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5.Formidable ―素晴らしきかな
「ヘレナ、僕はなんだか夢を見ていた気がする…」 「ディミトリアス、貴方のハーミアへの想いが、夢から醒めて終わりを告げたなら」 「僕らは再び元のさやにおさまったというわけだ」 「ライサンダー、もう私達の婚姻を邪魔するものはなくなったわけね?」 劇の終盤、セバスチャンは古代ローマ風の衣装を纏ったシエルの前に跪くと、絹の袋から大きなエメラルドの指輪を取り出してシエルの指に嵌めた。 イヴェットが登場し結婚を祝う妖精の歌を歌う。大成功だった。 「んっ…、早く、済ませろ」 「おやおや、随分素っ気ないのですね」 舞台の裏で、二人は激しいキスを繰り返していた。セバスチャンは黒いマントを敷いてシエルを寝かせ、衣装の下に手を差し込んだ。 「皆さんには一杯振る舞っていますから、こんな所には来ません…よ」 「は…あ…っ、楽観的だな」 「喜劇の後、だからでしょうか?」 いつもと違う、女性的な薄物に身を包んだシエルを荒々しく征服する。セバスチャンはこのところ、まるで自分の力を最大限に見せ付けているかのようで―求愛行動だな、とシエルは満たされながら思った。 「…セバスチャン」 「イエス、マイロード」 「その呼び方も、今日で最後だな」 深まる闇の中で、真剣な眼差しが絡まり、溶け合った。 「Moonstone, Aquamarine, Rose Quartz, Ruby, Yellow Spinel, Moldavite, Emerald, 僕からの答えは…」 シエルは完全に開いた扇を手繰り寄せ、ゆっくりと閉じた。閉じてゆく間に様々な思い出が蘇った―出会い、始まった恋、闘い、新たな生―…。 「シエル」 「セバスチャン…」 「私と契約を…新しい誓いを」 「何に誓う?」 「貴方の全てに誓います。貴方の悲しみ、喜び、優しさも誇り高さも…全てに」 「では僕も誓おう。お前がくれた、愛と夜の深さに、そして生きる意味に。…」 13th October, 1890 馬車の窓を開けると、爽やかな朝の風が顔を撫でた。やはりセーヌ河の風よりこちらの方が合う、とシエルは思った。 「懐かしいな」 「あの使用人達が、お屋敷を破壊していなければよいのですが」 「その場合、今日は野宿だな」 車輪の音に、最初に気付いたのはフィニだった。間違えるはずがない。 「ば、バルドさん!メイリンさん!タナカさん!」 「何だ何だ、そんなに慌てて」 「坊ちゃんが!坊ちゃんとセバスチャンさんが帰ってきたんですよお!!」 「えええっ!!!」 四人は息を弾ませてエントランスの前に駆け付けた。 セバスチャンが先に降り、シエルの手を取って静かに促した。シエルはこれまで見たことのない、真っ白なジャケットを着ていた。ブラウス、ズボン、靴も白で統一され、胸元にはオレンジの花が飾られていた。 「坊ちゃん…!」 「もう、帰って来ねぇのかと…」 セバスチャンがパンパンと手を叩き、涙ぐんでいたバルド達の顔を上げさせた。 「さあ、今日は私達だけで宴をしますよ。大きなケーキを焼きますから、手分けして準備して下さい」 「はいですだ!!」 「やったー!セバスチャンさんのケーキだ!!」 「久々にシェフの腕の見せどころだぜ!」 「坊ちゃん、私はお茶の用意を」 「いや…」 「そうですか、それでは」 駆けて行った使用人達を見送り、セバスチャンは白いレースに埋もれた小さな顎をそっと指でつまんだ。 「初夜が首尾よく運ぶかどうか、もう一度レッスンを致しましょうか?」 シエルは中央にモノグラムの入ったブリゼ式の真っ白な扇を閉じ、セバスチャンの胸に軽く触れた。 扇の風は日に当たった枯れ葉の匂いに、微かな薔薇の香りを舞わせた。 