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エンゲージに想いを乗せて
「新郎新婦の登場です、皆さん拍手を!」 その言葉と同時に、目の前の大きな白い扉が開く。 定番の曲も流れだし、一人の花嫁と一人の新郎が歩き出す。 汚れ一つない純白なドレスを身に纏う、美しいその花嫁は。 光さえ通さないような、漆黒の青年を隣に幸せそうに微笑んでいる。 盛大な拍手喝采が二人を包み込み、ライトがそこだけを映し出す。 「坊っちゃーん!!幸せになってくださーい!!」 「泣かせんじゃねえぞ!セバスチャン!」 辺りからは祝福の言葉が投げ掛けられ、式場のボルテージは上がっていく。 だがしかし、この結婚式は異常だった。何故なら、この二人は本来ならば結婚が許されないからだ。 どちらも夫という立場になるはずの、同性同士の結婚。が、それについては誰も触れることはない。 新郎となるセバスチャン・ミカエリスに、異様な圧迫感を与えられているからだ。 口には出していないが、本人が醸し出すそれは正しく、“従え”の二文字。 眉目秀麗を忠実に再現したような彼は、誰もが見惚れてしまうほどの笑みを、ただ一人の花嫁に送る。 「坊っちゃん、美しいですよ」 「……うるさいばか」 二人にしか聴こえないほどの小さな会話。 一人はだらしなく口元を緩め、デレデレになっており。 一人はそっぽを向きながらも頬を赤らめていて。 席につくと二人は一度顔を見合わせ、集まってくれた馴染み達を見回した。 そして、花嫁であるシエルが、マイクを手に持ち口を開く。 「みなさん、今日はお集まり頂きありがとうございます。このような場で僕たちを祝福して下さること、本当に幸せに感じています。今日はたくさん楽しんでいってください」 「代わりましてセバスチャンです。こんなに綺麗なお嫁さんを貰えるなんて、私はとても幸せです。肉体的には私が男役となりますが、生活面では妻の役をやることになります。これからもあくまで執事として、坊っちゃんのお側でお仕えしていく所存です。嫉妬などなさいませんようお願いしますね。坊っちゃんは私のものですから」 「…………ながい」 唇を噛んで必死に羞恥を抑えているのか、ドレスから覗く細い肩がぷるぷる震えている。 セバスチャンは清々しいほどの笑みを浮かべながら、シエルの腰をがっちりと掴んで引き寄せていた。 辺りからはセバスチャンへのブーイングが起こり、ある席では「シエルは俺の嫁だ!」などと叫び出す始末。 「ふふ、帰ったら速攻ヤりましょうね」 「しね」 「ふふ、死にません」 「命令だ」 「えっ!?ちょ、えっ、え!?」 「じょうだんだ…」 「かっ……可愛っ…!」 そしてまたブーイング。キリがないので、総司会役であるタナカが勝手に司会進行を始めた。 まず始めに新郎新婦へお祝いの言葉を、ということでファントムハイヴ邸の使用人三名が前に出てきた。 一つのマイクを奪い合うように、凄まじい音量でまず第一声。 「おめでとうございます(だ)ーー!!」 キーン、と耳鳴りのような音が会場に響き渡り、その中の半数以上が耳を痛めるかたちとなった。 それから三人で代る代る語り続け、その話に涙を流すインド人が一人二人いたとか。話し終えた使用人達は一斉にシエルに飛び付き、ぐちゃぐちゃになった顔を優しくタオルで拭いてもらったようだ。 そしてその次は、神の子というメンバーが合唱をプレゼントするとかで、グレル、ウィリアム、ロナルド等三名がアメイジンググレイスを熱唱した。 素晴らしい歌唱力だったにも関わらず、セバスチャンともう一人の眼鏡を掛けた青年は、何故だか耳を塞いでいたようだが。 「お次は“愉快な仲間達”が劇をやるそうですので、中央をご覧ください。ほっほっほっ」 ライトが中央につき、そこに六名の人物が照らし出された。 