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屋敷の執務室から、まだうら若き少年の、 動転した声が聞こえる。 「ちょっと待て・・・ だから・・どうして」 セバスチャンは、 その気品のある細い眉を寄せながら、 大きく溜息をついた。 執務室に入る午後の日差しのせいで、 いつもより その紅茶色の瞳がさらに明るい。 黒い燕尾服を整然と身につけ、 優雅な動作で、セバスチャンは彼の主人に アフタヌーンティーを、 差し出したばかりだった。 彼の主シエルは、 伯爵家の肩書きを捨てたとはいえ、 身についた高貴な家柄の出にふさわしい、 威厳と品位を持っている、 まだ十台半ばもいかない少年だが、 今日は彼にしては珍しく、 日ごろの冷静さを失っていた。 「あの---話聞いてました?」 「聞いてたから、 理由を尋ねているんじゃないかっ!」 傍から見てもおたおたするシエルは、 執務室の椅子から転げ落ちそうになった、 自分の体勢を元に戻そうとしている。 だがその尋ねる口調は、 自分の倍以上の身長のセバスチャンに対し 目下の者に問いただすような、 極めて横柄な口調である。 そのはかなげに美しく少年らしい外見とは まるで似つかわしくないが、 それはいつもの彼らしい高慢さであった。 「ですから、結婚の理由は--」 「いやいや・・ちょっと待て。 もう一度話を整理するぞ。 誰が誰と結婚するって?」 額に手を当てて、 その小さな顔に影を作りながら、 シエルは、 セバスチャンが同じ英語という言語 を喋っているのかどうか、考えていた。 「私が」 「うん」 「ぼっちゃんと」 執務室の机の上に開かれていた、 書簡の山がズサッと落ちた。 「・・・・」 「それで理由ですが」 「まぁいい、お前のことだから、 それなりの理由があるんだろう。 聞いてやる。 なんかの偽装なんだろう? どんな計画だ? 目的は何だ?」 心を落ち着かせようと、 シエルは、セバスチャンが持ってきた 紅茶に手をつけた。 そして、黒い燕尾服に身を包んだ、 長身細身のセバスチャンは、 シエルの執務机の真正面に立ちつつ、 一度軽く咳払いをして言った。 「そろそろ後継者を、と」 ぶっ!とシエルは、 一気に口に含まれていた紅茶を噴きだす。 「ああ、何やってらっしゃるんですか-- いま、拭いて差し上げます」 セバスチャンは、すぐにシエルの側に寄り 胸元からハンカチを出して、 思いっきり紅茶を浴びてしまった、 シエルの顔や服を拭き始めた。 「お召し替えいたしましょう。 シミになってしまいます」 「服のことなんか、 この際どーでもいいっ!」 動転するシエルを見つめながら、 困ったような顔をして セバスチャンが尋ねる。 「愛の囁きや愛の告白からの方が、 良かったでしょうか?」 「いや、普通に考えて、そうだろう・・」 「ええ?? 私がぼっちゃんに、愛の告白ですか??」 「自分で提案したんだろうが!」 「いえ、私は一般論として--」 「じゃ、何か?僕は愛のない結婚だけど、 後継者作りのためにお前と結婚しろと?」 「ええ、そうなりますね」 しゃあしゃあと答えるセバスチャン。 「お前、殺す」 「なんか、 外国人みたいな言い方になってますよ」 「ってゆうか、 そもそも何の後継者なんだ!? 僕はファントムハイブ家を捨てて、 お前とおなじ、ただの悪魔だぞ? 何を後継するんだ?」 「いえ、ぼっちゃんと私の子なら--」 「さぞかし可愛いとでも?」 「いえ、強い子ができそうですので」 驚きのあまり、 しばらく口をぱくぱくと魚のように動かし シエルは青碧眼の大きな瞳をさらに大きく 見開きながら、つぶやいた。 「・・・お前にそういう思考があるとは、 正直びっくりだ・・」 「そうですか?」 何だか急にどっと疲れを感じて、シエルは 執務室の椅子にどかっと倒れこんだ。 セバスチャンは優しく、 椅子に沈み込むシエルの髪をなで、 顎を持ち上げて、唇をそっと重ねる。 セバスチャンの漆黒の髪が、 シエルの額にくすぐるようにあたる。 舌を絡めあい、吸いあっているうちに、 シエルが高まりを覚え始めると、 セバスチャンは優しく耳元で囁いた。 「こうした行為も、子供をつくるって 目標ができますよ」 「?? ・・・・・ 悪魔って、キスで子供ができるのか?」 「まさか。そんな子供だましな-- ちゃんとそれなりの行為をしないと、 出来ませんよ」 セバスチャンの言葉を聞いて、 思わずシエルの顔に血が上っていく。 「それなりって・・」 「ぼっちゃんが想像して、期待している、 ソレですよ」 「想像はしたが、期待はしてないぞ、 悪いがなっ!」 手から白手袋をすっと抜き、 ふくれっ面をするシエルの頬を、 そのなだらかな曲線に沿って優しく、 セバスチャンは撫でる。 しかしシエルは、 その手をぱしんと叩いて、 ぷいっとそっぽを向いてしまった。 クスっというセバスチャンの、 忍んだ笑いが聞こえてきて、 シエルは、彼の執事を再び横目で睨む。 「でも、ぼっちゃんは我が主ですので、 やはり手を出す前に、 きちんと結婚すべきだと考えまして--」 「お前の主従観は・・・ はっきり言って狂ってるぞ?」 「ぼっちゃん程では」 「僕の何が?」 「いえいえ、主の悪口は申せません」 セバスチャンが長く黒い睫毛を伏せ、 胸に手を置いて、神妙そうに答えた。 「もう言ったも同じだろうっ!」 「とにかく結婚しましょう」 セバスチャンは、そう言うと、 両手でシエルの頬を包み込み、 自分の正面に顔を向けさせ、 シエルの瞳をじっと見つめる。 シエルは、その紅茶色の瞳に、 思わず吸い込まれそうになる。 居心地悪そうに、 シエルは視線をそらした。 「いや、この流れでプロポーズは、 ないだろう。 しかもこの急ぎのやっつけ感は、 一体何なんだ」 シエルは顔を包み込む両手を再度はねのけ 不満そうに尋ねた。 セバスチャンは腕を、流れるような動作で 優美に、空に広げ放ち、 彼の身振り大きな動作に口の中で悪態をつくシエルをよそに、声を張って言う。 「そんなことはありませんよ。 結婚した後には、広大な計画があります」 「ほう、どんな?」 「私たちの子供を鍛えあげて--」 嫌な予感が、 シエルの心を占めてきつつ、あった。 「世界一の悪魔にするとか、 人間世界を滅ぼすとか、 そういう妙な野望じゃないだろうな?」 「いいえ--そんな」 セバスチャンの、 言おうか言うまいか考えている様子に、 シエルは苛立ち、先を促す。 「言ってしまえ。何だお前の計画とは?」 まさか、最強悪魔一家とか、 そんなことじゃないだろうな・・ 「私の中に存在する悪魔の愛を、 あらゆる手段を用いて注ぎ込み、 悪魔的育て方で、 悪魔の貴族の後継者を-- 決め台詞は あくまで貴族ですから、でしょうね」 「なんかただのスノッブな、 嫌なヤツって感じがするだけだが・・ 大体爵位を捨てたんだぞ、僕は」 「私が持っている爵位の一つの、 公爵を継いでもらいましょう」 ・・その地味に、自分の方が、 爵位が上だったと言わんばかりの、 得意気な顔がむかつく・・ 「でも父親は母親の執事で?歪むぞ、子供」 「すでに母親になる決意ができてるとは、 さすが我が主、元女王の番犬」 「そこに元ってつけるな、肩書きじゃないっ しかもメス犬の様に言うな!」 一際大きなため息をついて、 額に手をあて、 瞳をとじて呆れたように呟くシエル。 「そんなことのために、 子供を育てる意味がわからない・・」 「やってみればわかります」 「いや、あえて言えば、わかりたくないし、 やりたくもない。 絶対お前と子供だけは作らないからな! まだ子供は無しで、 愛のない結婚だけのほうが数百倍ましだ」 「では妥協して、それでも良いでしょう」 うんざりした顔しながら、 軽くめまいと頭痛を感じて、 シエルは、頭を抱え込む。 「いや、良くない、それも良くない全然」 「愛のある結婚がご所望なのですね? では、よく考えてまいります」 「・・・・」 ・・なんで、お前が考えてくるんだ!・・ 永遠の暇をもてあます、 怠惰な悪魔の日常の終わりまであと六日。 ************************ 「それは、何だ??」 エントランスホールで困惑する、 シエルの前で、黒いローブに黒いおかしな形の帽子をかぶった、 葬儀屋がへらへらと笑っている。 「これかい? ささやかながら、小生が、 二人のために用意した... 結婚記念のプレゼントさ~ 夫婦棺、そっくり同じデザインだけど、 この世に二つしかないんだよ? 気に入ってもらえればいいんだけどねぇ」 大理石の見事な薔薇の精巧な、 レリーフが施された大きな棺が二つ、 エントランスホールの中央を陣取っていて その上にちょこんと銀色の長い髪をした、 葬儀屋が座っている。 「ほう--早速サンカリストのカタコンベで 研究された結果が出ていますね。 良い作品です」 セバスチャンはしげしげと棺の細部を 触って、観察している。 「うん...小生の自信作さ、 気に入ってもらえたようだねぇ」 「気に入るかっ!!」 「順当に、金箔の鶴の絵柄付き大皿とか、 の方がよかったかい?」 「それもいらんっ」 「では小生オリジナルの 先代伯爵の捏造シネマティックレコード。 小生との出会いから別離までってのは..」 「・・・帰れ――っ」 ぜいぜいと息を切らすシエルの小さな肩を やさしくそっと背後から抱いて、 セバスチャンが耳元に囁く。 「そんなに興奮なされずとも。 葬儀屋さんが、 こんなに祝福して下さってる事ですし-」 「全然嬉しくないし、 義理立てするつもりもないっ! この話は昨日終わったはずだろう? おい! 耳がくすぐったいっ!」 「ぼっちゃん」 セバスチャンは、 シエルの小さな身体をくるりと回して、 自分の方を向かせ、 その大きな青碧眼をじっと見つめた。 「大体、この話は、 ぼっちゃんからでしょう?」 「・・・は??」 「ぼっちゃんが私に昔プロポーズしたのに、 そのまま結局うやむやに、 時間だけが経ってしまって--」 「??? ちょっと待て。 僕が、 一体、 いつ、どこで、 お前に、プロポーズしたって??」 言葉一句一句をかみ締めるように言って、 シエルはセバスチャンに問いただす。 「いつまでも僕の傍を離れるな、絶対に! って、 仰ったじゃありませんか-- 葬儀屋さんと別れた直後に、お墓で」 「ヒヒヒ...墓つながりだねぇ...」 背後で葬儀屋が三角に口を広げて笑いつつ バリバリと変な形のクッキーを食べている 「うん、その台詞は確かに、 言った覚えはある。 ・・・が、 決して、決して結婚なぞ、 僕は念頭に置いて言ってないぞ!」 「本当ですか? 普通その台詞は、求婚で使うものです。 あれは確か、 マダムレッドの葬式の直後ですよ。 貴方が見殺しにした--」 顎に手を当て、あたかも思い出すような素振りを見せながら、セバスチャンが言う。 「確かも何も、 お前、はっきり覚えてるじゃないかっ! しかも最後の言葉で、 余計な過去を引きずり出して、 僕の心をえぐって・・・」 シエルの瞳が今にも、 紅く燃え上がりそうになるのを、 セバスチャンは、 妖艶な微笑を浮かべて見ている。 「これしきの言葉遊びで、 傷つくような脆弱な魂の持ち主なのですね 我が主は」 「言葉遊びが嫌いなだけだ。 それに別に僕は、見殺しにしたことさえ、 恥じてなどいない。 それが肉親でも。 当然のことを、 当たり前のようにしただけの話だ」 「ええ、そうでしょうね」 「必要と有らば、お前のことだって、 僕は簡単に切り捨てることができる。 知っているだろう? お前を見殺しにしたって、 なんていう事はない」 シエルは、彼の幼いあどけない顔には、 不釣り合いな挑発的な態度で、 セバスチャンを睨みつける。 「そうですか」 深く大きな息を吐いて、 セバスチャンは紅茶色の瞳を翳らせ、 誰をも戦慄させるほどの美麗な顔立ちに、 沈鬱な表情を浮かべた。 「では試してみましょう」 「何を?」 「貴方が私を本当に見殺しにして、 それでなんともなく、 平然としていられるか、をです」 いきなり何を言い出すんだと、 言いたげな表情で、 しばらくセバスチャンを見つめ、 シエルは突然笑い始めた。 「お前を見殺しにするって? はっ! また、なんの悪い冗談を始める気だ? 悪魔がそう易々と、 殺されることなどあるまいに」 「ええ、通常のやり方では-- 致命傷にすら、なりはしません。 ですが-- 永劫の闇をまといしと謡われた、 この--レーヴァテインでは」 セバスチャンはそう言って、 ぬるっと緑色の大蛇のような、 禍々しい輝きを放つ大剣を、 天に向けて掲げた。 「その剣は・・・ 死の島に深く沈んだと言ってたじゃないか レプリカか?」 「いえ、紛うこと無き本物ですよ 試したいですか?」 切っ先をシエルに向けて、 セバスチャンが壮絶に微笑む。 しばらく見つめ合った後で、 シエルが唾を飲み込み、 低い声で命じる。 「ああ、勿論だ。 この無意味な悪魔の生を僕から奪え! わかってるだろう? お前のなすべきことは。 貫け、僕をっ! 僕から悪魔の生を?ぎ取れ、 呪わしき生に終止符を打て。 命令だ。セバスチャン」 「残念ですが、聞けません」 「なんだとっ? ここで、 お前に許されてる言葉はただ一つ」 「今は--聞けないというだけです。 ご心配なさらずとも、 必ず貴方の命は果たしますよ、私は。 その時がきたら」 「僕の復讐は、 すでに人間であるときに果たされた。 お前との第一の契約は既に完結している。 そして、第二の契約は、 お前が永遠に、僕の命令を聞く、 執事になるということだっただろう? 約束の時は今だ。 さぁ、僕の命令を果たせ、いますぐ」 シエルは大剣の切っ先に向かって、 胸を差し出し自らの身体を貫こうとするが セバスチャンは剣を素早く動かし、 シエルの身体から遠ざける。 「何故!?」 「まだ、試してないでしょう? 貴方が私を見殺しにして平気かどうか。 それとも貴方は、 自分自身が言ったことすら、 ほんの何秒間後には責任持てないと?」 「いや、良いだろう。 