EMD *--------------------* 遅い提出となってしまいました… 読んで下さって、ありがとうございました。 各章のタイトルはムーラン・ルージュの歴代レビュー名 ・Frou Frou (フルー・フルー、衣擦れの音) ・Femmes Femmes Femmes (ファム・ファム・ファム、女・女・女) ・Frisson (フリソン、感情の高まり) ・Festival (フェスティヴァル、お祭り) ・Formidable (フォルミダーブル、素晴らしきかな) から頂きました。 また、 『十九世紀のパリ風俗』(伯爵 神山宏著審美社) 『扇物語 西洋の扇と女性のよそおい』(津田紀代/編著 駒田牧子/訳 東野純子/訳 ポーラ文化研究所) を参考に致しました。 素晴らしい企画に参加させて下さった月猫様、ようとん様、Fabulous!な参加者の皆様、本当にありがとうございました! 白躑躅 PR |
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4.Festival ―祭り
モルダバイト、と石の名前を教えると、イヴェットはしげしげとシエルのブレスレットを眺めた。セバスチャン、シエル、イヴェットの三人がついたテーブルには、現場監督のジドラーも何事かと見に来るほど人が集まっていた。 「それで、明日庭園で『夏の夜の夢』の仮面劇を演じる話ね、オラーさんにはテントを使わせてくれるよう頼みましたわ」 「私がライサンダーで坊ちゃんがハーミアですね」 「ディミトリアスは、アンリ。パックがエミールよ」 何で僕が女役なんだ、といつもなら口を挟むところだったが、シエルは黙って聞いていた。劇といっても大幅に筋を省略した短いもので、最後にイヴェットに歌わせるのが目的だった。イヴェットの人気を後押しするために、ホールでダンスが行われている間、庭園の客の前で演じようというのだった。ムーラン・ルージュの庭園は他にも、様々な芸を披露する場として使われていた。 カドリールの熱気を背に、ダンス・ホールからパリの秋宵へ身を滑らせる。 「…早く帰りたい」 黒革のチョーカーと首の間に指を挟んで、シエルはそう呟いた。 「外したいですか?」 屋敷に戻ると、シエルは物も言わずに柔らかいベッドに座り込んでしまった。 短いテールコートが脱がされ、ブラウスのボタンがゆっくりと外される。服の下から細い鎖が現れた。鎖は長く、緑色のブレスレットとチョーカーを繋いでおり、チョーカーには更に編んだ革紐が付けられていた。その紐は、体内に挿入された男性器の形をしたものへと続いていた。 「抜いて欲しいですか?」 「…」 その瞬間の気持ち良さは、知っている。 「あっ…」 胸の突起に指が這わされる。夜のキスは刺激が強い。抱き合い、脚を絡めると、セバスチャンの固いものが大腿に触れた。 この状況を、どうにかするためには。こちらから攻めていくべきではないだろうか。 シエルは荒い息を吐きながら、セバスチャン自身に唇を当てた。 「ガ…ガチガチだな」 「あの衆人環視の中で、坊ちゃんが必死に快楽に耐えていらしたことを考えてしまうと…ね」 「…っ」 革紐はおあつらえ向きの長さで、お辞儀でもすれば引っ張られ抜けそうになってしまうのだった。シエルはいつも以上に背筋を伸ばして座っていたが、店に入る前から下着には染みが出来ていた。座るときにも細心の注意を払った。やはりセバスチャンは、このイヴェットという貧乏娘にすら嫉妬してこんな仕打ちをするのだろうかとも思った。 「…扇を使って、お上手にズボンの前を隠されていたじゃありませんか?」 その愉しげな声は、初めて気持ち良さを教えられた日のことを思い出させた。 ―坊ちゃんも、ちゃんと勃起するんですね。… 初めの愛情表現は、好きだという言葉と頬への軽いキス。 それがいつの間にか舌を絡めるキスになり、今までなんでもなかった入浴の時間が、急に恥ずかしくなった。 