劉、藍猫、ソーマ、アグニ、アバーライン、ランドル卿の破壊力抜群な彼彼女ら。 そんな愉快なメンバーが選んだ劇とは――ロミオとジュリエット。 「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」 可憐な淡い桜色をしたドレスに身を包んだランドル卿が、瞳をきらっきらさせてそう叫ぶ。 同時に何やら倒れる音があちこちから聞こえてきた。 又は、急いで会場を走って出ていく人も少なくない。 「ああ、ジュリエット、どうしてまだそんなに美しいのか?」 劉が胸に手を置き、感情を籠めながら声を張り上げた。 いつもはおちゃらけている彼の迫真の演技に、今度は感嘆の声を漏らす人たち。 だがしかし、必要のないはずであるキノコや家、切株などの衣装を身に付けた者が散らばっており、結果的に残念な形となってしまっている。 そして最後は「恋する暴君!」などと六人一斉に拳を上に掲げ、劇は終わりとなった。 「……セバスチャン」 「……はい」 「…………帰っていいか」 「ふふ、だめです」 さてお次は。と、癒しのタナカの声。期待せずに楽しもう、と決めたシエルは肩の力を抜いた。 しかし、「ドキドキ時々毒々メモリアル」というアンダーテイカーからのプレゼントによって、それは再び入れられることとなる。 「伯爵ー、小生からは思い出アルバムをプレゼントするよ。スライドショーで皆にも見てもらおうね、ヒッヒッ」 「なっ…!や、やめろ!」 「宜しいではありませんか、あんなことやこんなことまで皆様にさらけ出しましょう」 「お前は黙ってろ!」 そんなことを言い合っている内に、会場の照明は落ちていきスライドショーが始まってしまった。 何故かBGMはセバスチャンによる歌声だったが、それについては誰も意見することはなかった。 流れる映像はどれもシエルのもので、寝顔やら腹チラやら涙目やら入浴シーン中のものやらお着替え中のものやら。 明らか隠し撮りとされる映像が三十分に渡ってひたすら映し出された。 スライドショーが終わった後は、本日最高なほどの拍手が沸き起こり、アンダーテイカーはどうしてか胴上げされていた。 「セバスチャン、」 「はい」 「今ならまだ、間に合うよな」 「……は?」 早くも破局の危機を迎えているが、それを知るものはこの二人以外誰もいない。 そんな二人を差し置き、この式を締め括ったのは。 なんと今まで忘れられていた、トランシー家当主ことアロイスだった。 開始早々シエルを俺の嫁発言していたが、あっさりスルーされており、執事であるクロードに八つ当たりをしていた。 「シエル、俺は諦めてないよ。ずっとシエルだけが好きだ!」 「……旦那様、わたくしは…?」 「ハンナは可愛くないからヤダ」 「…………」 シエルとしては実に反応に困る告白であり、黙ることしか出来ない。 セバスチャンは先ほどのシエルの言葉が脳内全てを占めてしまっていて、他のことは何一つ考えられない状態だ。 それを良いことに、アロイスはぽかんとしているシエルへ、熱い熱いキスをした。 「んんっ!?ん、っふ…んー!!」 唇同士が触れ合うだけの可愛いものではなく、息をも呑み込むような濃厚な口付け。 舌まではいれられていないが、アロイスの力は体格的にもシエルより強く、抵抗できずにいたのだ。 近くに立っていたクロードは、目を見開いたまま固まっているし、セバスチャンはセバスチャンで別の世界へ旅立ってしまっていて役に立たない。 辺りは、ぐああ!や、やめろー!、俺の唇がああ!と発狂の嵐。 アロイスが満足して唇を離したのは、シエルの息が本格的に苦しくなってきた頃だった。 「っぷは…!し、死ぬかと…っ思った!」 「ふふっ、シエルの唇ふわふわっ!可愛いなあ、ねえ一発でもいいからさ…」 「許しません!」 ダン!