お前が先に逝きたいというなら、 逝かせてやる。 ただしその後、僕が逝っても、 文句は言うなよ」 「それは勿論、言いませんよ。 言いたくてもいえないでしょうに。 ですが、むしろ光栄です。 私の後を追っていただくとは」 セバスチャンは妖しく微笑んで、 大剣を大きく振りかざし、 その切っ先を自分の胸元に当てた。 「それでは、お先に失礼いたします」 頭をこくりと軽く下げ、 会釈するように挨拶したすぐ後に、 セバスチャンは一気に自分の胸を貫いた。 白いシャツに紅い血が広がり、 その身体はゆっくりと膝から、 地に崩れ落ちていく。 シエルに向けられた眼も次第に閉じていく 口元だけに微笑みを残して。 「まさか・・嘘だろう?」 エントランスホールに倒れた、 セバスチャンの回りに徐々に、 血溜まりが広がり、 シエルは腰が砕けたような足取りで、 セバスチャンに近づいた。 「ホントは、 止めて欲しかったんじゃないのかなぁ... 伯爵に」 葬儀屋が寂しそうに笑いながら、 前髪の奥の緑色の眼を光らせる。 「僕が、止めるだと?馬鹿な・・」 シエルの脳裏に、 外套を優しく肩にかけてくれた時の、 セバスチャンの優しい微笑が浮かぶ。 燭台を片手に、 寝台の横で寝付くまで立っていた時の微笑 また、馬車で手を差し伸べ、 降りる介助をした時の微笑。 単なる従者としてだけではなく、 彼と共に暮らした日々。 数々の凄惨な事件を共にこなし、 死線を共にくぐり抜けてきた戦友として。 また幾多となく、 囚われた自分の解放者として。 そして、 何よりセバスチャンとの、 甘美な口吻の光景が広がる。 美しく淫靡で官能的な彼の紅茶色の瞳に、 絶えず見つめられながら、 時に憎み、時に罵り、時に打ち据え、 過ごした日々。 「こういうのは、えてして、 失ってから気づくもんなんだよねぇ...」 葬儀屋が足をぶらぶら揺らしながら、 誰にいうともなく、つぶやいている。 「なんで、 ヤツに悪魔の生を終える理由がある?」 葬儀屋は棺の上から立ち上がって、 シエルに近づき、 その前髪を黒く長い爪で掻き分け、 契約印の刻まれた瞳を見つめながら、 言う。 「自分と同じ理由で... ...とは君は考えないのかい?」 「悪魔でいることを、 セバスチャンが厭っていたと? それこそ馬鹿な・・ありえない。 アイツはいつだって楽しんでいたはずだ。 昨日もくだらない冗談をしかけてきて」 「ふぅん、見かけが全てとは限らないよ、 伯爵。 たとえ君にどんな表情をして、 君にどう見えてもね。 それは執事君にしか、分からない事さ... そして君は今、 大変ショックを受けているようだねぇ」 「当たり前だ!こんな・・ こんな事は予想だにしてなかった。 アレが僕の傍を離れるなんて」 「そうかい? 君がわざわざ彼を見殺しにしても、 平気だなんて、強がりを言って、 迎えた結果じゃないか... それでも心の準備が出来てなかったと?」 ・・そうだ、それも僕が言った・・ だからといって、まさか本当に。 「それに君は、彼の真剣なプロポーズを、 断ったじゃないか。それだって、 人によっては、十分自死に値するよ。 まぁ、悪魔だけど...」 「そこまで本気で? まさか・・冗談だったんだろう? いつものアイツの悪質な」 「冗談でしか、 愛を語れないタイプもいるからねぇ...」 「愛?ヤツにそんなものあったものか」 「伯爵も執事君も意地っ張りだからねぇ... いいよ、愛って言わなくても、 憎しみとでも、執着とでも 魂のやりとりとでも、契約とでも、 何とでも名前をつけるがいいさ... 小生にとっては、 畢竟、どれも同じ物に見えるけどね」 シエルはセバスチャンの身体の元に立ち、 血溜まりの中に両膝をついて、 美しい眼を閉じて逝った、 セバスチャンの生気のない顔を見つめた。 ・・漆黒の髪を触る、 よく眼に入って邪魔だった髪。 でもそれが額に触れるとき、 僕はいつも・・ 大きな剣の柄に手を向けると、 葬儀屋が話しかけてくる。 「後を追うのかい?...」 「僕は、ぼくのすべきことをするだけだ」 「それは無理だと思うよ... 執事君... 一体いつまで続ける気だい?この芝居」 セバスチャンはくっくっと笑いながら、 剣を引き抜いて、床に転がした。 呆気にとられているシエルを横に、 セバスチャンは葬儀屋に尋ねる。 「よく分かりましたね」 「ああ、伯爵の眼に、 きらきら契約印が輝いてたからねぇ... 小生の前髪が長くてよかったねぇ... じゃなければ、 小生の瞳に映って伯爵にもバレてたよ」 「応援ありがとうございました」 セバスチャンは上体を起こし、 葬儀屋に向かって微笑む。 その顔に一発強烈な平手打ちをして、 シエルはさらに、セバスチャンを押し倒し その身体に馬乗りになって、 殴りつけようとするが、 セバスチャンは、 そのシエルの華奢な両手首を掴んで、 無理やり口吻した。 シエルは、 セバスチャンの唇を思いっきり噛んで、 身体を離し、怒り続ける。 「お前っ! 僕を騙したな・・レーヴァテインなどと」 「私は嘘は申しませんよ。 これは正真正銘のレーヴァテイン。 私が死の島の底から、この間回収した-- 実際苦労しましたよ。あまりにも、 深いところに沈んでましたので」 「では、なぜ死なない?」 「ぼっちゃん、 私は魔剣とは言いませんでしたよ。 これはレーヴァテインという名の剣、 ですがもうただの剣です。 わたしがクロードさんを刺して以降は。 魔剣だって悪魔のようなものです。 一人の悪魔を殺したらその生を終えますよ たかだか一本の魔剣で、 無数に悪魔を殺せるなら、 悪魔など早々に駆逐されてしまいます」 「それが分かってて、何故拾ってきた?」 「ふふ、それはお分かりでしょう?」 セバスチャンは、 シエルの両手首をさらにきつく掴み、 抵抗するシエルの華奢な身体を引き寄せる 「こんなことをして遊ぶためか? なんて性質の悪い、悪趣味な遊びだ・・」 「お褒めいただき、光栄です。 楽しめましたでしょう? 私は貴方が動転する様が見れて、 とても楽しかったですよ」 「お前は馬鹿だろ。 そんな事のために、こんな剣拾ってきて」 「では貴方は嘘つきですね。 平気だ、などと言って。 いつも私がそばにいるのが、 貴方にとって、当たり前に、 なってしまっているというのに。 今度から貴方のいう事は、 全て逆にとることにしましょうか?」 「ふん、好きにしろ」 「それでは、私の血の香りで、 おなかが空かれましたか?」 「いや」 セバスチャンはシエルと、 体勢を入れ替えて、床に押し倒し、 唇の間に舌を割り込ませて、絡ませた。 血溜まりの中に寝ころがされて、 シエルの服も紅く染まっていく。 セバスチャンの切れた唇から、 流れる血の味にシエルの虹彩は細くなり、 瞳は紅く煌いている。 悪魔の血の芳香にたまらなくなり、 シエルは貪るように、 セバスチャンの口腔内に舌を入れ、 余すところなく嘗め尽くした。 「やはり、嘘つきでいらっしゃる。 服が汚れてしまいましたね。 あとで、お召し替え致しましょう」 「自分で汚しておいて、何をいまさら」 ようやくシエルの片手首を解放して、 頬に手を添えて、 セバスチャンは優しく囁く。 「私と結婚してくれませんか?」 少しの間、目の前の悪魔の、 紅茶色の何を考えているかわからない瞳を 見つめながら考えて、シエルは答えた。 「ああ」 「ありがとうございます」 「・・・・お前逆に取るって」 シエルの抗議をよそに葬儀屋が割り込む。 「よかったねぇ~~... 執事君、すんなりOKがもらえて」 「すんなりって・・ 今までのやりとりと、この血の量を見て、 どこがすんなりだと?」 「まぁ... 君らにとっては、上出来な部類さ」 葬儀屋は上機嫌な声を出して、 フラフラ揺れながら笑っている。 「神父の代わりに葬儀屋さんということで、 私たちには、それがお似合いですね。 では誓いのキスを--」 「調子にのるなっ!」 シエルは、自由になった片手で、 セバスチャンの腕や胸を、 思いっきり叩いている。 「ああ、その前に証人が必要でしたね。 もうすぐいらっしゃいますよ、きっと」 「は?この上誰か呼んだというのか?」 シエルは叩き続けた手の動きを止め、 セバスチャンに怪訝そうな顔で尋ねる。 「呼んでませんが、勝手に来ます、きっと」 というが早いか、エントランスホールの 巨大なシャンデリアが揺れ、 その上に真っ赤なコートが翻る。 チェーンソーの音と共に、 すっと床に降り立ち、 紅く腰まで届く長い髪をかきあげて、 グレルが叫ぶ。 「バージンロードは鮮血の赤!ってぇ~~~ なにョ~・・またガキとじゃれあって! しかも血だまりの中、 何てこと~そこはアタシの位置よ」 「先輩マズイっすよ。 セバスちゃんと、今日は 遊んでる場合じゃないですって」 すぐに玄関の扉が、 芝刈り機状のデスサイズによって、 大きな音を立てて壊され、 ロナルドがグレルを呼びにきた。 「だって毎日、アタシの仕事始めには、 セバスちゃんの顔を拝まないと、 ヤル気でないんだもン」 「すぐ、 ウィル先輩に見つかっちゃうんすから、 こーゆー事してっと」 しかし時既におそく、 逆光を背にして怒りのオーラを放ちながら 高枝切バサミ状のデスサイズを片手に、 黒いスーツを一分の乱れなく着た、 死神がやってくる。 ウィルは、角ばった眼鏡の奥から、 冷酷な眼を向け、デスサイズを伸ばし、 グレルのコートの襟を掴まえ、 宙づりにする。 「グレル・サトクリフ! ロナルド・ノックス!ここはアナタ方の、 仕事場ではないでしょう」 そして、ウィルは血だまりの中、 シエルを抱きかかえ、 立ち上がるセバスチャンを、 眼鏡ごしに、不快そうに見つめた。 葬儀屋がウィルに話しかける。 「いや~、 丁度良いところにきてくれたねぇ... ちょっと一分だけでいいから、 そこに居てもらえるかい? すぐ終わるから」 ウィルは葬儀屋に気が付き、 深くお辞儀をして言う。 「気がつかず、すみませんでした。 貴方がお出でになっていたとは。 すっかりそこの、 不快な害獣に気をとられまして」 「今日は、 伯爵と執事君のめでたい結婚式なのさ。 さぁ早く...」 葬儀屋はセバスチャンに促すように、 合図を送った。 「それではぼっちゃん、 誓いのキスをいたしましょう」 「なんで・・そうなるんだ」 「結婚式ィィィ~~??」 グレルが絶叫している。 「それは吉報ですね。 これでこの不出来な同僚も、 この害獣を、 追っかけなくて済むようになるでしょう。 結婚でも離婚でも、何でもしてください。 ですが一分以内に」 「ウィル~それって・・ アタシにアナタだけを見つめろって、 暗に言ってるワケ?」 「暗にも明にも言ってません」 ウィルはデスサイズで眼鏡を上げて、 奥からグレルを睨みつけた。 セバスチャンは、 抱きかかえたシエルの顔に、 覆いかぶさるように自分の顔を寄せている 「さぁ、ぼっちゃん」 「やめろ~! これは夢喰らいの悪魔が見せている、 悪夢の一つなのか?」 「いえ、 これは私と貴方で紡ぎ出している、 現実の一環です。 ‐‐そんなに私と結婚するのは、 お嫌ですか?」 セバスチャンは美しいその顔を、 悲嘆するかのように、少し歪めて尋ねる。 ・・なんで、 そう悲しそうな顔をするんだ・・ 「愛の囁きは? お得意の口説き文句はどこいった? お前は悪魔。 誘惑するのはお手の物だろう? 僕をその気にさせればいい、 そんなに僕と結婚したいのなら」 セバスチャンは益々その瞳の翳を濃くして 悲しみに沈んだ顔をして、 重々しく語り始めた。 「だからこそ、 そんなことをしたくないのです。 貴方にだけは--」 しばらく二人の沈黙が続いた後、 シエルはまた、ぷぃっと顔を背けた 「ふんっ」 ・・それが口説き文句って言うんだ、 セバスチャン・・ それ以上何もいわずに、 セバスチャンが抱きかかえたシエルの唇に そっと自分の唇を重ね、 二人の口づけが終わるまで、 シエルは彼の腕を、 ぎゅっと強く握り締めていた。 永遠の暇をもてあます、 怠惰な悪魔の日常の終わりまであと五日。 ****************************** 「で、こちらとこちらと、 --こちらになります」 空気の入れ替えのため開け放たれた窓から 朝の小鳥のさえずりが聞こえてくる。 執務室の机の上には、セバスチャンが持ってきたパンフレットが並べられている。 「何だ?これは」 パンフレットを手に取り、シエルは、 一つ一つ不可思議そうな顔をして眺める。 「デンマーク王国アイスランド島観光? 公爵家のつきあいか何かか?」 「いえ、そちらには、アルマンナギャオと 呼ばれる大地溝帯がありますので。 余談ですが、アルマンナギャオとは、 全人類の割れ目という意味なんですよ」 優しく微笑みながら、セバスチャンが、 花瓶の花を生け替えている。 「こっちはエチオピア帝国観光?」 「そちらには大アフリカ地溝帯が-- 年間数ミリずつ、 大地の裂け目が広がっています」 「こっちは、大日本帝国観光・・・」 「ええ、言わずとしれた、 フォッサマグナという大地溝帯が--」 シエルは、真剣な表情で、 しばらくパンフレットを見つめると、 セバスチャンに眼をやり、話しかけた。 「わかったぞ・・・ これらのどこかの地底の奥深くに、 魔剣があるというわけだな」 「あの--話聞いてました?」 「いや全然」 はーっと大きなため息をついて、 セバスチャンが頭を手で軽く抱えている。 「いわゆるハネムーンです。ぼっちゃん。 新婚旅行どこ行きましょうか? という話をしていたのですが--」 「・・・・ ちょっとまて、まためまいが・・ なんで、大地溝帯・・いやそれより前に 昨日のどたばたで、既にお前と、 結婚したことになってるのか??」 「ええ、それは勿論」 にこやかに微笑するセバスチャンを見て、 今度はシエルが、 大きなため息をつく番だった。 「行かないからな。どこにも」 低い声でぞんざいに答えるシエルに、 セバスチャンは首を傾げて尋ねる。 「どうしてです?これらの場所では、 好みに合いませんでしたか?」 「当たり前だろっ。 