身体の変化に身を縮めていると、セバスチャンが耳元でそう囁いたのだ。 手で扱かれ、濡れた身体のままセバスチャンにしがみつくと、セバスチャンはいつまでも愛の言葉を囁いていた。 (あれから、もう…こんなに…) お前のコレが、悪いんだ。シエルは固く立ち上がったそれを精一杯喉の奥までくわえた。舌で段のついたところを撫で、指で大きな陰嚢を揉む。セバスチャンの匂いをいっぱいに吸い込む。知らず知らずのうちに腰が上下し、自分の先端から零れた透明な液体でシーツが汚れていた。 (私のを舐めながら、腰を振って先走りを垂らすなんて…) セバスチャンは目を細めると、革紐に指を絡め一気に引き抜いた。 「ンンっ…!!」 シエルはセバスチャンをくわえたまま射精し、シーツをギリギリと握り締めた。 「ぷはっ…は…あ…」 後ろからは、玩具を挿れられる前に注がれた、セバスチャンの精液が流れる。 「嗚呼…素敵ですね」 「いきなりっ…この、変態…!」 セバスチャンは白く柔らかい臀部を引き寄せると、息づいている赤い割れ目に自分の固いものを突き立てた。 「や、あっ…セバッ…ああああ!」 「もう、なにもかもわからなくなるくらい、私だけを感じて…シエル」 「ん…あっ…セ…バスチャン…!」 激しく揺さぶりながら耳を舐めると、セバスチャンの手の中でシエルは絶頂に達した。身体の奥に新しい精液が注ぎ込まれるのを、薄れてゆく意識のなかで感じていた。 →next |
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3.Frisson ―感情の高まり
「坊ちゃん」 「…」 「あの歌手が気に入られたのなら、魂の契約をされればよいのです。それが、我々の仕事なのですから」 シエルは瞬きをした。ため息が熱かった。 「改まって何かと思えば、そんなことか…。僕は、お前以外とは契約しない。絶対に」 そう言って、黒い胸を抱き寄せる。 「契約したら、願いを叶えるまでそいつの傍から離れられないんだろう。…お前と離れるのは、嫌だ。お前も…もう僕以外とは…」 「…」 声は段々と寝息に変わり、ルビーのような瞳は柔らかい瞼の奥に眠ってしまった。 青みがかった睫毛の濃い影、白い歯ののぞくセイヨウミザクラの熟しかけた果実、小さく盛り上がった、輝くような指先。 秋毫の微に至るまで完璧なこの美しさが永遠に続くことを思えば、その魂が食せないことなど何だろう。 ひだに埋もれたボタンを探し当て、シャツを脱がせる。ズボンを脱がせて寝ている彼自身に口付け、ポケットから何かごそごそと取り出した。 「ん…はぁっ…」 一時間程後、シエルが目を覚ますと、身体はすっかりあらわになっていた。あちこちにキスマークが残り、金属のリングをつけられたそこは窮屈そうに勃ち上がっていた。 「なっ…」 「人間だったときより、身体の無茶はきくでしょう?」 「…こんな、ものを…」 射精しなければ抜けないリングには、イエロースピネルがちりばめられ、まばゆい光を放っていた。セバスチャンがそこを口に含むと、シエルは声を漏らし、びくんと背中を反らせた。 「…はぁっ…セバス…チャン…」 「もう、こんなに溢れてきましたね…昨日もしたのに、そんなに…四六時中、ここを私に触って欲しいのですか?」 「や…そんな…こと…違っ…」 「違う?私がしなければ、お一人で扱いて、いやらしく楽しまれるおつもりだったのでしょう」 「しないっ…!んんっ…や…ん…セバ…」 「嗚呼、こちらの穴からもこんなに蜜が。坊ちゃんの淫らなお姿を、もっとお披露目致しましょうね」 セバスチャンは窓の前にシエルを連れて行くと、背後から大腿を抱え、脚を開かせた。シエルはもう、ずっぷりとセバスチャンをくわえこんでいる。交歓に喘ぐ自分の姿が窓ガラスに映り、シエルは身体を震わせた。 