とテーブルに勢いよく手をつき、大きな声を出したセバスチャン。 どうやらアロイスの「一発」の声で還ってきたらしい。 そしてその勢いのまま、セバスチャンはシエルをお姫様抱っこして会場を脱走した。 ドレスの裾が、まるで舞い落ちる花弁のようにヒラヒラと靡く。 縦横無尽に掛け回り、二人は式が行われていたホールの屋上に来ていた。 そこでセバスチャンは、振り回されて目が回っている花嫁をゆっくりと地面に下ろす。 「坊っちゃん…いえ、シエル」 「けほっ……な、んだ?」 「あの……す、すみませんでした」 「…はぁ。謝るくらいなら最初からやるな!」 「はい…………」 眉をハの字にさせてしょんぼりとするセバスチャン。 シエルはそんな、夫となる男を可笑しそうに見上げ、そして空を仰ぐ。 少年と同じ色をした、眩しいほどの青空を。 屋上に吹く風は、二人を包み込むように穏やかで、小鳥の囀りのように透き通った音を奏でている。 「なあ」 「……はい」 「もうくれてもいいんじゃないのか」 「へ、」 「……言わせるつもりか?」 空を映したままの瞳を、上から見つめるセバスチャンは、驚きながらも不安そうに訊ねる。 「いいんですか、私で」 「今さらだな」 「だって、」 「強引なお前はどこに行ったんだ?」 シエルは大きな瞳を隣のセバスチャンへと移す。 そして何ともシエルらしい言葉に、小さく笑みを溢し、 開かれた小さな箱。 延々と輝くエンゲージリングに、一生の愛を籠めて。 「好きです、結婚してください」 (照れくさそうに笑う、そんな君を) (ずっと隣で、見ていたいんだ) (20110528) 「Happy wedding」企画サイト様へ捧げます。結婚がテーマということで、ぐだぐだでしたが披露宴にしました…(泣)もう披露宴なのかもわからないですが、幸せいっぱいなセバシエと回りの人たちを書きたかった…(*´∇`*)!ご期待に添えられているのか謎ですが、今回は素敵な企画に参加できたことを嬉しく思っております。ありがとうございました! PR |
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最愛なる厄日 「結婚!?」 ガチャン、と大きな音を立てて、赤い死神は乱暴にカップをソーサーに戻した。 シエルは肩を竦め、咎めるように彼を見遣る。 「見苦しいぞ、グレル・サトクリフ」 不機嫌そうな彼女の言葉には耳を貸さず、グレルは頭を抱える。 「ちょっと何呑気な事言ってんのヨ!マダムも何か言ったら!?」 「こういう場合は素直におめでとう、って言うべきかしら」 「ありがとう、アン叔母様」 「もう何なのヨ、アンタ達!」 喚き散らすグレルを余所に、フォートナム&メイソンのエルダーフラワー・フレーバー・グリーンティーを一口飲んで、マダム・レッドは目を輝かせた。 「これ、私好みだわ」 「それは良かった」 見事な置いてきぼりを食らったグレルはバン!と、テーブルを叩いた。 「だから、何でアンタ達はそんなに冷静なのヨ!この餓鬼が結婚って、相手はあのセバスちゃんでしょ!?」 あの悪魔とどういう経緯で結婚話にまで至ったのかは知らないが、何とも急な話だ。 シエルは気怠そうに頬杖をつく。 「別に、結婚したからといって何か変わる訳でもないだろう」 「枷にしかなんないワヨ、結婚なんて」 「それは僕じゃなくて彼奴に言うべきだと思うが?」 フレッシュな苺を頬張りながら、彼女はシニカルに笑う。 「僕はただ、証明して見せろと言っただけだ」 愛を知ってしまったと告げてきた愚かな悪魔に。 ならば、その愛とやらを証明して見せろと命じたのだ。 「何よ、ソレ?」 眉間に皺を寄せながらグレルは唸る。 「アンタ、じゃあ結婚なんてするつもりはなかったワケ?」 そうなるな、とシエルはカップに口をつける。 「てっきり悪魔らしく言葉か態度で攻めてくると思ったんだが」 意識が遠退きそうだ。 これにはマダム・レッドも驚いたらしく、赤い二人組に凝視され、シエルは僅かに身を引いた。 「あんたはそれで良いの、シエル?」 「飼い犬に褒美をやるのも飼い主の義務だ」 物事を割り切る彼女らしいといえばらしい考え方だが。 マダム・レッドとグレルは揃って顔を見合わせる。 恐らく扉の向こう側で聞き耳を立てているであろう件のあくまで執事に深く同情したのは言うまでもない。 END. |