どこのどいつが、 大地溝帯巡りにつきあって喜ぶんだ。 社会科見学か! お前は地層ファンかっ! 一人でグランドキャニオンにでも行って、 一日中、いや永遠に眺めてていいぞ」 「もう、それは見飽きましたので--」 「見てたんかいっ・・・」 一度がっくりうな垂れたシエルは、 しばらくして顔を上げ、 正面を見据えて毅然と言った。 「とにかく僕は、 お前とのハネムーンなんぞに、 費やす時間はない。 そんな暇があったら、 魔剣を一刻も早く探すさ。 自らの悪魔の生を断ち切るために」 「ああ、魔剣もあるかもしれませんよ。 特にアイスランドあたりなんかは--」 「うぅなんて適当な意見を・・ 嘘だろう。自分が、 そこに行きたいだけじゃないのか??」 「もう何度も言ったでしょう。 私は嘘はつきません。可能性は、 ゼロではないと申し上げたまでです」 「そりゃどこでもゼロではないだろう 大体、新婚旅行っていうのは、 もっとこう、夢希望のあふれる場所に、 行くのが普通なんじゃないのか?」 「地層はロマンです。 見るものの心を癒し、地に繋ぎ止め、 その大地の営みの歴史を見つめながら、 私たちの性の営みの歴史を積み上げ--」 「一発殴っていいか?」 「そうきますか-- それではお相手せねばなりませんね」 「いやいや、そこでなぜフルーレを渡す?」 セバスチャンに、 フェンシング用の剣を投げ渡され、 受け止めながらシエルが尋ねた。 「いえ、最初が肝心といいますから」 「最初?」 「亭主関白を勝ち取るために--」 すかさずセバスチャンが、シエルの胸に向かってフルーレを繰り出した。 あわてて防御に回るシエルに、 攻勢をかけるセバスチャン。 「ずるいぞ、不意打ちして」 「では仕切り直して、貴方からどうぞ」 セバスチャンは動きを止め、 シエルから離れて、距離を取り直し、 フル-レを一度天にかざして、 態勢を整えた。 シエルは思いっきり息を吐いて、 前に大きく一歩踏み出し、 セバスチャンの胸に向かって、 剣を突き出す。 すっと軽く横に避けたセバスチャンは、 華麗にフルーレを扱い、 すかさずシエルの耳元の髪を掠めた。 尚も剣をお互い合わせて、 シエルの息は次第に上がってきた。 「はぁはぁ・・ お前、大の大人が子供相手に・・・ 少しは手加減ってものを知らんのかっ」 「十分してあげてるつもりですが。 わざと負けてあげろとでも? これは私にとっても大事な一戦ですので、 勝敗は譲れませんね」 対してセバスチャンは息一つ荒らげず、 美しい顔に挑戦的な微笑を浮かべて、 シエルに答える。 しばらく剣のぶつかり合う音が響いた後で シエルの額ぎりぎりの所で刃をとめて、 セバスチャンが言う。 「ぼっちゃん、貴方の負けです。 しばらく練習を怠ってらっしゃるので、 腕が落ちましたね」 「刺したければ刺せ」 シエルが瞼を閉じて、不機嫌そうに言うと 微笑しながら漆黒の執事が近寄り、 シエルを抱きしめた。 「負けたのに、そうやって強がりを言う・・ 本当に子供ですね」 セバスチャンは屈みこみ、 シエルの顎を軽くつかんで口吻する。 二人の長い抱擁のあと、 セバスチャンは唇を離し、 優しい口調で言った。 「アイスランドで、オーロラを見ながら、 こうして貴方と一時を過ごしたいのです 貴方を抱きながら--」 セバスチャンが部屋を出た後で、 シエルは床に投げ捨てたパンフレットを、 もう一度手に取り見直していた。 永遠の暇をもてあます、 怠惰な悪魔の日常の終わりまであと四日。 ************************ |
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「24/7」
「ねぇ、シエル。・・・大丈夫なの?」 遠くからエリザベスの声がかすかに聞こえる。 身体はひどくだるいし、目蓋も重くて、あけることができない。 「・・・ん・・・ここはどこだ?」 目を閉じたまま、シエルはエリザベスに問いかける。 「何を言ってるの、シエル。自分の寝室じゃない。ウェディングドレスの試着の最 中に貧血を起こして倒れちゃったのよ。明日は、大事なお式なのに。シエルでも緊 張するのね」 大事なお式・・・一体、なんのことだろう? ウェディングドレス?それは、エリザベスが着るものだろう。 頭の中が混乱していて、考えがうまくまとまらない。 重い目蓋をうっすらあけると、エリザベスが心配そうにシエルの顔をのぞきこんで いた。 「やっと、気がついたみたいね。何か飲み物でも持ってきてもらう?未来の旦那様 に・・・」 エリザベスはいつものようににこにこ笑いながら、ベットのそばに置かれていた椅 子に座りなおした。 未来の旦那様・・・一体、誰のことだ? シエルには、何が何だかわからない。 だるそうに顔をエリザベスの方へ向け、よく見てみると、自分の知っているエリザ ベスより若干年上のように見えることに気がついた。 それに、顔を横に向けた時に、やわらかい髪が頬に触れたことに違和感を感じた。 髪はそんなに長いはずはないのに。 何かがおかしい。 だんだん頭がはっきりしてくると、いろいろな疑問がわいてくる。 重い身体をどうにか起こすと、長いブルネットの髪が肩口からさらさらと前の方に 流れ落ちてきた。 なんでだ? 部屋の中をゆっくり見まわして、シエルは唖然とした。 いつもの青い天蓋ではなく、淡いピンク色の天蓋へと変わっている。 部屋全体が落ち着いた雰囲気だったものが、おとなしめではあるが、可愛しい雰囲 気に変わっている。 「こ、これはどういうことだ!!」 シエルは自分で発した声のトーンにもびっくりして、口元に手をあてる。 いつもより声が高い。 それはまるで女の子のような声。 「・・・どうして?」 呆然としているシエルをエリザベスはさすがに心配になったのか、立ち上がり、呼 び鈴を鳴らした。 「今、ミカエリス伯爵が来るから待っていて。シエルったら、気を失っている間に 変な夢でも見たの?」 ミカエリス伯爵? 一体、誰なんだ、それは? だんだん頭が痛くなってきた。 僕は確か・・・職務机でいつものように会社の書類を見ていたはずだ。 ふと、視線を自分の身体に向けると、胸元をリボンで飾られ、レースがふんだんに 使われたピンクのネグリジェを着ている。 (な、なんて格好をエリザベスに見せているんだ!!) シエルは白い頬をほんのり赤く染めると、慌てて布団の中に逃げ込んだ。 男の僕がこんな格好をしているのに、エリザベスはおかしいと思わないのだろうか。 「急にどうしちゃったの、シエル。ミカエリス伯爵に会うのが恥ずかしくなってし まったの?」 エリザベスはからかうような口調で言うと、布団の中に隠れているシエルの頭を軽 くなでた。 「だって、おかしいだろう?男の僕が、そ、その・・・女物のネグリジェを着て寝 ているなんて・・・」 シエルは今にも消えてしまいそうな小さな声で言う。 「何を言っているの、シエル?シエルは私と同じ女の子じゃない。小さいころから おそろいのドレスを着たり、遊んだり姉妹のように過ごしてきたのに」 エリザベスはいよいよおかしなことを言い出したシエルにはお手上げのようだった。 女の子だって? シエルは恥ずかしいと思いつつ、恐る恐る自分の胸に触れてみると、弾力のあるほ どよくふくらんだ胸があった・・・。 男の僕に胸があるなんて、こんなことができるのはあいつしかいない。 シエルは自分の恋人でもある黒い執事を思いだした。 あいつは僕に何をしたんだ。 羞恥心でいっぱいのシエルは、布団から顔を出すことができずにいると、扉をノッ クする音が聞こえた。 「どうぞ」 シエルの変わりにエリザベスが返事をすると、部屋に入ってきたセバスチャンは、 一礼する。 「失礼致します。」 「執事みたいな態度はもうおやめになったら、ミカエリス伯爵」 エリザベスは笑いながら、執事の態度を一向に変えようとしないセバスチャンに近 寄っていく。 「シエルの様子がおかしいの。なんだか、とても混乱しているみたいで。私は、明 日の用意もあるし、今日はこれで失礼するわ。シエルをお願いね」 「レディ・エリザベス、玄関までお送り致します」 「いいえ、私は大丈夫よ。ミカエリス伯爵はシエルのそばにいてあげて」 エリザベスはベッドのそばに歩み寄ると、布団の中に引きこもってしまったシエル に聞こえるように、 「明日は私にとっても大切な日だわ。大好きなシエルの結婚式なんですもの。ゆっ くり身体を休めて、明日は昔のような笑顔を見せてね」 そういうと、セバスチャンに挨拶をして、部屋を出て行った。 「・・・セバスチャン。これはどういうことだ!!」 布団の中に隠れていたシエルは、布団をはぐと低い声で唸るような声で言った。 「どうか致しましたか、マイ・レディ。いえ、シエル?」 セバスチャンは優しい笑みを浮かべ、シエルのベッドサイドに座った。 「どうもこうもない!!僕は男だったはずだぞ!!それなのにどうして、女性に変 わっているんだ?お前の魔力で僕に何かしたのか?」 一気に言いたいことを吐き出したシエルは、はぁはぁと肩で息をしている。 「レディ・エリザベスの言うように、今日のシエルはおかしいですね。私が魔力を 使えるなどといいだすなんて・・・」 セバスチャンは困惑したような表情でシエルを見ていたが、白絹の手袋をした手で、 シエルのほんのり赤く染まった頬をやさしくなでる。 むっとするが、いつもセバスチャンがしてくれるシエルを安心させる行動のひとつ だ。 それは不思議と覚えている。 「お前は悪魔だろう?男の僕を女性に変えることだって、できるんだろう?それと も、これは夢なのか?」 シエルは真剣な表情で、セバスチャンの茶色の瞳を見つめる。 そうではないと説明がつかないことばかりだ。 セバスチャンは頭をふり、否定する。 「私は人間ですよ。それにこれは現実です」 「じゃあ、その手袋をとって僕にみせろ」 「わかりました。それで、シエルが納得するのであれば・・・」 嫌がると思っていたセバスチャンがあっさり手袋をはずすことを了解し、はずし始 めた。 「爪と左手の甲を見せてくれ」 セバスチャンは言われるまま、シエルの前に爪と手の甲が見るように差し出した。 「あっ!」 セバスチャンの爪は悪魔の黒い爪ではなく、綺麗に磨かれたピンク色の爪だった。 そして、左手にはシエルとの契約を表す契約印がない。 「そんな馬鹿な・・・」 狐につままれるとはこういうことをいうのだろうか。 僕の右目の契約印はどうなっているのだろうか。 シエルは不安になり、ベッドから降りると、鏡を探して、気を失ってから初めて自 分の顔を見た。 そこには、青と紫のオッドアイを持つブルネットの長い髪の女性というのは、まだ 幼い表情の女の子が映っていた。 「これが、僕なのか?」 右目は紫になっているが、契約印はない。 一体、自分の身に何が起こったというのだろうか。 確かに自分は男だったはずだ。 セバスチャンの爪が黒くないということは、悪魔ではないと言った言葉に嘘はない ということだろう。 それに、セバスチャンにはシエルに嘘がつけないという契約になっている。 これが夢で、その夢にセバスチャンが何か影響を与えていることはないのだろうか。 鏡の中の自分を信じられないという表情で、見つめ続けているシエルを心配してセ バスチャンはそばに歩み寄ると、シエルの細い身体を後ろから抱きしめた。 セバスチャンの手が優しくシエルの膨らんだ胸を包み込むように抱きしめているの で、くすぐったいような変な感じがする。 「な、何をするんだ!!」 シエルは恥ずかしさもあり、身体を捩ってセバスチャンの腕の中から逃れようとす るが、逃れることができない。 「何って、いつもこうしているじゃないですか、シエル。一体、何があったのか、 私にわかるように説明して頂けませんか?」 「説明って言われても、僕自身よくわからないんだ。・・・ただ言えるのは、僕は 目を覚ます前までは男として生きていたって事だけだ」 そういうとシエルは、唇を噛みしめ、不安そうな顔でうつむいてしまった。 自分の身に何が起こったのか、一番知りたいのは、シエル自身なのだから。 これは僕が見ている滑稽な夢なのではないか。 セバスチャンは、僕が困っているのをどこかでみていて、いつ出て行こうかと笑い ながら、様子をうかがっているのではないだろうか。 そうであってほしい・・・シエルは心から思った。 ここはなぜだか、居心地が悪い。 僕の知っているセバスチャンに逢いたい。 大丈夫だと言っていつものようにやさしく抱きしめてほしい。 シエルは、ほっそりとした自分の手の甲をつねってみると、とても痛かった。 痛いということは夢ではないのか。 セバスチャンは不安そうなシエルの心情を察し、優しく話しかける。 「男として、ですか?シエルは初めて逢った時から可愛らしい女の子でしたよ」 セバスチャンはそういうと、シエルを軽々と抱きかかえ、ベッドに座らせた。 シエルの肩にブランケットをかけると、セバスチャンもシエルの横に座った。 混乱している頭を整理しながらシエルは、自分の身に起こっていることをぽつりぽ つりと話しを始めた。 「今の僕は、これまで過ごしてきた人生とは全く違う人生にいるみたいだ。僕の両 親は何者かに殺され、僕自身も口にするのも嫌になるようなひどい目にあった。殺 されそうになった時、前に悪魔が現れ、僕は自分の魂と引き換えに僕の望みをかな える為、悪魔と契約をした。僕はその悪魔にセバスチャン・ミカエリスという名前 を与えた。そして、僕は女王の番犬として任務に就き、僕の両親を殺した者達が現 れるのを待っていたんだ。そうセバスチャンと共に待っている途中だったんだ・・・」 「私は、悪魔だったのですか・・・。シエル、私に恨みでもあるのですか?」 セバスチャンはショックを受けたようだったが、シエルの細い肩を抱き寄せ、自分 に寄りかからせた。 シエルの細い身体は、微かに震えていた。 セバスチャンは愛おしむように、小さな頭を優しくなで、シエルが落ち着くのを待 ってくれているようだった。 「私の知っているシエルの話しをしましょうか」 セバスチャンは、茶色の瞳を細め、優しく微笑んだ。 