「や…ぁっ、こんなの、見せるな…っ」 下から激しく突き上げられ、視界がぼやけた。絶頂を迎える寸前で、さっと窓が開いた。 「あっ…は…ああ…っ、セバスチャン…閉、め…」 「坊ちゃん、今、きゅっと締まりましたね」 「し、知らない…っ」 「見られるかもしれないほうが、感じるのですか?」 「そ…ん…あ…あっ!やめ…っ…」 「そう、もっともっと、イイ声を…」 「や…あ…熱い…もう、イクっ…!」 シエルの先端から白いものが放たれ、庭土を汚した。同時にセバスチャンの熱い液体が、どくどくと自分を犯すのを感じた。 「はぁ…っ…。お前…、この、身体になってから、ずっと、中に…」 「もう、中出しでなければ満足できないでしょう?」 セバスチャンはシエルを降ろしてその前に跪くと、リングを外し、小さなそこを音を立てて吸った。 「んっ…ああっ、お掃除、やだっ…」 「おや…キレイにしているだけなのに、まだ元気になるのですか」 「そんな、こと、…う…っ」 「嗚呼、こんなにヒクヒクと動いて」 唇を噛んで、いじわるな言葉に耐える。 「こっちも、キレイにしましょうね」 そう言うと、シエルを四つん這いにさせ、右手で唾液に塗れたものを擦りながら先程まで自分が犯していた場所を丁寧に舐めた。 「そこ…あっ…!お…前のっ…なのに…っ」 「もう、坊ちゃんの味です」 セバスチャンの舌が、ぐちゅぐちゅと敏感な入り口を貪る。 シエルは悲鳴に近い声を上げて、ほとんど透明な液を迸らせた。 →next |
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2.Femme ―女
普仏戦争さなかの1870年に誕生した第三共和政下のフランスでは、それまで農地だったモンマルトル界隈が歓楽街へと変わり、ファッションを競う貴婦人や懐の豊かな伊達男、カフェの個室で逢引きをする高級娼婦などで賑わっていた。ロシュシュアール大通りのブール・ノワールなどは庶民の憂さ晴らしの場だったが、89年10月にブランシュ広場の‘白い女王’の跡地に建てられたムーラン・ルージュには、社交と新奇なダンスを目当てに国内外から多くの貴人が訪れた。踊り子がプリンス・オブ・ウェールズにシャンパンをねだると、翌日には新聞がこぞってそれを書き立てた。 敷地内には遊具を設置した緑の庭園もあり、ダンス・ホールに入れない人々は2フランでそこのテーブルについた。が、当時の2フランはお針子や職人には大きな出費であり、やはり上流の客が多かった。 セバスチャンとシエルは燕尾服にシルクハットという装いでホールに入り、奥の席に座った。 シエルのシルクハットには銀糸の刺繍のついた大きなリボンが飾られていた。テールコートは背丈に合わせてやや短く、ベストにおさまりきらなかった黒いブラウスのひだが胸元に華を添えている。セバスチャンが用意した、目の色に合うルビーのピアスが柔らかい耳朶に光っていた。 シエルは煙草の煙を扇で避けながら、壁に貼られたシェレの黄色いポスターや当世風のシャンデリアなどを眺めた。子供が来ること自体が珍しく、二人のテーブルの周りにはちょっとした人だかりができた。画家も小説家も作曲家も皆二人の美しさを誉めそやし、その寡黙さからロシアの皇族ではないかと囁き合った。ロシア革命後、祖国を追われた多くのロシア貴族がパリにやって来ていたのである。 やがて10時にカドリールの踊り手たちが登場すると、人々はそちらを向いて大きな拍手を送った。シエルはふと、前座で歌い終わった歌手の一人がこちらを見ているのに気がついた。 シエルは試しに扇を開き、左手に持った。 (通じるだろうか?) 彼女は少し驚き、戸惑いながらもシエルのテーブルへと近づいて来た。 「今晩は」 「今晩は。