気持ちが晴れていくのを感じた。 「あれほど貴方が乱れたのは昨日だけの特別ですよ」 「どういう意味だ?」 「あの指輪は本来持っている相手への欲望を顕著にするのです。特に肉欲の方をね。つまり貴方への私の肉欲を。そして指輪を嵌められた方はその相手に同調してその肉体に恋焦がれて欲情するのですよ。ですからあれほど貴方が淫らだったのは私の欲望に引きずられて…ということですね」 「つまりお前の求めに反応してあんなに乱れていたという事か」 「まあ、そうです。…坊ちゃんがもう少し成長されていれば私ももう少し長く楽しめたのですが…」 「………」 何を楽しめたというんだ、何を。 そう聞き返したかったが藪蛇になりそうだったので沈黙することにした。 「それでは、坊ちゃん。話が変わりますが…」 「ん?」 今までのいやらしい笑みは消え去り、急に真面目な顔になった。それにつられて僕も今までの膨れっ面をやめて真剣に相手に向かい合う。 「坊ちゃん、例の『お遣い』の件ですが…」 僕がこいつの部屋に忍び込んで指輪を物色していた時、こいつは僕の裏のお仕事の為にお遣いに出ていたのだが、どうやらその話らしい。 「ああ」 「失敗してしまいました」 「……っは!?」 ファントムハイヴ家にあるまじき失態との謝罪文句も今は遠くに聞こえる。 こいつが失敗するなんて想定外だった僕は当然理由を問いただす。 「何故、失敗した!?」 「坊ちゃんの所為ですかね」 「はっ!?」 僕の所為だと!? 「どういうことだ」 「あと一歩のところまで敵を追いつめましたが、貴方があの指輪を嵌めて倒れたのを感じとりまして…」 「………」 「止めは刺さずに慌てて貴方の元へ戻ったのですよ」 一刻の猶予も争う状態でしたので。 「………」 それを言われてしまえば僕に反論の余地がない。黙り込んでしまった僕に溜息を吐いたセバスチャン。それは呆れか嫌味か。 「大丈夫ですよ、坊ちゃん。今日にでも片づけてきますから」 どうやら呆れでも嫌味でもなく困ったときの溜息だったらしい。僕の顎を掴むと昨日の荒々しい官能的なキスではなくそっと羽に触れるようなキスをされた。 「…行ってきますね?今度はいい子にしていてくださいよ」 最後の嫌味のようだが。多分、放っておいたら僕がベッドを抜け出して仕事に向かうとでも思っているんだろう。普段だったらそうするが今回は、本当に足腰立たない為、残念ながら――こいつにとっては幸いに――それはないだろう。 「分かった。とっとと行ってこい」 ひらひらと手を上下に振ってさっさと行ってこいと示す。 その手を取ってキスをするとゆっくりと僕を開放してベッドから抜け出していく。何でやること言うことがいちいち気障なんだ、この男は。シエルはキスされた手を握りしめて耳まで真っ赤にする。―――――僕以外にこんなことしてるんじゃないだろうな? つい旦那の浮気を疑う妻のような心境に陥ってしまう。実際、僕はこの指輪のせいでこいつと結婚してしまったことになっているようだが……。 僕に背を向けて着替えるセバスチャンの背中にはたくさんの生々しいひっかき傷がある。昨日無我夢中で縋り付いた時、僕がひっかいたのだろう。その背中を直視できなくて顔をそむける。 あんなにたくさん傷をつけたとは思っていなかったのだ。 「セバスチャン…その…」 「何でしょうか?」 「…背中…大丈夫か?」 「…心配してくれているのですか?」 何処となく嬉しそうに聞こえるセバスチャンの声に僕まで嬉しくなりそうで照れてしまう。 「それは…まあ…僕の所為だし…」 「ご心配なく。それに言いましたよね?いくらでも爪を立てて構いませんよと」 『辛いですか?背中に爪を立てて構いませんよ』 『もっとつよく縋り付いて私を離さないで…』 確かにそんなこと言われた気がする。あの時は色々必死だったので記憶に些か自信がないが。 「それに男にとっては背中の爪痕は勲章みたいなものですから」 「そんなもんか…?」 「ええ、ですからお気になさらずに…次もたくさんつけていいですから」 セバスチャンは身支度を終えて立ち上がる。次ってなんだ。次って。またアレをやるのか。恥ずかしかったし、痛かったし、まあそれだけではなかったけれども…しばらくはやらなくてもいいと思っていたが、どうやらセバスチャンはそう思っていなかったようだ。 「ところで坊ちゃん」 「ん?」 「行ってらっしゃいのキスはしてくれないのでしょうか?」 「なっ!?」 本当に今日のこいつはどうしたんだ!?そう思わざるを得ない。いつもストイックでそんなもの興味ありませんみたいな態度しておいてとんだ詐欺師だ。 「ば、馬鹿言ってないでとっとと行ってこい!」 「………」 『行ってらっしゃいのキス』を僕が拒否した途端、拗ねた顔したこいつに恥ずかしいやら、嬉しいやら呆れるやらしていると、いつまでたっても動こうとしない僕にますます臍を曲げた顔をしている。 「ちょっとこっち来い…」 起き上がり額を抑えて空いている方の手で手招きする。セバスチャンは無言でこちらまで歩み寄る。 セバスチャンの襟刳りを掴みぐいっと顔を引き寄せた。 「―――行ってこい」 セバスチャンの唇に己のそれを重ねて瞬時に離れる。恥ずかしい。二度とこんなことやらないからな。照れてそっぽを向く僕の頬に手を添えたセバスチャンはそのままもう一度自分の顔へと引き寄せてキスをした。昨日のように舌を入れた荒々しいものではなかったけれど重ねては離してまた重ねての繰り返し、触れ合うだけのキスだった。正直、こうやって理性のあるうちにこんなキスを繰り返しているなんて羞恥心で頭が沸騰しそうだ。 「…坊ちゃんの唇は柔らかくて気持ちいいですね」 「なっ!?」 離れるのが名残惜しいです。そんな僕の羞恥心を最大限煽るような言い方をして離れざまもう一度軽く重ね合わせて身体を起こす。ひとこと文句でも言ってやろうと口を開こうとするが、セバスチャンの人差し指に阻まれて何も言えなくなってしまう。 「それでは行ってまいります」 そう言ってベッドから離れていくセバスチャンに言いようのない寂しさを感じている時点で僕は最早、末期だ。 「今夜は僕の部屋まで来い」 この台詞に特に他意はなく、ただセバスチャンにお遣いの報告をしに来いと言ったつもりであったが、セバスチャンはそう受け取らずとんでもないことを言いだした。 「それは夜這いに来いとのお誘いですか?」 「なっ…なんて突拍子もない事言い出すんだ!お前は!」 「おや、違うのですか?」 「ち、違う!」 精一杯否定する。ぶんぶんと勢いよく首を左右に振っていたがセバスチャンはそれを綺麗さっぱり無視した。 「そうですか…。でも私は今夜はそのつもりで来ますので」 私との夜の為にしっかり休んで体調を戻してくださいね。 暗に今日もセックスしましょうと言われているのだ。恥ずかしくて顔から火で出そうになる。 