「シエルの家系は確かに昔から女王の番犬として、任務を任されています。それは、 同じようですね。シエルのお父様のヴィンセント様と私の父は古くからの親友で、 裏の世界の協力者でもありました。私は次男でしたから、家督は兄が継ぐことにな っていましたので、父とヴィンセント様との間で私とシエルを許婚にする話しが決 まっていました。私は、18歳の時から父と一緒にヴィンセント様の仕事を手伝い、 ファントムハイブ家の仕事を受け継ぐ為に、いろいろ教え込まれていました」 「そうだったのか。でも、伯爵家の次男がなぜ、僕の執事になったんだ?」 シエルのブルネットの長い髪をなでながら、セバスチャンは言葉を続けた。 「正確に言うと、家庭教師兼執事ですよ、シエル。ヴィンセント様とレイチェル様 がシエルの10歳の誕生日に事故でお亡くなりになりました。ファントムハイブ家の 特殊な事情もあり、女性であるシエルが女王の番犬として任務に就き、そして爵位 を受け継ぎ、会社の経営まで一人で行わなければいけなくなってしまいました。 シエルは事故に不信感を持っていたようで、女王の番犬として裏の世界の情報を得 ようとしていました。それを知った私は、シエルのそばに常にいて、守ることがで きるように家令のタナカさんと相談をして、自分の身分を隠し、シエルのそばにい られるようにしたのです。それに、シエルはまだ10歳の少女でしたから、急に許婚 だと言われて、私が現れても困るでしょうし。私は、シエルとは許婚だから、結婚 するということではなく、きちんと恋愛をして結婚をしたかったのです。結婚の約 束を忘れてしまったのであれば、もう一度、プロポーズをしなければいけないです ね」 セバスチャンは大きな青と紫のオッドアイの瞳で自分を不思議そうに見つめている シエルの左手をとると、自分の両手で包みこんだ。 (温かい・・・僕の体温よりも低い悪魔のセバスチャンとは違うんだな) 悪魔のセバスチャンと外見は同じだし、雰囲気もどことなく似ている。 僕が知っているセバスチャンは、どっちなんだろう。 セバスチャンの話し方、微笑み方、優しい瞳、似ているようだけれど、よく見てみ るといつも一緒にいる者にしかわからないほんの些細な違いに気がついた。 僕は今見ているセバスチャンの事をよく知っているんだ。 そのことに気がつくと、今まで自分の記憶だと思っていた少年のシエルの記憶から セバスチャンに聞いた話しがパズルのピースのように、組み合わされ、もう一人の 本来の自分のことを思い出し始めた。 大好きだったおとうさまとおかあさまが事故で死んでしまったこと。 セバスチャンが家庭教師兼執事として、僕のそばにいてくれると言ってくれて、と てもうれしかったこと。 セバスチャンと過ごしていく中で、セバスチャンを一人の男性として好きになって しまい、悩んだこと。 女王の番犬として生きることを決めた時に、女性としての幸せはあきらめたのに、 セバスチャンの言葉に心を動かされ、セバスチャンと身分の差の為に秘密の恋人同 士となったこと。 16歳の誕生日に真実を告げられ、かなうことがないと思っていたセバスチャンから プロポーズされ、喜んで受けたこと。 今まで、なぜ忘れていたのかわからないほど、鮮やかに次々と思いだされてきた。 白い頬をバラ色に染めて、うつむいているシエルに気づき、セバスチャンは顔を覗 きこんだ。 「・・・思いだしましたか、シエル?」 シエルは今までの態度を思い返すと恥ずかしくなり、それを悟られないようにそっ けなく答える。 「なんとなくだけど、思いだしてきた。でも、なんで、今まで僕は自分を男だと思 っていたんだろう?僕が経験したと思っていたことは全て夢だったということなん だろうか?」 シエルは疑問に思っていることを言葉にして、改めてあれはなんだったんだろうか と考え込んでしまった。 「何かの本で読んだことがあります。この世界には、いくつもの可能性があって、 別の空間に同じ人間が存在していますが、全く別の人生を送っていると。シエルは もしかすると、その可能性の1つである少年のシエルの人生を夢として見たのかも しれません。その人生があまりに強烈すぎて、自分自身のことだと勘違いしてしま ったのかもしれませんね」 「そうなんだろうか?だとしたら、もう一人の僕が過ごしている人生は僕のおくっ ている人生より、はるかに過酷なものだった・・・」 自分の記憶だと思ってしまうほどの強烈な人生。 シエル・ファントムハイブという存在は、どの空間のどの世界でも同じように愛し い両親を幼いころに亡くし、過酷な人生を歩むように運命づけられているのだろう か。 それとも、王室の歴史を陰から支えてきた英国裏社会を統べてきた闇の一族、特務 執行機関ファントムハイブへの永遠と続いてきた憎しみや恨みのせいなのかもしれ ない。 おとうさまとあかあさまを急な事故で亡くし、悲しみで泣く間もなく、女王の番犬 として任務に就いた。 それが当然だと思っていたし、おとうさまとおかあさまの不審な事故死の原因を探 ることができるかもしれないと思ったからだ。 女王の番犬として、任務につかないという選択肢も、もしかしたらあったのかもし れない。 でも、僕は自ら選び、女王の番犬となったのだ。 もう一人の僕と同じように。 それを後悔していない。 自分と同じ存在であるもう一人の僕も同じ気持ちだった。 明日、人生の1つの転機を迎える特別な時、何かの拍子でもう一人の存在に気がつ いたのかもしれない。 温かい涙が次々とシエルの手に落ち、シエルは初めて自分が泣いていることに気が ついた。 セバスチャンはシエルを抱き寄せ、頬を濡らす涙をすくい、頬に優しく何度もキス をした。 「泣かないで、シエル。私はシエルの涙に弱いのですから・・・」 「わからないけど、涙が止まらないんだ。僕はもう一人の僕にも、幸せになってほ しいんだ」 「私もシエルには幸せでいてほしいと思っていますよ。少年のシエルにも、もう一 人の私がいたのでしょう?」 「いつもそばにいてくれたよ。どんな時も。僕はセバスチャンの事を愛していて、 悪魔なのにセバスチャンは、僕を愛していると言うんだ。おかしいだろう?」 シエルはその時のことを思い出して、ふと微笑んだ。 そう少年の僕は、今の僕と同じようにセバスチャンを愛していた。 心から愛している。 その想いは一緒だと思えた。 「悪魔が愛してしまうほど、少年のシエルも美しいのでしょうね。見てみたいよう な気もしますが、私は、今、目の前のシエルに夢中ですから、やめておきましょう」 セバスチャンはシエルの頬に手を添えると、赤く色づいているシエルのふっくらと した唇に自分の唇を重ねた。 やわらかいシエルの唇の感触を愉しむように、何度も啄ばむようなキスを繰り返す。 シエルはセバスチャンのたくましい首に細い腕をまわすと、 「・・・もっとキスして、セバスチャン」 甘えるようにそう言うと、うるんだ青と紫のオッドアイの瞳でセバスチャンを見つ めた。 「・・・可愛いおねだりですね」 セバスチャンは、シエルを強く抱きよせると、角度を変えて深く口づけた。 シエルは戸惑いながらもセバスチャンに教えられたように、唇を少し開けると、セ バスチャンの舌がすぐにはいってきて、逃げたシエルの舌を絡め取った。 「・・・ん・・・んふぅ・・・ん・・・」 シエルの息が苦しくならないように、呼吸する感覚を与えながら、お互いの舌を絡 めあわせ、どちらの唾液なのかだんだんわからなくなっていく。 水の音が静かな部屋の中ではっきりと聞こえ、シエルの耳を侵していく。 セバスチャンの大きな手が優しくシエルの背中をネグリジェの上からなでると、シ エルの口から甘い吐息がもれる。 「・・・ん・・・セバス・・・チャン・・・」 シエルは惚けた瞳でセバスチャンを見つめる。 「こんな顔を他の誰にも見せないでくださいね、シエル」 見せるはずもないのに、セバスチャンはシエルとキスをするようになってから、何 度となく言うようになったセリフの1つ。 「・・・見せるはずないだろう。僕がキスをするのは、セバスチャンだけなんだか ら」 シエルはむっとしたように答えると、セバスチャンはにこやかに微笑む。 社交界デビューをして、すぐに結婚を決めてしまったシエルに、社交の場で伝え聞 いていたシエルの美貌を見ることを心待ちにしていた男性達を落胆させているなど と言うことは全く知る由もなかった。 シエルに他の男が近づくのをセバスチャンが避けていたというのもあるのだが。 その為か、噂が噂を呼び、社交界デビューの後も、なかなか夜会に姿を見せないシ エルの容姿については、いまだ神秘に包まれているのだ。 10歳のシエルを大切に守り、育ててきたセバスチャンとしては、他の男達の視線に シエルをさらすのは我慢できないことだったのだ。 大人げないと言ってしまえば、それまでなのだが・・・。 「今からシエルのウェディングドレス姿が楽しみですね」 本来であれば、盛大な結婚式を挙げても良いのだが、シエルがそれを嫌い、明日は、 近親者のみで教会で式を挙げることになっているのだ。 「記憶が戻ってきているとはいえ、なんだかまだ信じられない」 シエルは戸惑ったような、困惑したような表情をしている。 嬉しいはずなのに、素直に喜べないのは、もう一人の自分のことを思っているから なのだろう。 「・・・シエル。花嫁さんがそんな顔をしていたら、私と嫌々結婚するのかと思わ れてしまいますよ」 セバスチャンは冗談ぽく言ったのだが、うつむいていたシエルは慌てたように、顔 を上げ、真剣な眼差しでセバスチャンの茶色の瞳をじっと見つめている。 「そ、そんなことない。絶対にないから」 ずっと好きだったセバスチャンと結婚ができるというのに、自分は何をしているの だろう。 僕は僕なのだから。 今の僕の人生をしっかり生きていけばいいんだ、セバスチャンと共に。 「愛していますよ、シエル、これから先もずっと」 シエルの細い身体を強く抱きしめ、セバスチャンはシエルの耳元で低く囁いた。 一瞬、シエルはくすぐったそうに瞳を細めたが、首にまわした手でセバスチャンの 漆黒の髪を愛おしむように指に絡める。 「僕も愛してる。セバスチャンだけをこれから先ずっと」 セバスチャンの肩口に顔をうずめ、自分を安心させてくれる腕の中でシエルは瞳を 閉じる。 「おとうさまとおかあさまにも見せたかった・・・」 シエルはぽつりとつぶやいた。 「きっと天国から祝福してくれていますよ、シエル」 「うん」 自分の頭を優しくなでてくれるセバスチャンの手は、子供の頃、同じように頭をな でてくれたおとうさまを思い出す。 「絶対に幸せにします、シエル」 「セバスチャンは幸せ?」 うっとりと瞳を閉じていたシエルは、急に瞳を開けるとセバスチャンの茶色の瞳を 見つめる。 「もちろん、幸せですよ」 「よかった。僕だけが幸せじゃ意味がないもの。セバスチャンと僕、両方が幸せじ ゃないと。だから、セバスチャンの事は僕が幸せにするから」 シエルは大きなオッドアイの瞳を細めて、嬉しそうに微笑む。 久しぶりにシエルの心からの笑顔を見たような気がする。 笑顔が似合う少女だったシエルが、両親を亡くしてからは、あまり笑わなくなって しまった。 それでも、セバスチャンと一緒にいるようになってから、時々、笑顔を見せるよう になっていたけれど。 (明日は、レディ・エリザベスの言うように、以前の笑顔が見たいですね) セバスチャンは、腕の中のシエルを愛おしむように抱きしめ、額に優しくキスをし た。 ◆ ◆ ◆ シエルはセバスチャンと共にディナーを・・・といっても、セバスチャンが執事の 役をしながらという奇妙なディナーなのだが・・・すませた。 ファントムハイブという特殊な家柄の為、新たに執事を雇いいれるのも難しいとい うこともあり、セバスチャンはシエルとの結婚後も執事を続けると言って譲らない のだ。 確かに、セバスチャンは有能な執事だけれども、これからはシエルと共にファント ムハイブ家の主人となり、裏社会を統べる存在になるのに。 自分よりも有能な執事がいたら雇い入れてもいいというセバスチャンの意見がある ので、たぶんこのままセバスチャンが執事を続けていくことになりそうなのだが。 自分の部屋に戻ってから、シエルは、いつもより早めにメイリンに入浴の手伝いを してもらい、明日に備えて入念に入浴を済ませた。 ベッドサイドに座ると、シエルはふーっと大きく息を吐く。 白い頬は、入浴の為、ほんのりバラ色に染まり、身体もほてったままだった。 明日、私はセバスチャンの妻になる。 なんだか、まだ信じられない。 女王の番犬として任務に就いた時、女性としての幸せは望まないと決めていたのに。 いつの間にか、セバスチャンがその心を溶かし、シエルにとって、いなくてはなら ない存在になっていた。 誰にでも幸せになる権利があるのだと、セバスチャンはいつも言っていた。 私の背負っているものを一緒に背負ってくれると言ってくれたセバスチャン。 私はなんて幸せなんだろう。 シエルはベットに倒れこむと、淡いピンクの天蓋を見上げた。 この部屋は明日から、私とセバスチャンの寝室へと変わる。 子供の私には、広すぎて、おとうさまとおかあさまが亡くなってからは、よくセバ スチャンの部屋に行って、一緒のベッドで眠ってもらったものだ。 ふと懐かしくなって、シエルは身体を起こすと、赤いガウンをはおって、部屋をで た。 まだ、セバスチャンは部屋にいないかもしれない。 それでもよかった。 暗くて怖かった長い廊下は、今もまだ少し怖いけれど。 使用人達の部屋が並ぶ廊下にたどりつくと、懐かしさと安堵感に満たされる。 セバスチャンの部屋の扉を控えめにノックすると、すぐに扉が開かれた。 「シエル!?どうしたのですか?」 扉の前に立つシエルを見て、セバスチャンは驚いたようだったが、すぐに部屋に招 き入れてくれた。 「なんだか、昔のことを思い出していたら、ここに来たくなって・・・」 シエルはいないと思っていたセバスチャンが、部屋にいたこともあり、急に恥ずか しくなってしまった。 