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恋をした女性は美しいと言うが、その上バージンホワイトのレースをこれでもかというほどふんだんにあしらったドレスを纏う彼女は、美しかった。 「リジー……綺麗だ」 たくさんの言葉で修飾するには上品すぎる彼女の輝きに、つい朴訥な言葉しか出てこない。それでも朱の差した頬を綻ばせた彼女には、伝わっただろう。 「まあシエル、いつもそっけないから、そんなに素直に言われると恥ずかしいわ」 ドレスも発色のいい化粧も緩く巻いた髪も、全てがこの時のためのもの。昔よりもずいぶんと落ち着いた所作は高貴な気品を纏って、誰の目をも釘づけにする。 心苦しく思っていたのはどうやら自分だけだったようで、昔のように抱きついてこなくなった彼女は、それでも変わらぬ弾けた笑顔で迎えてくれた。 「ほらシエル、笑って。喜んでくれないのかしら」 「リジー……僕は」 「何を今更悩んでいるの。今更私と結婚してと言っても、もう無理よ。だって私、彼のことが大好きですもの」 無邪気な笑顔が、強張っていた心を優しく解した。 * 「リジー、僕は……君と結婚できない」 言うのならもっと早くに言うべき言葉を、いや身分的にも心的にも言ってはならない言葉をシエルが急に切り出した時、彼女は心底驚いた顔をしていた。しかし、そんな表情も存外すぐに消え失せて、代わりに意想外な返事がきたのだった。 「そう。やっと言ってくれたわね」 少し俯いて、呆れているのだか安心したのか、錯綜した表情を作った彼女は、しかし何かを押し殺したような色を隠し切れていなかった。 「やっとって……」 狼狽したシエルはなんと言っていいか分からない。 「私、知っていたの。……ううん、知っていたんじゃないわ。感付いていた、といった感じかしら」 彼女の他に、もっと大事な人がいて現状との板挟みで苦しくなっていたこと。その相手に強ち想像はついていたけれど、決定的な証拠はないから、知っていたのではなく、感付いていただけだった、と。滑らかにそこまで語り終えた彼女は瞳でシエルを射ぬき、そのまっすぐで素直な輝きに、如何ともしがたい罪悪感は困惑へと変わった。 「これが女の勘よ、ナメちゃだめ」 茶目っけたっぷりにウィンクまでして、もしかすると先ほど耐えがたいような表情をしたのは見間違いだったのではないかと思う頃、不意に彼女は真面目な顔になった。 「シエル……、言ってくれて嬉しい。だけどやっぱり私、これから数日間は、自分の感情をコントロールできないと思うの。だけど、それは自分の問題だから、あなたが気に病む必要はないわ。それに、貴族だからって好きでもない許嫁と無理にひっつくのは私も賛成しないわ」 「リジー、僕はっ……君のことを好きじゃないわけではないよ」 「ふふふ、分かってるわシエル。ちょっと言い過ぎちゃったわね。あなたが私のことを大好きなのは知っているわ。だけど、それは家族とか友達とか、そういったものなんでしょう」 「……すまない、リジー」 厳しい叔母から平手の一つも飛んで来なかったのは、全て彼女の尽力のおかげだった。気持ちの整理にどれほどの時間と気苦労を要したのかは推測するしかない。なぜなら、その後彼女とは結婚式まで会うことがなかったからだ。 