「そ、そんなつもりで来るなら、もういい!今日は来るな!」 「駄目です」 「何で!?」 こいつ執事の癖に主人である僕に刃向うつもりか!お前が普段から言っている悪魔の美学はどうしたと金切声を上げたい気持ちに駆られる。僕が不満げに奴を睨んでいるとセバスチャンがにっこりと笑った。 「坊ちゃん。余談ですがどうして結婚指輪を薬指にしているか知っていますか?」 「?……そんなことと今の話に何の関係がある」 「―――起源は古代ローマからきているのですが、ローマ人の解剖学では左手の薬指の血管が心臓に直結していると考えられていました。心臓の中に感情の中心があるとされ、これが愛に結びつくことから左手薬指に嵌める習慣が生まれました。しかし、その根底には指輪の装着によって男性が女性を支配しようと考えていたのです。心臓に直結している左手薬指に指輪を嵌める、つまり心臓を封印して女性の意志を封印してしまうという意味合いもあったのです。まあ、合理的な根拠もありますがね…右利きの人間が多いため、利き腕の右手に指輪を嵌めていると邪魔になったり、指輪自体にも損傷を与えてしまうということがあるから左手に嵌めるという考えもありますが」 なるほど…そんな考え方があったのか…。 「それとこれと何の関係が?」 僕の部屋に来るなという命令と結婚指輪を左手の薬指に嵌める理由と何の意味がある。 僕の疑問は不自然なものでないはずなのにセバスチャンは坊ちゃんは案外に鈍いですねと馬鹿にしたような口調で喋った。誰が鈍いって?馬鹿にするな。子供扱いしやがって…お前は昨日その子供に何をした。 「意味が分かりませんか」 「分からん」 素直に答えた。 「私たちは『執事と主人』、『悪魔と獲物』という関係でしたが、今日から新たに『夫と妻』つまり夫婦としての関係も加わります」 「!?そ、それは…」 「おや、認めたくないですか?ですが昨日も言いましたよね?この契約は破棄できないと、つまり離縁することはできないんですよ。私は永遠に貴方の夫ですし、貴方は永遠に私の妻です。これからも貴方に仕える執事として貴方の主人としての命令には忠実に従いましょう。 ただし、貴方の妻としての命令には従いません。貴方の心臓は私が昨夜封印してしまいましたからね。貴方の意志は聞きません。―――――特にベッドの中のことではね。私は貴方の夫としての当然の権利を果たそうとしているだけですよ」 「ふざけ…」 「ふざけていません。ですから今日も貴方とベッドを共にするつもりなので」 よろしくお願いしますね、坊ちゃんと笑うセバスチャンに愕然とする。 「あ、あんな恥ずかしいこと何度も出来るか!お前はもう僕のベッドに入ってくるな!」 「おや、新婚早々別所宣言ですか?そんなの聞けませんね」 飄々としたセバスチャンの何処吹く風といわんばかりの態度に僕はこれからのことを考えると羞恥心でわなわなと震える。 「な、何が新婚だ!寝言は寝て言え」 「おや、昨日だって散々言ったでしょう?まあ、寝言というより睦言ですけどね」 しれっというセバスチャンにシエルは顔を真っ赤にする。 「もう忘れましたか?なら今から昨日のことを再現しましょうか?」 「やらんでいい!第一何度も何度もあんなことするなんて僕には無理だ!」 「坊ちゃん、体力ありませんものね。大丈夫です。数をこなせば簡単に気持ち良すぎて失神するなんてことありませんから」 「なっん、て厚顔無恥な男なんだ!お前は!」 「それは坊ちゃんの方では?昨日だって『セバスチャン、気持ちいい…もっと奥まで』『セバスチャンの熱で僕を溶かして…』『ずっとこのまま繋がっていたいとか』他にも…」 「うわああああああああああ!な、何を言い出すんだ、お前は!!」 「もっと際どいこともたくさん言っていましたが?『セバスチャン、もう我慢できない…僕の中にセバスチャンの…「もういい!やめろおおおお!」 絶叫しぜえぜえと酸素不足で喘ぐ僕をいやらしい笑みで見ているセバスチャンを殴り倒したい。 「初夜の貴方は大変可愛らしくて情熱的でしたのに起きた途端これですか…」 「悪かったな!普段は全然可愛げがなくて!」 「そんなことありませんよ。私の言葉に今真っ赤な熟れたリンゴのように頬を膨らませている貴方は大変可愛らしいです。このまま食べてしまいたいです」 「食べっ…」 「また今日も気持ちいい事いっぱいしましょうね?夫として貴方に閨の手ほどきをしてあげますから」 「なっ…そんなのいらな…」 「お言葉ですが坊ちゃん。夫婦の営みとは大事なことですよ。ベッドでのコミュニケーションは坊ちゃんが特に素直になりますからね。そんな貴方を見てしまうと私もついつい熱が入ってしまって…」 「……悪魔というものは皆絶倫なのか…?」 「いえ、坊ちゃんが特に可愛らしいからいけないんですよ」 「…お前…本当に恥ずかしいことしか言わないんだな!」 「それこそ坊ちゃんのお好きな事実ですよ。可愛らしい私の奥さん」 犬も食わない痴話喧嘩とはこのことを言うんだろうなとセバスチャンは思った。目の前には羞恥心から頬を薔薇色に染めて、潤んだ瞳でベッドの中に全裸でいる自分の妻を見る。 身体にはあちこち情交の跡が残っていて自分の独占欲にセバスチャンは苦笑してしまう。 これ以上シエルを見ていると昨日の続きをしたくなってしまいそうで、話を切り上げて扉へと向かう。 「では行ってきますね」 「ん」 ノブに手を掛けて振り返るとベッドの中のシエルはこちらに背を向けた状態で寝ていた。 薄い肩が布団から覗いていて、シエルにはもう少し食べさせないと、と考えてしまう。もう少し肉付きが良ければ抱き心地もいいですしとシエルが訊いていたら憤怒するだろう。 そんなことを悶々と考えているとセバスチャンと蚊の鳴くような音で呼ばれる。振り返ってもシエルはこちらに背を向けたままだ。しばらく待ってみても何も言わなかったので、寝言かと思いそのまま部屋を出ようと、ノブを回してドアを開ける。蝶番がなる音がすると今度はセバスチャンとしっかりした声で呼ばれた。 「坊ちゃん?」 「……」 「……」 「…き、るな…」 「え?今なんて言いました?」 シエルは肩にかかっている布団を被りなおして縮こまる。埒が明かないとシエルに近づこうと一歩踏み出すと、布団を跳ね除けてがばりと勢いよく起き上がった。 「坊ちゃ…」 「浮気…したら許さないからな!」 「!」 それだけ言うともう一度勢いよく布団の中へとんぼ返りした。布団を今度は頭から被って貝のように閉じこもっている。よほど先ほどの台詞が恥ずかしかったんだなとセバスチャンは苦笑する。 「しませんよ。坊ちゃんこそもう人妻なんですから、私の居ない時に私以外の男を連れ込まないでくださいね?」 「だ、誰がそんなことするか!」 「愛し合ったばかりの新妻を置いていくのは些か不安ですがいい子にしていてくださいね?