「そういえば、昔はよく私の部屋に泣きそうな顔をしながら、来ていましたね。そ のことを言うと、シエルは泣いてないと膨れていましたが・・・」 セバスチャンはシエルの上気したままのバラ色の頬を突っつく。 「だって、まだ泣いてなかったもの」 シエルはセバスチャンの身体に抱きつくと、上目づかいでセバスチャンを見つめる。 「・・・シエル。今夜は、一人で過ごす約束ではなかったですか?」 抱きついてきたシエルを優しく抱きしめながら、セバスチャンはため息をつく。 「そうだったかしら?きっとさっきの夢のせいで忘れてしまったのね」 いたずらっぽく笑うと、シエルはセバスチャンのシャツの胸元に顔をうずめ、青と 紫のオッドアイの瞳を閉じる。 大好きなセバスチャンの匂いは、どんな時もシエルを安心させてくれた。 「困ったシエルですね。他の使用人達がいくら私たちの関係を知っているとはいえ、 今日くらいは、別々に過ごしましょうと約束したはずなんですけどね」 「セバスチャンは私と一緒に過ごしたくないの?」 シエルは小首をかしげて、セバスチャンを見つめる。 「もう一人の少年のシエルの世界では私が、悪魔だったようですが、この世界では シエルが小悪魔のようですね」 自分がどれだけ魅力的な女性なのか、自覚がないというのは怖いもので・・・。 透けるように白い肌はなめらかで、触ると手にすいつくようにしっとりとしている。 ブルネットの長い髪は、セバスチャンの手入れの賜物で、さらさらと揺れるたび、 美しい艶が内面からあふれ出ている。 大きな青と紫のオッドアイの瞳は、入浴後ということもあり、熱で少しうるんでい た。 ふっくらとした唇はベリーのように赤く色づいている。 他の女性がうらやみそうなコルセットを必要としないほど、細くくびれたウェスト。 10歳の時からシエルのそばにいて、執事として身の回りの世話をしてきたセバスチ ャンにとって、美しく成長したシエルを見ることは嬉しいことであり、どこにだし ても恥ずかしくないレディに育てたつもりだ。 だからこそ、心配事が多いのだが・・・。 「小悪魔?なんのこと?」 シエルはセバスチャンの言った意味がわからず瞳を瞬く。 「なんでもありませんよ、シエル。折角、シエルが夜這いに来てくれたのですから、 期待に応えないといけないですね」 セバスチャンはそういうと、シエルを軽々と抱きかかえ、ベッドへと連れて行き、 シエルをベッドにおろすと、自分もベッドに乗り、シエルのそばに近づいていく。 「今日はダメ。昔みたいに腕枕をしてもらいながら寝るつもりで来たんだから」 シエルは慌てて、セバスチャンの腕から逃れると、布団の中にもぐりこんでしまっ た。 「・・・やっぱり小悪魔ですね・・・」 セバスチャンは苦笑すると、サイドテーブルの灯りを消し、シエルの待つ布団の中 に身体を滑り込ませる。 「セバスチャン、早く、早く」 シエルにシャツを引っ張られ、セバスチャンが腕を伸ばすとすぐにシエルの小さな 頭の重さが腕に伝わってきた。 「もっとくっついてもいい?」 シエルの甘い囁きに、軽く眩暈を感じながら、 「いいですよ」 と答えると、シエルの温かい身体がより近くなる。 「こうしていると、昔みたいね」 シエルは嬉しそうに言うが、セバスチャンにとってはもはや、寝るどころの話しで はない。 男心をもう少し教えておくべきだったとセバスチャンは後悔する。 月明かりがうっすらと入ってくる部屋の中。 セバスチャンに頭をなでられていると、話したいことがたくさんあったのに、シエ ルの目蓋は本人の意思に反して閉じてしまった。 昔は二人で寝ても広く感じられたベッドも、今のシエルとセバスチャンではちょう どいいくらいだった。 ここで過ごすのも今日で最後。 そして、シエルとこのベッドで寝るのも最後。 幼いシエルが眠りにつくまで、頭をなでていたこと。 眠った後、シエルが両親の名前を呼びながら、泣いていたこと。 女王の番犬としての威厳を保つために誰にも見せなかった涙。 今も、屋敷から外に出れば、女王の番犬として、またファントム社の経営者として の勝気な女性のシエルがいる。 せめて自分といるときは。たくさん甘えさせてあげたいし、安らぎを与える存在で いたいと思っていた。 少し早いかと思ったが、16歳の誕生日に全てを明かし、シエルと共に生きること をシエル自身に誓ったのだ。 やわらかなシエルのブルネットの髪にキスをする。 ふと、シエルを見ると瞳を閉じて、寝息をたてていた。 今日一日、いろいろなことがありすぎて疲れてしまったのだろう。 シエルの白い頬に優しくキスをすると、セバスチャンはシエルを優しく抱き寄せ、 自分も目を閉じる。 「良い夢を、シエル」 ◆ ◆ ◆ 闇に覆われていた部屋に少しずつ、太陽の光が差し込んでくる。 執事の朝は早く、夜は遅い。 昨日は、シエルと共に早々と眠ってしまったが・・・。 腕の中で、穏やかな寝息を立てているシエルは精巧に作られたビスクドールのよう に美しい。 規則正しく胸が上下にしていなければ、人形と見間違えてしまいそうだ。 このまま寝かせておいてあげたいと思うのだが、シエルが目を覚ました時に、セバ スチャンがそばにいないと不機嫌になるので声をかけるようにしている。 「シエル、そろそろ私は起きますけど、どうしますか?」 「・・・ん・・・もう、そんな時間?」 シエルはもそもそ動くと、セバスチャンの胸元に顔をうずめる。 「みんなが起きる前に部屋に戻りませんか?」 頭を優しくなでながら、シエルの耳元で囁く。 シエルの父親代わりでもある家令のタナカに見られたら、さすがに気まずい。 「ふふ・・・くすぐったい。わかったわ。部屋に戻るわ」 シエルは身体を捩りながら、瞳を開ける。 「おはようございます、シエル」 「おはよう、セバスチャン」 朝の挨拶もそこそこに、二人は軽くキスを交わす。 いつもと変わらない朝の風景。 二人にとって、特別な日の始まりにシエルは、ドキドキと胸が高鳴っていた。 セバスチャンはシエルを抱き起こすと、そのまま抱えて、自室を後にする。 まだ薄暗い静かな廊下を歩いている間、シエルはセバスチャンの首に細い腕をまわ し、まだ整えられていないセバスチャンの髪に指を絡めながら、足をぶらぶらさせ ていた。 その仕草は、幼い子供の頃のシエルを思い出させる。 「シエルは、小さな子供に戻ってしまったみたいですね」 セバスチャンは苦笑しながら、シエルを見る。 「そ、そんなことはないわ。私はもう子供じゃないわ。立派なレディよ」 恥ずかしい気持ちをごまかす為に、つい無意識のうちに行っていた行動が子供に戻 ってしまったようだと言われてしまい、シエルは余計恥ずかしくなってしまった。 白い頬をバラ色に染め、セバスチャンから視線を逸らす。 部屋に着くと、セバスチャンはシエルをベッドに静かに下ろした。 「まだ時間はありますから、横になっていてはいかがですか?」 セバスチャンは、そういうと後でまた紅茶をもって伺いますと言って、部屋を後に した。 シエルはベッドに仰向けに倒れこむと、枕元に置いてあったビターラビットを抱き しめながら、淡いピンクの天蓋を見上げた。 私はもう子供じゃない。 それはセバスチャンがよく知っているはずなのに。 誰かに守られるだけのか弱い子供の自分は嫌。 フランシス叔母様のように強くなりたくて、武術や剣術、自分の身を守る術は身に 付けた。 マダム・レッドには、もっと女の子らしくしなさいといまだに言われるけれど。 女王の番犬として生きることを決めた私には、女の子らしさなんて不必要なものだ ったから。 その私が、セバスチャンを好きになり、結婚することになるなんてまだ信じられな い。 今日からは、夜もずっと一緒にいられることが恥ずかしくもあり、うれしかった。 一緒に寝ていてもシエルの方が先に寝てしまうので、今まで1回しかセバスチャン の寝顔を見たことがないのだ。 それも、まだ恋人同士になる前の事で、珍しく早く目が覚めたシエルは、セバスチ ャンがまだ寝ているのをみて、最初は寝たふりをしているのではないかと様子をう かがっていたのだが、熟睡しているようなので、安心した。 セバスチャンの見たことがない顔を見れた嬉しさと独り占めしている喜びを今もよ く覚えている。 意外と長い睫毛、端正な顔立ち、薄い唇。 しばらくじっと見ていたけれど、セバスチャンの漆黒の髪に触ってみたくて、恐る 恐る手を伸ばし触ってみた。 やわらかい髪のさわり心地がよくて、髪を何度か指に絡めて見たけれど、セバスチ ャンが起きる様子がないので、ずっと触れてみたかったセバスチャンの唇にゆっく り手を伸ばし、触れてみた。 すごくやわらかくて、いつも頬にキスしてくれる時よりもずっとやわらかく感じた。 もっと触れてみたい・・・セバスチャンの腕の中にいたシエルは、もぞもぞと身体 をゆっくり起こすと、セバスチャンの唇に自分の唇を重ねてみた。 先程までのやわらかさとは、比べようもないくらいやわらかい感触にびっくりして、 すぐに離れてしまったけど。 今、考えてみると、あれが初めてのセバスチャンとのキスだったんだ。 シエルは、ビターラビットにキスをして、ぎゅっと抱きしめる。 扉をノックする音が聞こえ、セバスチャンが紅茶を運んできた。 「・・・やっぱり起きていたんですね、シエル」 いつもの執事の格好をしたセバスチャンは、手早く紅茶の用意をする。 「色々、思いだしていたら、眠れなくなってしまったの」 シエルはあの時のことを思いだし、笑っている顔を見られるのが、恥ずかしくてビ ターラビットで顔を隠す。 「何を思いだしていたんですか?」 「ふふ・・・内緒」 シエルは身体を起こすと、差し出されたソーサーを受け取り、細い指でティーカッ プを持ち、ミルクティーを一口飲んだ。 「内緒・・・ですか?ますます知りたいですね」 「内緒は内緒よ。誰かに言ってしまったら、内緒ではなくなってしまうわ」 シエルは唇に人差し指をあて、にっこりと微笑む。 「シエルと私の間で内緒・・・秘密なんてありましたか?」 「・・・あるのよ。セバスチャンが知らないだけで・・・」 紅茶を飲み終えたティーカップをソーサーに戻し、セバスチャンに手渡すと、シエ ルはその言い方に何か含みがあるように感じて、逆に気になってきた。 もしかして、あの事を知っているんじゃないかしら。 シエルは子供の頃だったとはいえ、寝ているセバスチャンにキスをしたことを知ら れているのではないかと思うと恥ずかしくなって、顔がほてってくるのがわかった。 「セバスチャン、何か思い当たることがあるの?」 「そうですね。私がシエルに言っていないことを内緒というなら、秘密があるかも しれませんね」 セバスチャンはにこにこしながら、焦り始めたシエルを見つめている。 やっぱりばれているの? でも、何かおかしい。 セバスチャンが私に言っていないことがある? それってどういうこと? 他に付き合っている女性がいるとか? シエルの顔がだんだん曇っていくのをセバスチャンは相変わらずにこにこしながら 見ている。 「セ、セバスチャン。私たちこれから夫婦になるのよね?秘密があるのはよくない と思うんだけど・・・後々、喧嘩の元になったりするかもしれないし・・・。今な ら、昔のことも許すわよ」 「そうですか?神様に懺悔するより前に、シエルに懺悔しておいた方がいいですね」 セバスチャンはベッドサイドに座ると、はぁーとため息をつくと、真面目な顔でシ エルを見つめた。 「な、なにかしら?」 無意識にシエルの声が上ずる。 「何から話しておきましょうか・・・」 セバスチャンは腕組みをして、思案している。 「えっ、そんなにたくさんあるの?」 嫌なことを色々考えてしまって、どんどん不安になっていく。 「そうでもないと思いますよ。例えば、朝、寝ているふりをして、シエルが何をす るのか、様子をうかがっていたら、キスをされてしまったりとか・・・」 「寝てるふりしてたの?」 シエルの大きな青と紫のオッドアイの瞳がより大きくなる。 「はい。シエルが何をするのか興味があったので、寝たふりをしていましたが、ま さか、キスされるとは思っていませんでしたから、びっくりして起きてしまいそう になりました。あとは、そうですね・・・寝ているシエルによくキスしたり・・・ これは、シエルも私にしていましたから、お互い様ですね」 「そ、そうね。あとは?」 「うっかりキスマークを付けてしまったのを虫さされだとごまかしたり、シエルの 見えないところつけたり・・・」 「・・・あとは?」 「胸が大きくなるように寝ている間に触ったり・・・」 「・・・」 「シエル、どうしたんですか?そんな呆れたような顔をして」 「セバスチャンは、私が寝ている間に気がつかないと思って、そんなことばかりし てたの?」 「無防備に横で寝ていられると、私も男ですからね。どこまでしたら、シエルが起 きるのかなと思いまして・・・」 「セバスチャンのエッチ!!」 ビターラビットをセバスチャンに向かって投げつけると、セバスチャンの身体にあ たり、膝に落ちる。 「シエルが可愛すぎるからいけないんですよ」 ビターラビットをサイドテーブルに置くと、シエルをベッドへ押し倒し、セバスチ ャンは耳元で低く囁く。 「・・・ん、くすぐったいってば」 「くすぐったいだけですか?」 シエルはセバスチャンのたくましい胸を細い腕で押すが、びくともしない。 「10歳の時からシエルのそばにいて、ずっと守ってきたんです。それくらいご褒美 をもらっても許されると思うのですが、マイ・レディ?」 「許してあげるわ。私の心も身体もずっと前からセバスチャンのものだから。でも、 セバスチャンの心も身体も私だけのものよ」 セバスチャンを見上げる青と紫のオッドアイの瞳には、強い意志が込められている。 この強い意志のこもった瞳がセバスチャンが魅了してやまない。 「初めてシエルを見たときから、私の心も身体も全て、シエルだけのものですよ。 ずっとシエルが欲しかった」 シエルの白い頬に唇を近づける。 「私も初めて見たときから、セバスチャンがほしかったわ。今日、それがかなうの ね」 シエルはセバスチャンの頬に手を添えて、自分の唇をセバスチャンの唇に重ねる。 