招待状が来た時、シエルだけでなくあのセバスチャンですら動揺していた。隅に添えられた直筆のメッセージは、彼女の生来の性格を表したようにまっすぐで明るかった。それでも裏にどんな憎しみを抱いているのかと訝しまないわけにはいかず、シエルは返した手紙に自らの困惑を洗いざらい筆記した。唯一、事実を文字にすることを避けたのは、彼女を思いやるという優しさに感けた逃げだ。 果してその返事は早急に届き、美しい筆記体が以前と変わりなく親しげな口調でシエルに語りかけた。 『シエル 絶対に結婚式には参加すること。とっても綺麗なドレスを着る予定です。あたしと結婚しなくて、本当に僕はなんて馬鹿なんだ、って思わせてあげるわ。あなたは真面目で素直な人だから、きっと今も気に病んでいるのでしょうが、それは杞憂です。私はもう先を見据えています。結婚式という晴れ晴れしい舞台で、あたしを見たら分かるはずよ。絶対に来てね。待っています。 。 リジーより P.S.お母様のことは、気にしなくても大丈夫だからね。あなたを招待することも伝えてあります。待ってるわ』 建前でなく全ての意思を以てシエルを呼んだのだと豪語していることに大分安心した。急いで晴着を仕立て、シエルは当日、本当に久々に訪れる、しかし何も変わっていない彼女の邸宅へと馬車を走らせたのだった。 * 「セバスチャン」 「何でしょう」 「……帰ろう」 後ろについていた執事が息を詰めたのが分かった。ひかえめな声で、よろしいのですかと尋ねてくるその心中は容易に知れる。パーティはまだ中盤に差し掛かったところで、結婚式とは言え、そこは社交の場でもあるのだから一会社の社長は率先して他人との会話を楽しみコネクションを広げるもの。それなのに英国ファントムハイヴの社長であるシエルは早々に戦線離脱しようとしていた。 「分かっているだろう。僕がここに来ていて、その上社交的行動を起こしたならば、明日の新聞一面は決まりだ。……リジーと話せただけで、僕は満足さ」 そっと肩に手が添えられ、耳元で御意と囁かれると、二人でバルコニーに出た。まだ太陽が弱く照り輝く夕暮れだった。涼しい風が吹き始めた外には、幸い誰もおらず、ずいぶんと大きくなった主の体を抱きしめるように包んだ執事が、瞬きをするほどの間にそこから消えた。 * 「今日は疲れた」 「そのようでございますね」 セバスチャンの肩口に鼻を埋めて、シエルは深く息を吐いた。疲労感から頭が鈍く重たい。シエルを腕に抱いたままエスコートするセバスチャンの歩調が心地よくて、目を閉じていると眠ってしまいそうだ。 「坊ちゃん、寝てはなりませんよ。お風呂に入りましょう」 抱きかかえたままエントランスで主の帽子を器用に外し取った執事は、ゆったりとした口調で咎めた。それでも弛緩したままのシエルに思わずため息をひとつ。 「お許しください、ご主人様」 「……何」 何を言っているのかと瞳を開けてみれば、そこはホールではなく、浴室だった。おまけにシエルの身体を包むものは眼帯に至るまで全て無くなっている。 「貴様」 「やはりお叱りになりますか。私も……それなりに急いているものですから」 「何だと」 これも魔力なのか、既に並々と湯の張られたバスタブに自らの腕捲りもせずにシエルを浸からせたセバスチャンは、シャンプーを手に取る前に思い出したようにひとつキスをした。 「今日は上機嫌なんだな」 「分かりますか……まあ、そのようです」 「なんだ、ずいぶんと自信なさそうじゃないか。自分のことなのに」 水気を含んだ髪の毛にきめ細かい泡を揉みこむセバスチャンの手は、なぜだか今日は落ち着きがなかった。 「きっと……嬉しいのです」 声を聞いただけでもわかる、恥ずかしげに微笑む顔。 「何が嬉しいんだ」 「それは……、ここでは落ち着きませんから、寝室でということではいけませんか」 「珍しいな。