ちゃんといい子にしていたらご褒美をあげますから」 「……ご褒美…?」 「とっても甘いスイーツですよ」 夜にベッドで食べるやつですけどね。 そんなシエルにとっては不吉なことを考えて部屋を出て行く。この場合食べる側はセバスチャンになるのかもしれないが。 バタンとドアを閉めて少しの間扉に寄り掛かる。本当は離れたくない。ずっとシエルの傍らで愛を信じない子供に愛を囁きたい。甘い砂糖漬けのような愛をその心に身体に教えていきたい。 昨夜のシエルの痴態を思い出すだけでどくりと下半身に血が集まる。これいじょうはまずいと脳裏に思い浮かぶ甘いシエルとのひと時を振り払う。焦らなくてもいい。どうせ今日も愛を交わすつもりなんだから。 長い廊下を歩いていく。人間の言う幸せとはこんなことを言うんだろうなとセバスチャンは実感する。まさか長い悪魔人生で妻を娶るとは思わなかった。 これからが楽しみで仕方ない。シエルに自分好みのセックスを教えてどっぷり自分の欲望に浸らせるのだ。自分以外に決して目がいかないように。 「楽しみですね、坊ちゃん」 今はいないシエルに問いかける。悪魔に見初められたシエルには可哀そうだが、自分は逃がす気なんて毛頭ない。例え、シエル自身の願いでもそれだけは聞けない。もし自分から逃げようとするのなら手足の骨を砕いて、鎖に繋いでやる。そんな物騒なことまで考えてしまう。 本当に愛しているのだ。あの小さな子供を。 「とりあえずは」 セバスチャンは歩みを止めて、顎に手をかけて腕を組む。 「子供は最低でも3人ですかね」 もしここにシエルがいてセバスチャンの明るい家族計画を聞いていたらこう叫ぶだろう。 「僕が産めるわけないだろう!ド阿呆!」 |
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どうやらセバスチャンの言った通りある程度の解呪が進んだおかげで、とりあえずセバスチャンが僕の左手を握っていなければ僕が窒息死するという状態からは脱することが出来た。
しかし、やはりセバスチャンから離れすぎると僕は五感を失い、倒れてしまうようだった。 同じ部屋にいなければ駄目だし、同じ部屋や空間にいてもお互い手が届かない場所までいないとやはり倒れてしまうようだった。 この件は全面的に僕が悪いはずなので、何せ、勝手に他人の部屋に入って物色し、あまつさえ他人の持ち物を好き勝手したのに、あいつはひとつも苦言を呈さなかったし、嫌味すら言わなかった。 それどころか真摯に謝罪した。怒っていいやつが怒らずに謝るなど、しかも相手はあのセバスチャンだ。何かおかしい。そして何よりこの指輪は呪われているらしい。そんな物騒なものを誰に贈るつもりだったというのか。 「お前、この指輪を誰に贈りたかったんだ?」 夜半、寝つけずにもぞもぞしていると眠れませんかとベッドの隣で椅子に腰かけているセバスチャンが問いかける。ちなみに手は繋がれたままだ。 「この指輪は呪われているのだろう?」 「ええ」 「そんな物、誰に贈るつもりだったと訊いているんだ」 「誰だと思います?」 「質問を質問で返すな」 「当ててみてください」 「………グレル・サトクリフ?」 「―――冗談でもよしてください。死んだってあの方には贈りません」 セバスチャンは苦虫を噛み潰したような顔をした。そう思われるのは心底不快で堪らないと言いたげにしている。僕にそう思われたのは本気で嫌だったらしい。例え、自身が不快に思っていてもそれを表に出さず徹頭徹尾、執事の仮面を完璧に被るこいつがここまで態度に出すのだから相当だ。 「お前が呪いたい相手なんてそれくらいしか思いつかなかった」 「残念でした」 「後、お前が呪いたい相手なんて…」 「呪いと一口に言っても、色んな形があるのですよ」 「?今、何か言ったか?」 「いえ、何も」 「ふん…」 どうやらこいつは絶対自分からは答えを言うつもりはないようだ。つまり指輪を渡したい相手を僕が当てない限り、僕は一生この疑問に対する答えを得られないようだ。 「ヒントくらいは言いだろう?」 手がかりもなしに推測しようとするのは、砂漠の中、一粒の小さなダイヤを探すことに等しい。 ほぼ不可能に近い。拒否されるかと思ったが、セバスチャンは特に嫌な素振りも見せずに了承した。 「その相手は生きているのか?」 「…ええ、まだ生きていますよ」 「人間か?」 「はい」 「歳は?」 「私よりは年下ですね」 「…お前より年上の人間なんているのか?」 「いえ、いませんね」 僕はこいつの実際の年齢など知らないが、少なくとも人間よりは遥かに長生きしているようである。 「質問を変えよう。僕の年齢と比べて近いか」 「そうですね。近いです」 「僕の知っている人間か」 「よくご存知ですよ」 「…その相手は僕の身近にいるのか?」 「はい、とても」 「――――まさか…そんな…」 「……坊ちゃん?」 ひとつの答えに辿り着く。だが、この答えは――――――。 「――――坊ちゃん?」 「まさか……リジー…?」 半信半疑に最後の部分は囁くように答える。脳裏に天真爛漫な可愛らしい従姉妹の姿が思い浮かばれる。まさか、そんな…リジーにピンクの帽子を被せられたことや、ファントムハイヴの屋敷をメルヘンに飾り立てられたことが相手を呪いたくなるほどそんなに腹立たしい事だったというのか。 「……貴方の予想は斜め上に行きすぎです」 どうやらセバスチャンの様子から言っても僕の答えは外れらしい。セバスチャンが疲れたように溜息を吐く。 「じゃあ、一体誰だというんだ。僕に歳が近くて僕がよく知っていて、僕の身近な人間なんてリジーを除いたら僕自身しかいないじゃないか!」 「――――よく分かっているじゃないですか、坊ちゃん」 「―――――――――え…?」 やんわりと握られていた左手を今度は強く握られた。驚いて手を引こうとしたがそれ以上の力で引き留められた。逃がさない。そうその手が訴えているような気がした。 「…僕に…贈るつもりだったのか…?」 何故?どうして?こんな呪われた指輪を、下手したら死んでいたかもしれないのに、そんな危険な物を何故僕に贈ろうとしたんだ…?そんな疑問ばかりがぐるぐると頭を駆け巡る。好かれてはいないと思っていた。だが、嫌われているわけでもないと思っていた。どうやらその認識は改めなければならないらしい。 「坊ちゃん…」 「…何だ…」 「この指輪のもうひとつの解呪方法…知りたくありません?」 意気消沈していた僕に思いがけない質問が投げかけられる。もうひとつの解呪方法だって? そんなの寝耳に水だ。 「そんなのあるのか?」 「はい。言うなれば私が今行っている解呪法は裏技みたいなもので正規の解呪方法がちゃんとあるんですよ。