軽くキスを交わし、二人で微笑みあう。 「そろそろ朝食を食べて、式の準備をしないといけないですね。今日は時間に遅れ るわけにはいきませんから。この続きは、夜ですね・・・」 「えっ?」 セバスチャンは立ち上がると、白い頬をバラ色に染めているシエルを抱き起こす。 「おや、不満ですか?」 「そんなことないわ」 シエルは慌てたように、セバスチャンから離れる。 大胆な言動をとったかと思うと、急に恥じらいの表情を見せる。 その二面性が、セバスチャンにとっては可愛くて仕方がない。 「それでは、着替えの用意を致しましょうか、シエル?」 セバスチャンは驚いているシエルを気にする様子もなく、衣裳部屋に入っていく。 「待って、セバスチャン。私の着替えは、だいぶ前からメイリンの仕事になってい たはずだけど・・・」 「今日から、またシエルの身の回りの世話は、私がすることになりました。ファン トムハイブの執事・・・いえ、主人たるもの自分の妻の身の回りのことができず、 どうしますか?」 何着かの洋服を手に取り、迷っている様子のセバスチャンは当たり前にように言う。 「夫に世話をしてもらっている奥さんなんていないと思うんだけど・・・」 逆はあるかもしれないけれど。 セバスチャンに手をひかれ、衣裳部屋に入り、姿見の前で洋服をシエルに合わせ、 今日のイメージではないですねと独り言を言っているセバスチャンには聞こえてい ないようだ。 「セバスチャンは、私の夫になるのであって、執事ではないのだから、身の回りの ことはしてくれなくてもいいのよ」 半ば呆れ気味にシエルが言うと、セバスチャンは真剣な表情でシエルの細い肩に手 を置く。 「だからこそ、人の目を気にしないで、シエルの身に周りの世話ができるのではな いですか」 「・・・はぁ?」 少しの間の後、シエルはセバスチャンの言葉の意味がわからず、聞き返してしまっ た。 「少し前まで、シエルの着替えや入浴は私の仕事でしたけど、シエルも年頃になっ たということことで、メイリンに仕事を引き継ぎましたが、やっぱりシエルの身の 回りの世話は私ではないと、どうも落ち着きません。シエルの美しさを引き立たせ ることができるのは私だけですから」 何を真剣な表情で語っているんだろう・・・。 シエルは呆れるのを通り越して、どうでもよくなってしまった。 セバスチャンはこう言いだしたら、何を言っても無駄だということをよく知ってい るからだ。 「・・・わかったわ。セバスチャンの好きにしていいわ」 シエルはため息をつくと、セバスチャンに手伝ってもらい、服を着替えると、朝食 の為、食堂へと向かった。 「おはようございます、お嬢様」 扉をセバスチャンがあけると、いつも以上に明るい声が聞こえてくる。 タナカ、バルドロイ、フィニアン、メイリンが食堂で並んで待っていた。 「おはよう、みんな」 シエルはにっこりと笑うと、部屋に入ると、部屋の中がいつもより華やかに飾りつ けられていることに気がついた。 「これは、どうしたの?」 シエルは不思議そうに、部屋の中を見回しながら、セバスチャンが引いてくれた椅 子に座る。 「今日は、お嬢様とセバスチャンさんの結婚式なので、みんなでお祝いをしようと 思って、僕たちで飾り付けしてみました」 フィニアンがにこにこ嬉しそうに笑いながら、シエルの好きな白バラを1本差し出 した。 「・・・ありがとう、フィニアン。とってもうれしいわ」 白バラを受け取ると、シエルは青と紫のオッドアイの瞳を閉じ、白バラの匂いを堪 能する。 「お嬢様、私たちが本当にお式へ参列しても、よろしいのでしょうか?」 メイリンが不安そうな顔で聞いてきた。 「いいのよ。だって、タナカ、バルドロイ、メイリン、フィニアン。みんな私の家 族みたいなものだもの。気にせず、参列して。衣裳も用意したのだから」 シエルのその言葉を聞くと、三人は口々にお礼の言葉を言う。 本当に祝ってほしい者しかよばない。 それがシエルの考えだったから。 いつも自分の為に命をかけてくれる皆に感謝の気持ちを込めて。 「マイ・レディ。朝食が覚めてしまいますよ。皆さんも時間までに各自の仕事を終 わらせるように」 セバスチャンの指示が出ると、三人は部屋を出て行った。 「お嬢様、本当に私がエスコートしてもよろしいのでしょうか?」 タナカは、使用人という立場なのに、父親役をお願いされるという大役に戸惑って いるようだった。 「タナカは、私にとって父親のような存在よ。私を一人でヴァージンロードを歩か せるつもり?」 シエルはセバスチャンが入れてくれた紅茶を一口飲む。 「そんな事はさせられません。しかし、私は使用人ですから・・・お気持ちは嬉し いのですが、立場をわきまえませんと・・・」 「今日だけ特別ということではダメ?おとうさまの時から、ファントムハイブ家に 仕えてくれているタナカにしか頼めないお願いなのだけど」 シエルは戸惑っているタナカにどうしたものか、思案しながら、セバスチャンの方 をちらりと見る。 「タナカさん、私からもぜひお願いします」 セバスチャンは、シエルの意図を感じとり言葉を続ける。 「お二人にそう言っていただけるのであれば、断ることはできません。誠心誠意、 大役を務めさせていただきます」 タナカは一礼をすると、嬉しそうに目を細めた。 「ありがとう、タナカ。とても心強いわ。私一人では、緊張してヴァージンロード を歩けないかもしれないと心配していたから」 「私も少し心配でしたし。昨日のように緊張のあまり倒れてしまうのではいかと・・・」 セバスチャンもシエルと同じテーブルにつくと、食事を始めた。 「それでは、今朝は私が執事の役を務めさせていただきますので、ゆっくりお食事 下さい。旦那様」 そういうとセバスチャンのティーカップに紅茶を注いだ。 「ありがとう、タナカ。でも、朝食の間だけだ。私は執事の仕事が気に入っている のでね」 セバスチャンがそういうと、シエルはくすくすと笑いだした。 「どうしたのです、シエル。いえ、マイ・レディ」 「いいのよ、シエルで。ファントムハイブ家は特殊な家だけど、これからはもっと 特殊な家になるのだなと思って」 「そうですね。それもまた新しいファントムハイブ家になっていいのではないです か」 「えぇ、二人で新しいファントムハイブ家を作っていくのだから。これから、楽し みだわ」 二人で朝食をとる・・・そんな当たり前のことが、幸せだと思えるようになった自 分の気持ちの変化にも驚いていた。 おとうさまとおかあさまが亡くなった時には、こんな風に誰かと笑いあいながら、 食事ができるようになるなんて思っていなかった。 セバスチャンがそばにいてくるようになったから、というのが一番の理由だと思う けど。 ずっとこんな幸せが続くと良いのに。 シエルは心から思った。 ◆ ◆ ◆ |
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「瞳の奥をのぞかせて」 この世にはかなう想いとかなわない想いがある。 一度失ってしまったものは、二度と戻らないように。 いくら想っても、届かない想いがあるように。 かなわない想いなら、最初から望まない方がいい。 この想いがなんという感情なのか、僕は知りたくない。 僕にとってこの想いはきっと不必要なものだから。 ◆ ◆ ◆ 「坊ちゃん、庭の桜が見ごろになってまいりました。今年は趣向を変えて、夜桜を 見に参りませんか?」 広大な敷地に建っているファントムハイブ邸には、家令のタナカが故郷を偲んで数 十本の桜の木が植えられている。 その桜を見ることは、毎年シエルの楽しみの一つになっているのだ。 シエルの横で、アフタヌーンティーの用意を流れるような優雅な動作で進めている 黒い執事はにこやかに微笑みながら言った。 「夜桜か・・・暗くてはせっかく咲いている桜も見えないだろう。それに、夜はま だ寒いんじゃないか?」 自分の執事兼『恋人』の誘いの言葉に、会社の書類に目を通していたシエルは、め んどくさそうに顔を上げる。 この小さな『恋人』の返事を予想していたかのように、セバスチャンは茶色の瞳を 細め、言葉を続けた。 「幸い今夜は満月でございます。月の光の下で見る桜は、普段見る桜とは違い神秘 的だとタナカさんもお話しされてましたよ。寒がりな坊ちゃんの為に、温かい飲み 物とスイーツを用意致しますので、いかがでしょうか?」 「本当か?それなら考えてやってもいいぞ」 今、目の前に色とりどりのフルーツがたくさんのったタルトが用意されているにも かかわらず、スイーツと聞いて、シエルは深い青色の瞳を輝かせている。 「では、決まりですね。他の使用人に知られてしまうと、大騒ぎになってしまいま すから、二人だけで参りましょう」 紅茶を注いだティーカップを執務机の上に置くと、セバスチャンはシエルの形のい い耳に口元を近づけて、低く囁いた。 「なっ・・・急に何をするんだ!!」 シエルは耳を押さえて、白い頬をほんのりと赤く染め、大きな椅子からずり落ちそ うになりながら、いまだ自分の顔の近くにあるセバスチャンの顔を睨んだ。 「相変わらず、耳が弱いですね、坊ちゃんは。『恋人』同士になってから半年も経 つと言うのに・・・」 セバスチャンは白絹の手袋で覆われた手を伸ばし、シエルのほんのり赤く染まった 頬を優しくなでる。 「・・・し、仕方ないだろう。慣れないものは慣れないんだ・・・」 拗ねたような口調で言いながらもシエルは、自分の頬をなでる手に甘えるようにす り寄る。 シエルにその自覚はないのかもしれないが、その仕草はセバスチャンの好きな猫を 思い出させる。 (猫は猫でも血統書つきの高貴な猫ですが・・・) セバスチャンはふと口元を緩ませる。 「嗚呼・・・私の愛しい坊ちゃん」 恥ずかしそうにうつむいているシエルの顎に手をあて、少し上を向かせると、セバ スチャンはそのふっくらとした唇に自分の唇を重ねる。 シエルのやわらかい唇の感触を楽しむように何度も軽く唇を合わせるだけの軽いキ スを繰り返す。 悪魔のセバスチャンにしかわからない甘い香りがシエルの身体から薫ってくる。 「・・・坊ちゃん、もっとキスしてもよろしいですか?」 「・・・す、好きにしろ・・・」 そっけない言葉とは裏腹に、セバスチャンを見つめるシエルの青い瞳が少しうるん でみえるのは気のせいだろうか。 (本当にかわいい方ですね。これでもう少し素直だといいのですが・・・) セバスチャンは心の中で苦笑しながらも、シエルの小さな身体を片手で胸元に抱き 寄せ、ブルネットのやわらかい髪をなでた。 シエルは戸惑いながらもセバスチャンのたくましい首に細い腕をまわし、真紅に変 わった瞳を覗きこむようにみつめていた。 (僕はセバスチャンの瞳にどんな風に映っているんだろう?) ただの特別な魂の入れ物? か弱く、自分では何もすることができない子供? 悪魔の欲望を満たすための玩具? セバスチャンとのキスで与えられる頭の芯がぼーっとするような感覚は決して嫌い ではないけれど、どんな意味が込められているのかを考えるときりがない。 セバスチャンは角度を変えて、シエルの唇に深く口づける。 シエルの狭い口腔の中に舌を侵入させ、小さな形の整った歯を舌でなぞっていく。 「・・・ん・・・んふぅ・・・ん・・・」 シエルの口から甘い吐息がかすかにもれてくる。 甘い香りが一層強く薫り、セバスチャンの鼻先をくすぐるように広がっていく。 シエルは、小さな舌をセバスチャンの舌にからませようとするが、すぐに逃げられ てしまい、逆に強くからめとられてしまう。 いつもはそっけない態度をとっているシエルもこの時ばかりは、セバスチャンとの キスに夢中になってしまう。 お互いに名残惜しそうに唇を離すと、セバスチャンがもう一度シエルを抱き寄せ、 軽く唇を重ねる。 「坊ちゃんのキスはいつも甘いですね」 セバスチャンは肩口に顔をうずめているシエルを壊れものを扱うように優しく抱き しめる。 「・・・セバスチャンだって、そうだぞ」 今にも消えてしまいそうなほど、小さな声でシエルはつぶやく。 「そうですか?さすがに自分のはわかりませんからね。あぁ、せっかく入れた紅茶 が冷めてしまいましたね」 机の上に置かれた紅茶からすっかり湯気が消えてしまっている。 セバスチャンはシエルを椅子に座らせると、乱れてしまった髪やリボンタイ、服装 をすばやく直し、ティーカップを下げようと手を伸ばした。 それを制するようにシエルがティーカップに細い手を伸ばし、一口飲んだ。 「いや、これでいい」 「よろしいのですか?それでは、後でさげに参ります」 さっきまでの甘い笑みは消え、いつもの執事の表情に戻ったセバスチャンは、一礼 して部屋を出て行った。 その後ろ姿を見ていたシエルは、心の中でため息をつく。 (『愛しい』・・・か。偽りの言葉だとわかっているのに、うれしいと思ってしま うのはなぜなんだろう?あいつは、このことに気づいているのだろうか?) 今あったことをフィルムを巻き戻すように思い返し、自分の態度に不審なところは なかっただろうかと考えてみる。 いつものようにあいつのいう『恋人』でいられただろうか。 シエルは先程交わしたセバスチャンとのキスを思い出し、しっとりとぬれた唇に触 れる。 想いのこもっていない偽りのキスだとわかっているのに。 それを思うとシエルの胸は切なく痛んだ。 自分の今の感情を自覚してしまったら、あの悪魔はなんと言うのだろうか? 僕を蔑むのだろうか? 嘲笑うのだろうか? 決して、この想いがなんという感情なのか考えてはいけない。 こんな必要のない想いは、早く自分の心から切り捨ててしまわなければ。 この感情に気づく前の自分に戻らないといけない。 これはただの悪魔との『ゲーム』だ。 甘い言葉も態度も悪魔の手管の1つなんだ。 そう思っているのに、なぜ心はこんなに揺れ動くのだろう。 セバスチャンがシエルの為に作ったフルーツタルトを一口食べる。 (味がよくわからない・・・) 涙でぼやける視界でフルーツタルトを見つめ続けた。 ◆ ◆ ◆ 事の発端は、セバスチャンがもちかけた『ゲーム』だった。 