いつもはこんな生ぬるい回答をしないのに」 「やはり、だめ、ですか」 「さっさと洗え。早く風呂から出よう」 シエルはめいっぱい子供っぽく見えるように掌で水面をぱしゃりと打った。 * 紅茶を用意することもなく、髪の毛も早急に乾かした事を伺わせるようにまだ少し湿りの艶がある。 「坊ちゃん」 二人はシエルのベッドに並んで腰かけ、主人と執事でなく今は恋人として手を重ねていた。 「エリザベス様のご結婚は、坊ちゃんにとっていかがでしたか」 「ん……どういうことだ」 「嬉しい、悲しい」 シエルの手を握るセバスチャンの指に一瞬力が籠ったのをシエルは感じとっていた。どんな感情が渦巻いているのだろうと不思議に思う。シエルはセバスチャンが何を言いたいのかまだ分からなかった。 「嬉しいよ」 「本当のことを言って」 「……嬉しい。本当だ。喜んだらだめか。軽薄な男だって言いたいのか」 「……いえ。その言葉を聞いて本当に安心いたしました」 昔ほどの差がなくなった体をセバスチャンに預けて、シエルは老けない男の言葉に耳を傾けていた。 「私は、昔からあなたに関わる時、エリザベス様の影を見て参りました。抱く時でさえ」 「貴様っ……、まあいい、続けろ」 いつまでも初心な反応をしてしまうのはもう仕方のないことであるが、セバスチャンは恥ずかしがるシエルを好んでいるらしい。 「ですから、この度晴れて坊ちゃんとは関係がなくなったわけです、一切。今まであったわけでもなく、不確かなものでした。私が勝手に後ろめたさから抱いた幻想にすぎなかったのですが」 そうして一息置いて、セバスチャンは言った。 「……嬉しいのです。これからはあなたの後ろに彼女を見なくてすむから」 「……」 「坊ちゃん、どうかあなたの命尽きるまで私をお傍に置いてくださいませんか」 青白い顔に覗きこまれ、その瞳が燃えるように赤いのを見た時、シエルはぞくりとした。歓喜にも似た興奮が背骨を駆け巡り、心臓に電流が走ったようにびくりと震える。 セバスチャンからのプロポーズは、果たして何度も聞いたことがある言葉で、今更確認のように繰り返されただけであるのに、今までと趣を異にしていた。 唇を舐めて開くも、何を言ったらいいのか分からない、言葉が枯渇したように頭の中は白く染まって、とにかく何か返答をせねばという焦燥感だけが募り始める。 「……っ」 開いた掌を男の肩に添わせ、そろそろとなぞると肉の薄い背中をさまよった。抱きしめるというには今更拙すぎる抱擁を相手がどう取ったかは知らない。ただ、感情が爆発して力の制御ができなくなったかのように強く抱きしめられて、苦しいのに嬉しかった。 「ああ、いけない。大事な恋人を、抱き潰してしまうなんてことになったら、私は自害するしかありません」 「お前……、洒落にならんぞ」 喉がからからに干からびて、ようやく発した声はかすれていた。 力を緩めてそれでも抱きしめられたままにベッドへ倒れこんで、次を期待する。 「初夜ですね」 「何を言ってるんだ」 「思い切り優しくしてさしあげましょう」 なぜだか酷く楽しそうな声音でセバスチャンがのしかかってきて、 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― この終わり方であとがきを付けない方がおかしいというものです。笑 はじめまして、スタンです。一応句点無しの終わり方です、未完成ではありません。 初めての企画参加ということで、緊張しかなかったですが今思えば楽しかったです。 これを機に色々な企画に参加したいと思っておりますので、よろしくお願いします! ありがとうございました |
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