しかもそちらの方が早く、安全に尚且つ一発で解呪できるようになっているのです」 「何故、今まで教えなかった」 「この解呪法を伝える決心がなかなかつかなかったので」 「じゃあ、今は決心したというのか」 「はい」 「……その事と僕に指輪を贈りたかったことが関係あるのか」 今までセバスチャンの指輪を贈る相手について話していたのに、それとは打って変わって唐突にもうひとつの解呪法の話になった。この二つの話が繋がっているようには見えなかった。 「関係ありますよ。…これからこの指輪についてお話します。坊っちゃんは黙って聞いていてください」 「お前、何様で…いいだろう、話せ」 「はい。少し長くなりますが、途中で眠ったりしないでくださいね」 「馬鹿にするな、とっとと話せ」 「はいはい」 「まず、最初にこの指輪は正式には『誓約の指輪』と言います」 「『誓約の指輪』?僕は一体何を誓ったというんだ」 「それもこれからご説明します。まずは聞いてください。 前に坊ちゃんにこの指輪は『ある儀式』の時に用いられるとお話ししましたが、その儀式を具体的に言うと結婚の際に用いられるのです」 「――――は?」 鈍器で頭を殴られた様な衝撃を受けた。予想外の展開に眩暈まで起こしてきた。 「え…あっ?…ちょっと待て…結婚だと?」 「はい」 「……僕は誰かと結婚したのか…?」 「…ご説明します。とりあえず今は黙って聞いてください」 混乱する僕にとりあえず話を聞くように諭すセバスチャン。矢継ぎ早に質問したい気持ちを抑えて頷く。 「いい子ですね…。結婚指輪などというものは今でこそ幸せの象徴のように扱われていますが、昔は服従や契約の印として贈られていたのですよ。当時は指輪をお互いに交換し合う習慣などはありませんでした。現在の結婚指輪は金銀製のものやダイヤモンドなどの宝石が付いたものが主流ですが、紀元前1世紀頃までは何の飾りもないただの鉄の指輪だったのです。坊っちゃんはプロメテウスの話をご存じでしょうか?プロメテウスがギリシャ神話の最高神であるゼウスに詐欺を働き罰を受けさせられた。そしてプロメテウスはゼウスに絶対服従の誓いを立てさせられてその印として鉄の指輪を嵌めさせられたのです。古代ローマ王制・共和制時代までの法律では家長の権限は絶対的なもので女性の権威はとても低かったのです。女性に鉄の指輪が贈られていたのは服従の誓いの意味が込められていました。現在のように永遠の愛を誓うといった意味合いもなく契約の指輪として贈られていたのです」 「なるほど…つまり夫が妻を隷従させるために、自分への服従の証として贈っていたと」 「ええ。言ってしまえばそうです」 「そして、この『誓約の指輪』は贈った相手を自分に縛り付ける、人間の薄っぺらい紙切れの誓約書なんかよりも強い執行力を持つのです。これを贈られた相手は夫に対して貞操を守りぬかなければなりません」 「守れなかったら…?」 「死にます」 セバスチャンの答えは簡潔だった。 「これを私は貴方に贈りたかった」 ぎしりとベッドが軋んだ。セバスチャンが僕の左手を強く握ったままベッドに乗り上げ僕の上で四つん這いで覆いかぶさる。ぐっと顔を近づけて、もう少しで唇と唇が触れ合う距離まできてしまう。顔を逸らしたくてもセバスチャンの視線の強さがそれを許さない。 「契約がありますから、貴方の魂は私のものです。ですがそれは言い換えれば魂『しか』私の物にならないということです。貴方のこの身体も心も決して私の物にはならない。 ―――いえ。身体だけなら無力で脆弱な貴方を力でねじ伏せ、手籠めにできたことでしょう。でもそれだけでは私の渇きは収まらない。貴方が心から私に全てを捧げなければ私の飢えは満たされないところまできてしまったのです」 熱っぽい濡れた瞳で見つめられ、心臓がどくどくと激しく脈打つのを感じる。身体全体が沸騰しそうなほど熱い。互いの吐息が感じるほど近くで見つめあう。首を絞められているような息苦しさを覚えて、咄嗟に顔を逸らそうとするがセバスチャンの手が僕の頬を捕まえてそれを許さなかった。 「この指輪で貴方を服従させたかったのです。私以外と情を交わさないように」 私だけのものにしたかったとセバスチャンが熱い吐息とともに漏らす。その吐息を感じてあっとやたら甘ったるいせつない声を出してしまって、慌てて右手で声を抑える。 「駄目です。ちゃんと聞かせて……」 「ん…や、だ…」 幼い僕にだって分かる。セバスチャンは僕に欲情しているのだ。まさかセバスチャンが子供でしかも男の僕を肉欲で見ていたなんて思いもしなかった。 「お、前は僕がこの指輪を受け取らないって…」 言ってただろと掠れてきた声で続ける。こいつがおかしな目で見つめてくるから僕までおかしくなってしまった。こいつが欲しくて欲しくて堪らない気分になってくる。その鋭い視線で、その男の手で僕を身体の奥まで骨の髄まで犯してほしくて堪らないとそんな風に考えてしまう。 何とかこの状態から抜け出したくて切り口を探し出す。 「ええ、言いました」 運よくセバスチャンは乗ってくれた。 「この指輪は、遠い昔ある国の王がその国の呪い師に作らせたものです。王はとある女性に懸想しておりました。そして何とかして彼女を自分の妻にしたい、自分のものにしたいと考えて自分の国の呪い師にこの指輪を作らせました。そして王は彼女にこの指輪を嵌めさせようとしました。しかし女性はこれを拒絶しました。女性には他に想う男性が居たのです。それでも王は無理矢理彼女にこの指輪を嵌めさせようとします。すると何故かこの指輪は彼女の薬指に嵌りませんでした。それならと別の指に嵌めさせようとしますが、どの指にも指輪は合いません。彼女が自分以外の男の指輪を嵌めるなど王には耐えられませんでした。それならと彼女の指を全て切り落としてしまったのです。そして彼女は指から流れ続ける血で死んでしまいました。怒った王はこの指輪を作った呪い師を極刑に処したのです」 「…その呪い師が欠陥品を作ったのか?」 「いえ、違います。実はこの呪い師、女性だったのですよ。そして彼女は王を愛していました。ですが王は彼女をただの自身の召使い程度にしか思っていませんでした。そして自分以外の女性と結ばれるためにこの指輪を作ることを命じられ、彼女は苦悩しました。本当はそんな物作りたくない、しかし王の命令は絶対です。ですから彼女は条件を付けました。この指輪を嵌めることができるのは贈った相手のことを愛していなければ嵌めることができないと。思いあう男女でなければ嵌められないということです。醜い嫉妬の末、その嫉妬の炎に焼かれて身を滅ぼした男と女の物語です。 ―――――まあ、『男女』ではなくても良かったみたいですがね…」 最後にそう付け加えてセバスチャンの話は終わった。だが、最後の一言が僕は驚愕した。 つまり、これはお互い恋い慕う恋人同士、もしくはお互いに懸想している者たちでなければこの指輪は嵌められないということだ。