「契約が終了するまでの間、私と『ゲーム』をいたしませんか?」 ゲームの天才といわれるシエルだ。 どんなゲームでも負けたことがない。 悪魔が持ちかけてくるゲームとはどんなものなのだろうか。 興味を覚えつい聞き返してしまった。 「・・・どんなゲームだ」 「簡単なゲームです。私と坊ちゃん、二人でいるときは『恋人』同士としてふるま うのです」 シエルは読みかけていた本をあやうく落としそうになってしまった。 「なんで、僕が執事のお前と恋人同士のまねごとなんてしないといけないんだ。意 味がわからないぞ」 睨みつけるシエルを気にする様子もなく、セバスチャンは言葉を続ける。 「恋をしたことがない坊っちゃんには、難しいゲームでしたか?」 人を小馬鹿にするような笑みを浮かべながら、セバスチャンはシエルを見下ろして いる。 「そういう問題じゃない!!なんで男の僕とお前が恋人になるんだ!!だいたい、 恋人同士のふりをすることに意味があるのか?」 周りから優秀な執事だと称賛されているこの悪魔は、どこかの赤い死神の変な影響 でもうけたのだろうか。 シエルはセバスチャンの言葉の真意をはかりかねていた。 「悪魔には、性別も年齢も関係ありませんから、そのあたりは気にしなくてもよろ しいかと・・・。それにレディ・エリザベスとの結婚に向けての予行練習になるの ではありませんか?」 「・・・僕はそんなに長く生きるつもりはない」 復讐を果たすために生きているシエルにとって、誰かと結婚をする自分なんて考え られるはずがない。 だいたい、復讐を成し遂げたら、自分の魂はこの黒い執事に契約の対価として引き 渡すことになっているのだから。 誰かを愛するなんて感情はとうの昔に忘れてしまった。 恋愛感情なんてものはきっと今のシエルにとっては、一番不必要なものだろう。 「何事も経験しておくのはいいことですよ、坊ちゃん」 「僕が聞きたいのはそういうことじゃなくて・・・」 「ただの私の気まぐれですよ。悪魔の私が人間のような感情をもつとは限りません し、坊ちゃんも私を愛するはずがない。その二人が恋人を演じることで気持ちが変 わるのか。・・・興味がわきませんか?私は一度試してみたかったんです」 いつものにこやかな笑顔でとんでもないことを言い出したセバスチャンに、シエル は半分あきれた気持ちと、秘かに育ちつつあったある想いに気づかれたのではない かと内心焦り感じていた。 (このゲームだけは、どうしても受けるわけにはいかない) いつもの冷静さをよそおいながら、シエルは、 「僕は興味など全くない。試したいのなら、他の人間を相手にすればいいだろう」 さも興味なさげに読んでいた本に視線を戻す。 「他の人間ではダメです。相手が坊ちゃんではないと意味がないのです。永く生き てきた私が初めてこんなに興味を覚えた人間は坊ちゃんだけなのですから。それと も坊ちゃんは、最初から負ける事がわかっている『ゲーム』はしない主義ですか?」 わざとシエルを挑発するような言葉をぶつけてくる。 「負けるだと?それは、セバスチャン、僕がお前を好きになると思っているのか? はっ、相変わらず自惚れの強い奴だな」 ついいつもの調子で答えてしまった。 「では、『ゲーム』を受けて頂ける、ということでよろしいですね?」 にっこりと音が聞こえてきそうな微笑みのセバスチャンをみて、シエルはしまった と思ったが、今更断れるような状況ではない。 セバスチャンはベットサイドに座り、いつの間にかわったのか悪魔の本性を現す真 紅の瞳でシエルを見ている。 シエルは、心の中で大きなため息をつきながら、自分の性格を少し恨んだ。 「・・・わかった。恋人のふりでいいんだろう?僕がセバスチャンを好きにならな ければ、僕の勝ちということだな。僕が勝ったら、何か『褒美』はもらえるのか?」 こうなってしまったら、開き直るしかない。 セバスチャンは少し考えるようなそぶりをみせて、 「・・・そうですね。では、坊っちゃんの願いを1つかなえるというのはいかかで しょうか?」 「じゃあ、食事を3食スイーツでもいいのか?」 「それは、坊っちゃんの執事としてお受けいたしかねます」 悪魔でも執事という立場は忘れていないようだ。 「僕の唯一の願いだとしても?」 「それ以外でお願い致します」 チェッと舌打ちすると、セバスチャンに窘められた。 (僕の本当の願いは・・・きっとかなうことのない願いなんだ) かなわない願いなら、最初から望まない方がいい。 シエル自身の中で芽生え始めた想いが、消えてしまうように願うのもいいのかもし れない。 消えてしまえば、この想いがなんなのか知らずにすむ。 シエルは自嘲気味に笑う。 「どうかなさいましたか?」 不思議そうにシエルを見つめるセバスチャン。 「いや、なんでもない。願いは考えておく。今、決めなくてもいいだろう?」 「はい。決まりましたら、おっしゃって下さい」 「わかった。せっかく、悪魔にかなえてもらえる願いだ。よく考えさせてもらうと しよう」 シエルは、不敵な笑みでセバスチャンを見つめ返した。 セバスチャンは、手を伸ばし、シエルの前髪を耳にかけると、隠れていた右目を見 えるようにする。 右目を眼帯で隠していないシエルの瞳は紫と青のオッドアイにみえる。 そうセバスチャン以外には。 (いつ見ても綺麗な瞳だ。・・・その瞳に映るのが私だけになればいいのに) シエルの右目にうかぶ契約印とセバスチャンの左手に刻まれた契約印。 見えるところにあればある程、効力を増す。 悪魔が獲物を見失わないようにという意味もあるが、それ以上のつながりを求めて いる自分がいる。 (坊ちゃんにとっては、意味のない『ゲーム』かもしれませんが、私にとってはと ても大切なことなんですよ) ゲームの真意にシエルはまだ気づいていないようだ。 今、気づかれてしまっても困るのだけれど。 頭のいいシエルのことだ、もしかするとすぐに気づいてしまうかもしれない。 しかし、時間をかけて、ゆっくり慎重に事を進めていかなければ、『ゲーム』を持 ちかけた意味がなくなってしまう。 「坊ちゃん、願いのことを考えるのは、結構ですが、これから行う『ゲーム』のこ とも忘れないで下さい。『ゲーム』の期間は私と坊ちゃんの契約が終了するまで。 または、それまでの間に私か坊ちゃんのどちらかが、本気で相手を愛し、自分の気 持ちを伝えた方が負けです」 セバスチャンは静かにそういうと、ベットから降り、シエルの足元に跪づいた。 「わかった。僕は『ゲーム』と名のつくもので負けたことはない。今、言った言葉 を忘れるなよ、セバスチャン」 「イエス・マイロード」 胸に手をあて、セバスチャンは恭しく頭を下げた。 「では、今から『ゲーム』をスタートしてもよろしいでしょうか?」 「いつからでもいいぞ」 こうなってしまっては、いつから始めても同じだろう。 シエルは軽い気持ちで答えた。 「ありがとうございます。では、さっそく」 セバスチャンはすっと立ち上がると、再びベットサイドに座った。 「坊ちゃん、夜ももう遅いですから、そろそろおやすみください」 今まで見たことがないような優しい笑顔でセバスチャンは言うと、シエルの細い肩 を抱き寄せ、白い頬にキスをした。 「な、な、なっ、何をするんだ!!」 シエルは頬を押さえながら、すばやくセバスチャンから離れた。 「決まっているじゃないですか。私たちは『恋人』同士なのですから、おやすみの キスくらい当たり前ですよ。それとも唇の方がよかったですか?」 シエルは耳まで赤くしながら、大きなオッドアイをさらに大きくして、セバスチャ ンを睨んだ。 「『ゲーム』はもう始まっているのですから、『恋人』同士がすることはさせて頂 きます。坊ちゃんには、少しずつ『恋人』同士がどういったことをするのか、教え て差し上げますから、ご安心ください」 セバスチャンの満面の笑みを見ていると、一日で淑女になれるように教え込まれた 時の事を思い出した。 シエルは背筋が凍るような悪寒を感じた。 (僕はとんでもない『ゲーム』を受けてしまったのではないだろうか・・・) そう思う反面、自分よりも体温の低いセバスチャンの唇がふれた頬は、今はどこよ りも熱くなっている。 (悪魔でも唇はやわらかいんだな・・・) 見てはいけないと思っているのに、セバスチャンの薄い唇に目が行ってしまう。 (・・・気づかれたか?) いつの間にか抱きかかえていた本をまくらのそばに置きつつ、様子をうかがいなが ら、上目づかいでセバスチャンをみると、 「そんな目で見て、私を誘っているのですか?」 ベットサイドに座ったままのセバスチャンに抱きかかえられて、身体の小さなシエ ルはセバスチャンの膝に座るような格好になってしまった。 「なっ、すぐに離せ!!」 力いっぱい手でセバスチャンの胸元を押すが、びくともしない。 シエルの身体から甘い香りが薫り始める。 (全く自覚がないというのは、怖いですね・・・) 今後は、いろいろと気をつけていかないとやっかいなことになりそうだと思う反面、 セバスチャンは内心、ぞくぞくと反応する身体と喜びに満たされていた。 「・・・キスしてほしそうな顔で見ている坊ちゃんがいけないんですよ」 「いつ、僕がそんな顔をした?」 顔を逸らすシエルの顎に手を添えると、自分の方を向かせる。 「今もしていますよ。キスしてほしいって・・・」 そういうのが早いか、ふと息が顔にかかったかと思うと、シエルの唇にセバスチャ ンの唇が重なっていた。 思っていた以上にやわらかく、少しひんやりするセバスチャンの唇。 シエルは真紅のセバスチャンの瞳を吸い寄せられるようにみつめていた。 一方的なキスからシエルの唇を解放すると、セバスチャンはシエルを何事もなかっ たようにベットに寝かしつけた。 「明日も予定がたくさん入っておりますから、早くおやすみください」 サイドテーブルに置いてあった燭台を持つと、セバスチャンはいつもの執事の顔で 一礼して部屋を出て行った。 暗闇の中、一人残されたシエルは、今起こったことを思い出し、熱い頬を覚ますよう に両手でふれる。 (・・・これは『ゲーム』なんだ。だたの『ゲーム』だ) シエルは自分に言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返した。 残酷なほど優しいキスをした悪魔の唇の感触が消えない。 (・・・絶対に魂以外はやるものか・・・) シエルは自分の身体を両手で抱きしめながら、そう誓った。 ◆ ◆ ◆ ディナーを済ませ、執務室で本を読んでいると、小さく扉をノックする音が聞こえ た。 「はいれ」 誰が来たのかは、声を聞かなくても分かっている。 「失礼致します」 扉を開け、入ってきたセバスチャンは一礼する。 「そろそろ月も昇ってまいりましたので、夜桜を見に出かけましょうか、坊ちゃん」 「わかった」 本にしおりをはさみ、ローテーブルの上に置く。 その間にセバスチャンがコートを用意し、立っているシエルに着せた。 「玄関から出てしまうと、他の者に気づかれてしまいますから、テラスから外に出 ましょう」 セバスチャンに促され、シエルの寝室に移動し、窓を開けると、テラスへと出た。 外は思っていたよりも寒くなかった。 「坊ちゃん、失礼致します」 セバスチャンは、シエルを軽々と抱きかかえると、シエルは一瞬とまどいながらも、 セバスチャンのたくましい首に細い腕をまわし、胸元に顔をうずめる。 それを確認すると、セバスチャンは、テラスから庭へと軽々と飛び降りた。 「少し急ぎますので、しっかりつかまっていて下さい」 シエルはまわした腕に力を入れ、これ以上近づけないくらいにセバスチャンの身体 に自分の身体を押しつけた。 (・・・胸の鼓動が伝わってしまわないだろうか?) そんな考えが一瞬浮かんで、身体を強張らせたが、いつものセバスチャンの匂いに ふとシエルの頬が緩み、目を閉じ、身体をセバスチャンにゆだねた。 聞こえるのは、セバスチャンの胸の鼓動と、風の音、そして風が揺らす葉のかすか な音だけ。 「つきましたよ」 セバスチャンの言葉にシエルは、青い瞳をゆっくりとあけると、目の前の光景に一 瞬で心を奪われてしまった。 満開の桜は、月の白い光を浴びて、可憐な薄紅色の桜の花びらが、今は、青白く輝 いて、闇の中で浮かび上がっているように見える。 昼に見る可憐な桜とは、まったく別の物のようだ。 青白く光を放つ桜は、何かを惑わせるような怪しい雰囲気に包まれている。 (太陽の日差しを浴びている桜より、夜の桜の方が僕にはお似合いだな) 裏の世界に身を置くことを自ら選び、そして悪魔の手をとり、復讐をすることを望 んだ自分には、輝かしい場所など似合わないのだから。 「綺麗だな・・・」 シエルはセバスチャンに地面におろしてもらうと、桜の方へ向かって歩きだした。 「えぇ、とても綺麗ですね」 セバスチャンの瞳は桜ではなく、月の光を浴び、桜以上に輝いている小さな『恋人』 を見ていた。 (何者にも穢されることのない坊ちゃんの魂のように美しいですよ) 桜の下まで歩を進めたシエルは、桜の木を見上げる。 満開の桜・・・ずっと見つめていると不思議と心を奪われてしまいそうな感覚に陥 る。 「桜の花は、人の心を魅了し、心を奪うと言います。坊っちゃん、心を奪われない ように気をつけて下さい」 いつの間にかシエルの後ろには、セバスチャンが立っていた。 「・・・僕の心はもう奪われてしまったようだ」 桜を見つめながら、シエルは静かに告げた。 「桜にですか?それとも別のものにですか?」 「さぁ、どうだろうな?」 いたずらっぽくそう答え、シエルは振り返ると、セバスチャンの瞳は鮮やかな真紅 へと色を変えていた。 「それは、困りますね。坊ちゃんは、私の『恋人』なのですから」 「でもそれは、偽りだろう?セバスチャン、お前だってわかっていることだろう?」 「偽りですか・・・。確かにそういう『ゲーム』でしたね」 セバスチャンの声は気のせいか、いつもより低く、さみしげに聞こえる。 「なんだ、『ゲーム』の負けを認めるのか?」 シエルは自分の心の偽りを悟られないように、不敵な笑みを浮かべてセバスチャン を見上げる。 