――――つまり…。 「坊ちゃん、どうしてこの指輪を『嵌められた』のですか?」 これが訊きたくて長々とこの指輪の経緯をセバスチャンは話してくれたのだ。 今や顔だけでなくセバスチャンと僕の身体は布団を挟んで密着していた。伸し掛かられて身動きひとつ満足に出来ない。 「私は貴方が欲しかった。もちろん肉欲的な意味で。そして自分がどうしてそれを求めているのか理解もしていました。―――勿論、最初は信じたくありませんでしたが。 貴方が私以外の者を見る度、私以外の者を呼ぶ声を聞く度に醜い嫉妬の炎に焼かれていました。 そしてそんな時にひょんな縁でこの指輪を手に入れることになりました。私は最初、これを貴方に嵌めるつもりでした。そして完全に自分の物にしてしまいたかった。ですが今のお話を聞いたでしょう?私の一方通行な想いだけでは貴方はこの指輪を嵌めることが出来ない。例え、悪魔の力を使ったとしても。強力な呪いがかけてありますから、無理強いすれば、下手をすれば貴方が死んでしまうかもしれない。だからあの時ああ言ったのです」 『最初はそのつもりでした。でもきっと相手は受け取りません。――いえ、正確に言えば受け取れないと言った方が正しいですがね』 あの時の言葉が脳裏に蘇る。だからセバスチャンはあんな風に言ったのか…。 「さて、貴方の疑問には粗方答えました。今度は私の番ですよ、坊ちゃん」 両手で僕の手を強く握られてその強さにくらくら眩暈までしそうだった。 「何故、この指輪を嵌められたのか教えていただけないでしょうか?坊ちゃん」 まるで食べたくて食べたくて堪らないご馳走を目の前に出された子供のような顔をしている。 今に舌なめずりさえしそうな雰囲気にぞくりとしたものが背中を駆け巡った。 「それじゃ…それじゃまるで僕がお前の事好きみたいじゃないか…」 「そうですよ、坊ちゃん」 「違う!」 想像していたより遥かに強い叫びがでた。そんな強く叫んだつもりはなかったが、まるで屋敷中に響いてしまうほどの大きさだった。 「違う!違う違う違う!僕はお前の事なんて何とも思ってない!」 「――――――」 「お前は悪魔だ。人間なんて愛するはずがない!僕だって自分の魂を喰らおうとしている穢らわしい悪魔なんて好きになるはずない!お前と僕には契約しかないんだ!」 そうだ。それしかない。所詮人間と悪魔だ。捕食者と獲物。分かり合えるはずもないし、まして愛情なんて抱くはずもない。 「僕を惑わそうとしても無駄だ!残念だったな、お前は僕にとって、ただの執事でしかないんだ!」 「―――――――」 「!?っいたっ……」 叫んだ瞬間に両手を頭上の上で一纏めにされる。もうほとんど唇と唇が触れ合っているほどの距離で睨まれる。今にも強姦されかねないほどの視線の強さだ。 「本当に聞き分けのない糞餓鬼ですね。…無理やり既成事実を作ってもよろしいのですよ」 「…そんなのただのレイプだろ…」 「ええ、それはお嫌でしょう?私も無理やりなんて趣味じゃありませんから。だから貴方に自覚を促しているのです。―――まあ、そういうシチュエーションの方がいいというなら協力するのも吝かではありませんが…」 「ふざけるな!だれがレイプなんか許すか!」 「ではどうして?この指輪を嵌められたのです?さっきも言った通りこの指輪を嵌めるには私に対して恋慕を抱いてなければ嵌められませんよ。もういい加減にしなさい」 僕が苛立っている以上にセバスチャンは苛立っているようだ。柳眉を逆立てて、目は赤く煌めいている。 「貴方は私を愛しているのですよ」 「違う!」 「違いません」 「僕はお前なんて何とも思ってない!」 「…ではどうして私の部屋に忍び込んでこの指輪を嵌めたのですか?言い訳があるのなら聞きましょう。―――納得できるかは別ですが」 「…僕は…」 ――――僕は…… 「お前なんか嫌いだ。高みから僕ら人間を見下して、何でもできるって顔して僕が無様に足掻くのを楽しんで見ているお前なんか…!」 「……」 「…だけど!でも!お前が…お前が…」 感情の高ぶりで声が震える。今にも涙を流してしまいそうだった。それを寸前で堪える。 泣いているところなんかこいつに見せたくない。自分の弱っているところも見せれば、簡単に捕食者に捕えられて喰われてしまう。何よりこいつにそんな自分の弱い部分を見せたくなかった。 それがプライドの高さゆえのことだったのかそれとも全く別の何かゆえのことだったのか、分からない。 「それでもお前が僕以外を想っているのが嫌だった!大嫌いだけど、でも、それでも! お前の一番が自分じゃないのは嫌だったんだ!!」 そうだ。こいつの視線の先に、声の先に、想いの先に自分以外がいるのが嫌だった。我慢ならなかった。いつだってこいつの求める先に自分がいなければ我慢できなかった。他の誰かに渡したくなんてない。それが何の感情ゆえかは分からなかったが、これは明らかに独占欲だった。自分以外の誰にも渡したくなんてない。自分だけのものでいて欲しかった。 「それは明らかに『執事と主人』や『悪魔と獲物』の領分を超えていると思いますがね」 大嫌いだけど自分の一番じゃなければ嫌だと言うシエル。それは不器用な彼の精一杯の愛の告白のようにセバスチャンは感じた。誰かが言っていた。好きの反対は無関心だと。今、まさしくその通りだとセバスチャンは首肯する。長い年月生きてきて数多くの異性、もちろん男性にだって言い寄られていたセバスチャンだがこれほど心震えるような情熱的な口説き文句は聞いたことがなかった。 「っ嫌いだ。お前なんか…っ」 遂にシエルは泣き出してしまった。ぽろぽろと小さな美しい宝石がその瞳から零れ落ちていく。セバスチャンはそれを静かにそっと舌で掬い取る。いやいやと首を振るシエルだが構わず追いかけて舐め取り続けていくと徐々に抵抗の力が弱まっていく。 「大嫌い、だ…お前なんか…」 「もういいですよ」 「きらい…きらいだ…」 「泣かせてしまいましたね…申し訳ありません。ですが私は嬉しいですよ」 泣きじゃくるシエルを宥めるように目尻に優しくキスをした。びくんとシエルが身震いしたが構わず何度もキスを続けて宥めていくと少しずつ冷静さを取り戻していくようだった。 「嫌いって言った…」 「ええ、もうそれでいいですよ。貴方が私を嫌いでも。その分私が貴方を好きになりますから」 「…僕はそんなの信じない…」 「信じてもらえるよう努力いたしましょう」 セバスチャンは何度も何度も目尻や瞼や頬や額に口付ていく。嫌がっても追いかけてきて必ずキスしてくるのでシエルは抵抗する気も無くなってしまっていた。 「それでどうします?」 「…どうとは?」 「もうひとつの解呪法をお試しになりますか?」 そうだ。最初はその話から始まっていたんだ。今までの展開の衝撃に呑まれていたシエルはすっかりそれを忘れていた。 「…どんな方法だ」 「……先ほどこの指輪は結婚の際に使われるとご説明させて頂きましたが、もう少し具体的に言いますと、結婚した初夜、夫婦の寝室で使われるものなんですよ。妻にした女性の身体の自由を奪って声を奪って感覚を奪ってから征服させ契りを交わらせるのです。そして夫に全てを捧げてから女性は自由の身になったのです。…まあ物理的な意味でですよ。本当の意味では自由はありません。…この誓約は未来永劫破棄することができないんですよ」 「……契りって…」 「意味はもうお分かりでしょう?まさか他の人間が私のように魔力で呪いを解呪できたとでも?」 セバスチャンの言っていることがセックスのことだと、子供の僕にでさえすぐに分かった。 でも女性との性交渉すらないシエルには同性同士のやり方など知るはずもない・ 「どうすれば…」 「大丈夫です。私に身を任せて全て委ねて…貴方はただベッドに横になっていればいい…」 唇を重ね、熱い舌が僕の口内を掻き回す。息継ぎもなく与えられる口付はひどく官能的で、魂まで奪われそうだった。 →next |
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始まりは奇妙な指輪だった。
従姉妹であるエリザベスは事前連絡もなしに唐突に僕の屋敷へ遊びにきた。企画書やら決裁待ちの書類が山のように積み上がっており、ファントム社の仕事に追われていた僕は、到底、今はエリザベスを相手にできる状態ではなかった。執事であるセバスチャンには腹に何か詰めて追い返せと命じたが、それで素直に帰る彼女ではなかった。 最近シエルは仕事ばかりで全然私に構ってくれないと駄々をこね始めた。こうなってしまうとあまり邪険に扱えば後々厄介なことになる。仕方なく彼女の気が済むまで付き合う覚悟をした。何がしたいと問うた僕に彼女はかくれんぼがしたいと言い出した。昔、両親が生きていた頃、犬のセバスチャンが傍にいた頃、よく僕達はかくれんぼをしていた。父や母が鬼になって僕達を探した。シエルは暖かく幸せだった時代を回顧する。あの頃は世界の全てが優しいもので出来ていると思い込んでいた。無知で愚かな小さな僕。今はそんなものがまやかしであったと知っている。世界は常に不平等で無慈悲だ。 昔を懐かしむリジーの気持ちも分からないでもないが、まだ昔を懐かしんで過去のことを話すには、僕の傷口はまだ柔らかく生々しかった。それでも彼女が自分を気遣ってくれていることは分かっていたから、昔話はせずともこの遊びに付き合ってやることにした。 結局、リジーはかくれんぼを二人だけでやるのはつまらないと言い出したので、結果、使用人全てを巻き込んだ遊びになった。あのセバスチャンでさえ。さすがのセバスチャンも主の婚約者に誘われれば断れないらしい。それもまた執事として主の僕の顔を立てたということだろう。私も暇ではないのですがねと僕にしか聞こえないよう耳元で毒を吐くのはいつも通りであったが。 公平にジャンケンで鬼を決めることになり、フィニが鬼になった。フィニはしゃがみ込み、両手で顔全体を覆い隠して目を塞いで大きな声で「いーち、にぃー…」とゆっくり数を数え始める。 皆それを確認すると一目散に駆け出した。全員、別々の方向に散り散りに走り抜けていく。 隣のセバスチャンは「坊ちゃんはどうします?」と尋ねてきたので僕はせっかくだから付き合ってやるさと答えて、リジー達とは違ってゆっくりと屋敷の方に向かって歩いていった。さて、どこに隠れようか。リジーやバルド、メイリンが隠れそうにない場所で、フィニが探しに来ない、若しくは探しに行きづらい場所がいいだろう。そう考えているとふといい場所が思い浮かんだ。あいつらが絶対に隠れようと考えない場所でフィニが探しに来そうもない場所。僕はセバスチャンの私室へと来た。ここへ来たことは殆どない。セバスチャンに用がある時はベルさえ鳴らせばすぐ来るからだ。いざとなれば僕のセバスチャンと呼ぶ一声で僕がどこにいようと一瞬で駆けつけてくる。 何せ奴は、人間じゃなくて悪魔だ。人間を誑かしてその魂を食らう穢らわしい獣だ。それ以外にはまるで興味や関心を持たない。…まぁ、裏庭の彼女にはご執心だが。セバスチャンの私室は無駄なものが徹底的に省かれている。ベッドや机等必要最低限のものしか置かれていない。まるで生活感がなく、無機質で冷たい印象を与える。 「殺風景な部屋だな」 まぁ、リジーみたいにメルヘンチックな部屋だったら、それはそれで気持ち悪いが。 いけないことだと思いつつ、何か面白い物がないだろうか、机の引き出しを開けて物色する。 「何もないな………ん?」 一番右下にある引き出しを開けると奥に何かある。見た目は掌に乗る程度の小さな正方形の黒い箱だ。持ってみると大分軽い。試しに耳元でその箱を振ってみた。特に何かが転がる音はしなかった。中には何も入ってないのだろうか。 ……気になる。 さて、どうしようか。本来なら人の持ち物を本人の許可なく物色するなんて失礼に当たるが、そもそもあいつの僕に対する態度は慇懃無礼である。あいつは執事で僕は奴の主人のはずなのに、あいつには全くもって僕に対する遠慮や気遣いというものはない。 …なら主人の僕が奴に遠慮する必要ないだろう。 そう自分に言い訳して僕はその小さな箱を明けてみた。中に何が入っているのか正直、興味津々である。人間のような物欲のないセバスチャンが持っている私物といえば僕の知る限りではあの猫じゃらしだけだ。 わくわくして開けて見ると、中には小さな指輪が台座に収まっていた。 「指輪…?」 台座から取り出して指輪をまじまじと見る。装飾などが一切なく、シンプルに輪の形をしているだけの指輪である。随分と古い物のようだ。しかも、銀などの貴金属ではなく、鉄製の指輪だ。 「変わった指輪だな…。……?」 指輪の内側に何かが彫られている。どうやら文字のようだが、全く見たことのない文字だ。 英語でもイタリア語でもフランス語でもドイツ語でもない。小さな文字が指輪の内側びっしりに書かれている。何だ、これは。まさかこれが悪魔の言語なのだろうか。あいつは自分の事は何ひとつ話さない。以前、どこにいたのか、何をしていたのか、どんな主人に仕えてきたのか。僕には関係ないことだし、興味もなかった。だが、最近無性にそのことが気になるのだ。今までどんな名前で、どんな顔で、どんな声で僕以外の誰に仕えていたのか。そして、その事を考えると何かどろどろしたものが内側に溜まっていくような気がするのだ。 「一体、何だって言うんだ」 あいつの過去なんて知ったところで意味のないことのはずなのに。 指輪を掌で握りしめる。そのまま握り潰したい感覚に襲われた。あいつがこんな装飾品を好むはずがないから、これはあいつが誰かから貰ったか、それとも誰かへの贈り物か。 