「・・・坊ちゃんは、この半年、私と偽りの『恋人』としてですが、過ごしてみて 何か変わりましたか?」 鮮やかな真紅から茶色へと変わったセバスチャンの瞳には、憂いが浮かんでいるよ うに見える。 (これも僕を試す為の演技なのか?悪魔というのは、どこまでもたちが悪い) この半年、セバスチャンの『ゲーム』に振り回され続けたシエルは、ここぞとばか りに大きなため息をつく。 「何も変わらない。そういうセバスチャンは何か変わったのか?」 「・・・坊ちゃんは、本当に何も気づいていないのですか?私がこの『ゲーム』を 貴方に持ちかけた本当の意味を?」 セバスチャンは意外そうにシエルに聞き返した。 いつものシエルであれば、自分の真意にすぐに気付くと思っていたのに。 「セバスチャンの気まぐれだろう?違うのか?」 シエルは、セバスチャンが何を言いたいのかわからず、だんだん苛立ちを感じ始め ていた。 「確かにあの時、私の気まぐれだと言いました。それは、坊ちゃんと契約し、執事 として過ごしていく日々の中で、自分の気持ちの変化に気づいてしまったからです。 その感情を坊ちゃんにも気づいて欲しくて『ゲーム』を持ちかけたのです。」 「どういう意味だ?」 セバスチャンはシエルの眼帯のひもをほどき、右目の契約印を見えるようにすると、 自分の両手の手袋を外し、シエルの前に跪き、シエルを優しい瞳で見上げた。 「坊ちゃん。いえ、マイ・ロード。私の左手の契約印と坊っちゃんの右目の契約印。 それは、私と坊ちゃんの主従関係をあらわすもの。契約の対価は、坊ちゃんの魂。 その魂を最高の状態で手に入れる為、私は私の美学に従って行動をすればよかった。 しかし、それだけでは、物足りなくなってしまった」 「物足りない?」 シエルは、形のいい眉をひそめ、怪訝そうに聞き返した。 「・・・坊ちゃんの魂だけではなく、坊ちゃんの心と身体、坊ちゃんの全てを自分 の物にしたいという欲望が芽生え始めたのです。私の悪魔としての本能。最初はそ う思っていました。しかし、それだけではないことに気づいたのです。だから、坊 ちゃんと『ゲーム』をすることで、坊ちゃんにも私の感じている感情、『愛しい』 という気持ちに気づいてほしかったのです」 「そんなの絶対に違う!!」 シエルはセバスチャンの言葉をさえぎるように大きな声で怒鳴ると、セバスチャン を睨みつけた。 「・・・坊ちゃん」 セバスチャンは悲しそうな顔でシエルを見つめ返した。 「悪魔が人間のような感情をもつとは限らないと言ったのは、お前だぞ、セバスチ ャン!!」 「確かに私はそう言いました。しかし、坊ちゃん、私が貴方を愛してるとあの時告 げていたら信じましたか?」 「・・・お前が愛しいのは、僕の魂であって、僕自身ではないだろう」 シエルは静かにそういうと、セバスチャンから視線を逸らした。 「確かに、坊ちゃんの魂は私にとって特別です。そして、シエル・ファントムハイ ブという人間もまた私にとって特別な存在なのです。悪魔の私が坊ちゃんに逢わな ければ、決して知ることのなかった『愛しい』という感情を教えたのですから」 「・・・・・・・・・・」 (セバスチャンは悪魔だ。人間と同じような感情を抱くと思えない。僕の魂への執 着には気づいていたが・・・) 悪魔のセバスチャンが、僕を愛しているなんて、信じることはできない。 僕は、誰も愛するつもりなんてないのだから。 セバスチャンよりも人間の僕の方が人としての感情を失っているのかもしれない。 いや、考えないようにしているだけなのかもしれない。 「『ゲーム』をすることで、坊ちゃんが少しでも私の事を考えてくれればいいと。 そして、私の気持ちに気づいてくれればと期待していたのですが・・・」 シエルは、この半年の事を思い返していた。 確かに『ゲーム』を持ちかけてきてから、セバスチャンの態度は少しずつ変わって いた。 それは、『恋人』を演じているからなのだと思っていたからなのだが・・・。 (そういえば・・・) シエルはある事に気づき、ハッとする。 何も答えようとしないシエルにセバスチャンは、顔を覗き込んだ。 「坊ちゃんは、私が『ゲーム』の話をしたときに、何か気づきませんでしたか?」 「・・・あぁ・・・」 なぜ、今まで、気がつかなかったのだろう。 最初からセバスチャンは『ゲーム』の事を持ち出した時に、勝敗について何も語っ ていなかったことに。 「坊ちゃんなら、すぐ気付いてくれると思っていたのですが・・・」 セバスチャンは苦笑しながら言った。 「じゃあ、自分が最初から負けるとわかっていて、『ゲーム』をしたいと言ったの か?」 「はい。私が想うように、坊ちゃんが私を想ってくれるかは、わかりませんでした から・・・。そうなればいいとは思っていましたが」 シエルは困惑した表情で、セバスチャンの顔を見つめた。 いつもは憎たらしいくらい余裕の笑みを浮かべているセバスチャンが、見たことが ないくらい情けなく見えるのは、気のせいだろうか。 「・・・セバスチャン。お前は、僕に嘘がつけない。そうだな?」 「はい。そういう契約ですから」 何度となく確認している契約の内容のひとつ。 シエルは跪づいているセバスチャンに近づき、両手でセバスチャンの両頬に手を添 え、自分の額とセバスチャンの額をくっつけた。 「ぼ、坊ちゃん?」 「僕は、自分の事ばかり考えていて、大切なことが見えなくなっていたようだ」 自分の本当の想いに気づかないふりをして、自分の心と向き合わないでいることに ばかりきをとられて、『ゲーム』の本当の意味に気づけなかったということか。 シエルはセバスチャンの茶色の瞳を覗き込み、その中の真実を見つけ出した。 「坊ちゃん、どうかされたのですか?」 突然、大胆な態度をとるシエルにびっくりしたようだったが、セバスチャンはシエ ルの手に自分の手を重ねた。 自分よりも体温の低いセバスチャンの体温がなんだかとても心地よく感じる。 「・・・人は自分を守るために嘘をつく。そして、僕も」 「そのようですね」 「僕の気持ちに気づいていたのか?」 「なんとなくですが。坊ちゃんが『ゲーム』とは言え、あんなに可愛らしい恋人を 演じられるとは思っていませんでしたから・・・坊ちゃんは自分の気持ちを言って くれないとは思っていましたが、ここまでとは思いませんでした」 「・・・僕はどんな『ゲーム』でも負けないと言っただろう?」 やわらかい表情で微笑むシエルを愛おしむように、セバスチャンはシエルをやさし く抱きしめた。 「『ゲーム』は坊っちゃんの勝ちです。坊っちゃんの願いを1つかなえましょう」 シエルはずっと言うことはないと思っていた願いを口にした。 「僕の願いは決まっている。契約としてではなく、命令でもない。セバスチャンの 心が欲しい。セバスチャンの全てが欲しい。これから先ずっと僕だけのものでいろ」 「はい、坊ちゃん。私の心はすでに貴方の物です。私の全ては貴方だけの物です」 その答えを聞くと、シエルは恥ずかしそうにセバスチャンから視線を逸らし、満開 の桜を見上げ、青い瞳を細めた。 そんなシエルの様子を見ていたセバスチャンが、シエルの手をとり、軽く口づけを すると、温かい春の夜風が吹き、ひらひらと桜の花びらが舞い降りてきた。 「とても綺麗だ・・・」 ひらひらと舞い降りてくる白い花びらに手を伸ばしてみる。 つかめそうでつかむことができない白く小さな花びら。 手に入れることができないと思っていたセバスチャンの心みたいだ。 シエルの手のひらに1枚の桜の花びらが舞い落ちてきた。 セバスチャンは、跪づいた姿勢のまま、シエルを見上げ、 「坊ちゃん、私の願いも聞いて頂けますか?」 「『ゲーム』に勝った者だけが褒美をもらえるのではないのか?」 シエルが意地悪そうに言うと、 「僭越ながら、この場合は引き分けに近いかと・・・」 確かに、シエルもセバスチャンを好きになってしまったのだから、そうとも言える。 「セバスチャンの願いをかなえると言っても、人間の僕には魔力もないし、できる ことは限られるが・・・」 「魔力など必要のない願いですよ。坊ちゃんが私と永遠の誓いをたててくれればい いのですから」 「永遠の誓い?」 聞き返したシエルをセバスチャンの真紅の瞳が見つめていた。 「私は悪魔ですから、永遠の愛の誓いを神に誓うことはできません。坊ちゃんも神 ではなく、悪魔の私の手をとったのですから、神に誓うことはないでしょう。です から、お互いが、お互いの為に永遠の愛の誓いたいのです」 「そ、それってまさか・・・」 シエルは白い頬を赤く染めながら、頭の中が一瞬真っ白になった。 「はい。人間でいうところのプロポーズということになるのでしょうか?坊ちゃん と私が両想いだということがわかり、お互いがお互いを求めているのですから、自 然な流れだと思うのですが・・・」 シエルの左手をにぎったままセバスチャンはにっこりと悪魔に似つかわしくないほ ど、優しい笑みを浮かべている。 お互いがお互いを求めている・・・か。 確かに、今の僕にはセバスチャンのいない人生は考えられない。 セバスチャンと共に同じ道を歩み、残りの生命を過ごすことも僕の願いということ か。 ずいぶん、欲張りになってしまったものだ。 シエルはふと口元を緩め、セバスチャンの手を握り返した。 「・・・僕の最期をみとり、僕の魂を手に入れるのは、セバスチャン、お前だ。僕 はお前に誓おう、永遠の愛を・・・」 「私はシエルに誓いましょう。永遠の愛を・・・」 初めてセバスチャンに呼ばれた自分の名前に、シエルは恥ずかしそうにうつむいた。 セバスチャンは胸元に手を入れると、とりだしたリボンをシエルの左手の薬指に巻 きつけると、ちょうちょ結びをした。 「これは?」 「結婚指輪の変わりです。暗くてよく見えないと思いますが、このリボンは、桜と 同じ薄紅色なんですよ」 「薄紅色?」 セバスチャンは、もう一本のリボンを取り出し、月の光にかざした。 「これは、タナカさんに教えてもらって桜から染めたこの世界に2本しかない物で す。それをシエルに受け取ってもらいたかったのです」 「桜の花びらで染めたのか?」 シエルは自分の左手のリボンをじっと見つめる。 月の明かりで青白いようにしか見えないが、言われてみると薄紅色にも見える。 「いいえ。桜の花びらからは色は染められません。木の皮を煮詰めると薄紅色に染 めることができるのです」 「桜の木の皮から染めたのか?桜の木を見ていると、茶色に染まりそうだが・・・」 シエルはセバスチャンの言葉がまだ信じられないようだ。 「桜の花びらの薄紅色は、桜の木自体が内部に持っている薄紅色の色素で染めてい るそうです。自然というのは、不思議なものですね」 あのこげ茶色の幹が、桜の可憐な薄紅色の元になっているなんて、まるで、今のセ バスチャンみたいじゃないか。 残酷な悪魔からは考えられないような優しい笑みと甘い言葉を囁き、僕を愛してい るというセバスチャン。 指輪の変わり・・・なんて人間のようなことまでするなんて。 誰が想像できただろうか。 シエルはセバスチャンの手に握られていたリボンを受け取ると、セバスチャンの左 手の薬指に巻きつけた。 「・・・シエル?」 「これは指輪の変わりなんだろう?セバスチャンもつけなければ、意味がない」 決して器用とは言えないシエルが、リボンと格闘すること数十分。 どうにかちょうちょ結びをすることができた。 「これで私とシエルは人間でいうところの夫婦ということですね。私の気まぐれで、 長い時間を過ごすことになるかもしれませんがよろしいですか?」 「・・・セバスチャンの好きにしろ」 そっけない言葉で返事をするが、恥ずかしくてセバスチャンの顔を見ることができ ない。 セバスチャンは立ち上がると、シエルを軽々と抱きかかえ、白い花びらが舞い散る 中、用意してあったテーブルと椅子の所まで連れて行った。 「約束通り、温かい飲み物とスイーツを用意してありますよ」 椅子に座らせてもらったシエルは、そばに立つセバスチャンを見上げる。 「・・・僕はこっちのスイーツの方がいい」 セバスチャンの黒いタイを引っ張ると、セバスチャンの薄い唇に自分の唇を重ねた。 ・・・最初から全部僕のものだったんだ。 お互いの唇の感触を楽しむように軽いキスを繰り返していたが、セバスチャンに強 く抱きしめられ、次第に深いキスへと変わっていく。 「・・・ん・・・んふっ・・・セバス・・・チャン」 甘い吐息の合間に愛おしい悪魔の名前を呼ぶ。 「・・・もっと僕に夢中になれ」 「シエルももっと私に夢中になってください。私がどれだけ、シエルを愛している かこれから教えて差し上げますよ。・・・快楽も喜びも全てを・・・愉しみですね」 シエルの身体からは媚薬のように甘い香りが薫る。 鮮やかな真紅の瞳が怪しく光ったように見えたのは気のせい? 二人の薬指のリボンが優しい春風に吹かれ、揺れていた。 ◆ ◆ ◆ この世にかなう願いとかなわない願いがある。 一度失ってしまった物が二度と戻らないように。 でも、願えば、かなう想いがあることを知った。 この先、どうなるかなんて誰にもわからないけれど。 愛しい悪魔といれば、かなわない想いもかなうような気がする。 この先も、ずっと二人でいれば・・・。 ~Happy Wedding~ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ はじめまして、月の雫と申します。 セバシエ大好きという気持ちだけで、物語まで書いてしまいました( ̄▽ ̄;) 稚拙な文章ですが、少しでも楽しんで頂けると幸いです。 題名は、お気づきの方もいると思いますが、私の好きなアーティストの方のタイト ルをお借りしました。 目は口ほどに・・・とよくいいますので、目を見て大事なことを確認しあった二人 という感じでしょうか。 「24/7」という話しも書いていますので、よかったら読んでみてください。 シエルとセバスチャンの結婚、おめでとうございます!! |
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