誰に貰った?誰にあげるつもりだったんだ?僕以外の誰に? 投げ捨ててやろうか、こんなもの。沸々と湧いてくる怒りに戸惑う。何故こんなに僕は腹立たしいのだろう? 「私の部屋で何をなさっているのですか?坊ちゃん」 唐突に聞こえてきたこの部屋の主の声に、僕は驚愕して後ろを振り返る。 にっこりと笑顔でその場に佇むセバスチャン。…こいつ、気配を消してやがったな。部屋の扉の開閉する音もなかった。そもそも、いつからいたのだろうか。 「ノックくらいしろ」 「失礼ですが、ここは私の部屋ですよ?坊ちゃん。坊ちゃんこそ何故こんな所にいるのですか」 「ちっ」 はしたなく舌打ちをして視線を逸らす。セバスチャンは呆れの色を滲ませた溜息を吐いた。 「これ」 「はい?」 「何だ?」 とりあえず今疑問に思っている事を率直に訊いてみることにした。 目の前に指輪を翳して、問いかける。一瞬、気のせいかもしれないが、指輪を見た瞬間、奴の顔が奇妙に凍りついたように感じた。見間違いでなければ、普段、紅茶色の瞳も僅かに赤く煌めいて見えた。 「お前はこんな装飾品好んで付けないだろう?一体何の為のものだ」 「―――どうしてそんなことお知りになりたいのです?」 「…別に。ただの好奇心だ。」 「坊ちゃん」 セバスチャンは人差し指を立て、そっと己の唇に添える。 「Curiosity killed the cat」 「!」 「他人の事はあまり詮索しない方がよろしいですよ」 僕の手から指輪を取り上げると、小箱に戻すとまた机の中へと戻した。 「主人に隠し事とは、いい度胸だ。お前、執事の美学はどうした?」 「私は坊ちゃんに嘘はつかないと言いましたが、隠し事はしないとは言っていませんよ」 「なるほど。随分と都合のいい解釈の仕方だな。悪魔らしい事だ」 「恐れ入ります」 ふてぶてしい態度のこいつの顔を思いっきり殴ってやりたい。勿論、指輪を嵌めている方の手で。 「――誰かから貰ったのか」 「いえ、違いますよ」 「じゃあ、プレゼントか」 「―――そうですね」 肯定した。その時、何故か僕は奴が否定すると思っていたから不自然に固まってしまった。 贈り物だと?一体、僕 以 外 の だ れ に? 「でも、贈るつもりはないんですよ」 贈るつもりがないだと?贈り物だといいながら、それを贈らないとはどういうことなんだ。 「プレゼントするために用意したんじゃないのか?」 「最初はそのつもりでした。でもきっと相手は受け取りません。――いえ、正確に言えば受け取れないと言った方が正しいですがね」 最後の部分は僕に言ったというよりも自分自身に言い聞かせるように呟いた。 受け取れないとはどういうことなのか。贈りたい相手が近くにいないからそのような言い方なのか。それとも―――? 「おい、今のはどういう事――」 「おや、どうやら私達以外は全員見つかったみたいですよ」 セバスチャンに促され、耳を澄ませるとフィニ、バルド、メイリン、それにリジーの声も聞こえてきた。どうやらここに居る僕とセバスチャン以外は既に見つかっていたようだ。 「では、私は先に参ります。坊ちゃんは後からおいでください」 それだけ言い残すと、奴は踵を返して優雅ともいえる所作で自分の部屋を出て行った。 ―――――僕ひとりを残して。 夜中の暗い廊下を歩く。片手の燭台が仄かに廊下をぼんやりと照らす。 ガタガタと風が激しく窓を揺らしている。今夜は嵐になると屋敷を立つ前にセバスチャンが言っていたことを思い出した。そのセバスチャンは僕が命じた『裏』のお使いに出たので今、この屋敷にはいない。 ―――好都合だ。 僕は今セバスチャンの部屋へと向かっている。目的は昼間見つけたあの指輪だ。 目的の部屋へと到着し、扉をゆっくりと開ける。燭台を高々と掲げて部屋全体を照らし出す。 一歩踏み出して部屋に入るとひんやりとした空気が肌を撫でた。冷めきった部屋の空気が、どこか自分を拒絶しているような感覚に陥らせる。 それを振り切って奥へと進むと、手に持っていた燭台を一旦部屋の机上に置く。 そして、そっと例の引き出しを覗く。それはあった。昼間と同じようにひっそりと隠れるように置かれている。 僕は小箱を取りだして蓋を開ける。昼間に見た時と変わらず古めかしい指輪が鎮座している。 それを台座から取り出して眺める。セバスチャンはこの指輪を贈り物だと言っていた。人間だろうと悪魔だろうと男が指輪を贈りたい相手など相場が決まっている。 「――女か」 所詮、あいつもただの男だったわけか。ひどくセバスチャンを罵りたい気分に駆られてくる。 そして今、どうしてか裏切られた様な気分にさえなっている。 セバスチャンの言葉が蘇る。 『最初はそのつもりでした。でもきっと相手は受け取りません。――いえ、正確に言えば受け取れないと言った方が正しいですがね』 あれを僕なりに考えてみた。セバスチャンは受け取らないのではなく、『受け取れない』と発言した。受け取らないと受け取れないでは意味が違ってくる。受け取らないと言えば、相手が自分の指輪を受け取る意志がないとセバスチャンが考えていることになる。だが、受け取れないだと贈りたい相手の意志に関係なく、セバスチャンが相手に指輪を渡すことが出来ないという解釈になるのではないだろうか。普通だったら渡したい相手が遠くにいて逢うことが出来ないと考えるだろう。だが、相手はあのセバスチャンだ。例え渡したい相手がどんなに遠くにいても悪魔であるセバスチャンには意味のないことだろう。その悪魔のセバスチャンにでさえ渡せない相手―――。 「…死者か」 そう考えるとしっくりきてしまう。死んでしまった者を想っているという事か、あの男は。 死者に懸想するなど報われないことだ。シエルは嘲笑する。馬鹿馬鹿しい、そう思っているはずなのにどこか胸に隙間が出来たように寒々しく感じてしまう。 「………」 どんな相手なんだろう。セバスチャンの想い人は。歳は?容姿は?どんな声でどんな言葉であいつを惑わしたというのか。きっとさぞ美しいのだろう。あの魂にしか執着のないあいつが今も恋い慕うなど。ぎりっと噛みしめた唇から血が流れ落ちてくる。 掌で握りしめた指輪の冷たさがそのままセバスチャンの僕への心の様な気がした。 「あいつは僕の物だ…」 僕の物だ。誰にだって渡さない。あいつの髪の毛も瞳も言葉も血の一滴すら今はまだシエル・ファントムハイヴの物だ。誰だろうと僕の物を奪おうだなんて許さない。 セバスチャンが僕以外に膝を着き、頭を垂れて、愛を誓いその手を取りキスをする。そんな光景が頭に浮かんでは消えていく。シエルは我武者羅に頭を掻き毟る。 怒っているのか、苦しいのか、腹立たしいのか、辛いのか、悲しいのかすら分からない。 荒れ狂う激流の波に飲み込まれていくような激しい感情の海に居た。 セバスチャンがキスした手を取り、その指輪を嵌める。セバスチャンが嬉しそうに穏やかに微笑んだ。 ―――そんな顔、僕は見たこともない。 僕にすら見せなかった顔を他の奴らに見せるな!もはや悲鳴のような心の咆哮だ。 掌を開いて握りしめた指輪を見つめる。 ―――これは絶対渡さない。 あいつの想い人になんか渡すもんか。例え死者だったとしても。生者は死者には敵わない。だが死者が生者の邪魔をすることも敵わないのだ。シエルは指輪を右手に持ち直し、それをゆっくりと左手の薬指に嵌める。鉄製の指輪が鈍色に光った。それはまるでシエルの為に誂えたようにぴったりと嵌った。満足感と虚しさが交互に鬩ぎ合う。 ―――――ああ、そうか、僕はあいつが………。 何かの答えに辿り着く前に、シエルの世界は暗転した。 「お目覚めですか、坊ちゃん」 セバスチャンだ。いつもの人を喰ったような笑みでなく、無表情でひどく真剣な目をしていた。 「……ぼ、くは…?」 何故か声が掠れる。ひどい風邪を引いたときのように身体が怠く、頭が重い。身体全身に重りをつけたかのように身体が全く動いてくれない。自室の天井が見える。どうやら自分のベッドに寝かされているようだ。外は明るく、既に夜は明けているようだった。 今まで僕は何をしていたっけ…? 記憶を緩慢に記憶の海を揺蕩う。そうだ。僕はセバスチャンの私室でセバスチャンの指輪を嵌めて……、―――――それから? それからどうしたか思い出せない。何で僕はここに居るんだろう? 「…ぼ、くは、ど、…した…?」 「私の部屋で倒れていたのですよ」 セバスチャンは答える。いつもなら主人たる者、使用人の私室に入るなどと小言を言う場面のはずだが、セバスチャンは質問に対する回答のみしか言わなかった。 「どう、して…倒れた…ん、だ…?」 「この指輪です」 指輪…?セバスチャンの視線を追ってセバスチャンが握っている自分の左手の薬指を見た。そこにはあの忌々しい指輪があった。 「坊ちゃん、どうしてこの指輪を『嵌められた』のですか?」 自分の現状に困惑している僕以上にセバスチャンがこの現状に困惑しているようだった。こちらを探るような目つきで観察している。 そんなの、あんな机にも部屋にも施錠してない状態なら誰にだって指輪を見つけられるだろう。 僕になんかに嵌められたくないのなら隠しておくべきだったのだ。 何も言えず、悔しさで唇を噛み締めているとセバスチャンが僕の左手を握ってない方の手でゆっくりと僕の唇をなぞる。いつもなら気色悪いと罵倒するか、すぐさま腕を振り払うのに今の状態ではそれすら叶わない。 「お、い…いつ、まで…そうしてる…」 とっとと離せ。言外に視線を今だ握り続けている左手に向ける。視線だけで僕が左手を離せと訴えているのを察したのだろう。唐突に今まで被り続けていた無表情の仮面を脱ぎ去り、いつも通りの執事の仮面を被りなおした。 「では坊ちゃん。本当に『離して』よろしいのですね?」 「くどい…」 「では」 離しますよ。その声が最後の音になった。突如世界が無音になり、それだけでなく目の前が急に真っ暗になった。どういうことだと叫びたいのに声すら出ない。自分の身体も血が通わなくなって痺れてしまったかのように感覚が急速に失われていく。苦しい。もしシエルに音が聞こえていたのなら、苦しそうにぜえぜえと喘ぐ自身の呼吸音が聞こえていただろう。喘息の発作を起こしたかのように息がまともに出来ない。 「坊ちゃん」 肩に何か触れる。それを認識した途端、少しだけ呼吸が楽になり、徐々に感覚が戻ってくる。 「手を握ってもよろしいですか?」 僕に承諾を求めるような質問をしといて、声の強さはそれを有無と言わせないような口ぶりだった。あいつは僕の左手を握りしめた。するとぼんやりしていた視界が鮮明に、呼吸が完全に元に戻った。 「どういうことだ…?」 「これのせいです」 これ、とはセバスチャンが僕の左手を持ち上げて示した指輪である。 「何で…?」 「坊ちゃん。これは『ある儀式』の時に用いられた呪われた指輪なのです。坊っちゃんが嵌めてしまうとは思わず、このような危険な物をぞんざいに管理してしまった私の責任です」 ファントムハイヴ家にあるまじき失態、どうかお許しください。 そう言って真摯に頭を下げるセバスチャンに事態が深刻なことを悟る。 「そんなに危険なものなのか…?」 「――――貴方にとっては。現に今、私がいなければ貴方は呼吸すらままならなかったでしょう?こうやってずっと貴方の身体のどこかに私が触れ続けてなければ、貴方は呼吸すら出来ずに死んでしまうでしょう」 「!?じゃあ僕は永遠にこのままなのか…?」 ずっとセバスチャンが片時も僕の傍を離れずにいなければならないのか。食事の時や執務の時や寝るときすらセバスチャンと一緒にだなんて、違う意味で窒息死する。 「いえ、ある程度、解呪が進んでいますから私が傍にいないと呼吸すらできない状態からは脱せると思いますよ。実際、起きた時より身体が楽になっていませんか」 僕の不安に思っていたことを察したセバスチャンが僕の疑問に答えてくれた。どうやらずっと離れられないなんてことにはならないようでシエルは安堵の溜息を吐く。そして、確かに言われてみれば起きた時よりも身体の調子が良くなっているのを実感する。声は掠れていないし、頭痛も止んでいる。まだ身体の倦怠感は取れないが。 「ですが強力な呪いです。一度に全解呪は無理でしょう。焦らず少しずつ解呪しなければ…」 「悪魔のお前ですら一度に解呪とやらは出来ないのか?」 「出来ますよ?ただ坊ちゃんの体力が持たないでしょう。恐らく一度に解呪しようとすれば貴方の精神が壊れるか、最悪の場合死に至るでしょう。どうします?それでも一度に全部解呪してしまいましょうか?」 「いや、少しずつでいい。やってくれ」 「賢明な判断です」 そう言うとセバスチャンはタナカを呼びつけて紅茶の準備をするように頼んだ。いつもならこいつがやる仕事だが、文字通り僕の傍を離れられない為、今日からはこいつの仕事をタナカやメイリン、バルド、フィニがやるのだろう。タナカはともかくいつも失敗だらけで問題しか起こさないあいつらにセバスチャンの代わりが務まるのか?心底不安だ…。 「―――大丈夫ですよ、坊ちゃん。私達で何とかしますから。何も心配いりません。少し疲れたでしょう?お休みになった方がよろしいと思いますよ」 僕の気がかりを見抜いたセバスチャンが何も心配いらないと僕の不安を取り除こうとする。 奴の手がゆっくりと僕の頭を撫でる。いつもなら子ども扱いするなと怒るところだが、今日は何故かその手を振り払う気になれなかった。その手に誘われるように僕はゆっくりと眠りの淵に沈んでいった。 →next |
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