あの、舞台からずっと見ていましたのよ―今日はなんだか、ラ・グリュウさん達よりお客を集めている人がいるなって」 ラ・グリュウはルノワールのモデルもつとめるエリゼ・モンマルトルのダンサーで、コンビを組んでいる骨なしヴァランタンと共に経営者のジョゼフ・オラーに引き抜かれてきたのである。 「貴女も以前は別の場所で?」 「エデンにおりました。エデン・コンセール、ジドラーさんが誘って下さって―私―病気の母がいて、稼がなくてはいけないものですから」 「ここの経営者はなかなかやり手のようですね…すると貴女は、エデンからオルフェの地獄へ来たわけだ」 踊り子達がオッフェンバックの『天国と地獄』に合わせて踊っているのを横目で見ながら、シエルはそう言った。 「でも、まだ芽が出ませんわ」 女は黒い手袋を嵌めた手を頬に添え、憂いを帯びた声でそう答えた。話し方は内気そうだったが、表情の豊かさは秘めた芸術的表現力を表しているように思えた。 セバスチャンはいつの間にか席を外していた。 「批評家の目に止まればいいんですよ。ゴシップ誌に記事を書いているような。あそこに座っている男、ルネ・メズルワでしょう…ああいうのが貴女のことを書けば、一気に注目されるはずです」 シエルは扇の陰で一人の男を差して言った。フランスを訪れるのは散々な思いをさせられたパリ万博以来で、人の名など知っているはずもなかったが、悪魔の力のおかげでそういうこともわかるようになったようだった。 女は化粧を直すふりをして鏡を取り出すと、ルネ・メズルワを確かめて頷き、シエルの赤い瞳をまじまじと見つめてこう言った。 「やれそうな気がしてきましたわ―教えていただいたお礼に、私に何かできることがあるかしら」 「お礼なんて…ああ、それでは、扇ことばを少し、教えて欲しいんだが…まあ、シャンパンでも飲みませんか」 その夜、二人はかなり酔ってから魔界に引き上げた。 「ふふ…ああ、頭がくらくらする」 「思いがけず、楽しまれたようですね」 「イヴェット・ギルベールか?…妬ける、か?」 もう、人間の世界には行かないと言い出すかもしれないな。シエルはそう思った。 だがセバスチャンは、シエルに意外な提案をした。 →next |
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※R18で道具を使用しているシーンがあります。 ※黒執事登場人物以外の人名は、全て実在した人物の名前です。 1.Frou Frou ―衣擦れの音 朝、起きると指輪が嵌まっていた。 二、三度向きを変え、光に透かして石を眺めた。 妖精の棲む森の霧が踊って、その姿が湧水に映っているような、月長石の美しい指輪だった。左手の薬指に嵌められていた。 (『月に誓って』…か?) シエルは夜具を被ったまま指輪を眺めて考えた。絹の擦れる音以外には何も聞こえない、静かな朝である。 セバスチャンはいない。 シエルは悪魔になってからも、なんとなく人間だった頃の習慣が抜けず睡眠をとるようにしていたが、セバスチャンはその間‘食事’に出かけているようだった。 そっと、指輪に口付ける。 (あいつも、したかもしれないな) シエルは顔を赤らめ、夜具に潜り込んだ。 次の朝、起きるとまた指輪が嵌まっていた。銀色の台に、太陽を頂く大海原のようなアクアマリンが燦然と輝いていた。 セバスチャンは隣で横になっていたが、シエルが目を覚ましたのに気付き、優しく微笑んだ。 「おはようございます、坊ちゃん」 朝のキスは甘い。 身体の何処かにはびこっていた飢えが癒されるように思った。未だ魂を食すことを知らないシエルのために、セバスチャンが自分を通して満たされるようにしているのかもしれなかった。 「…寝顔を見るなんて、悪趣味だな」 「ベッドを分けたいですか?」 「嫌だ」 「私も」 んん、とよく知っている胸に額をこすりつける。衣擦れの音さえ二人を邪魔する気がして、セバスチャンの着ているシャツのボタンを外すと直接頬をつけた。 住みなれた屋敷を捨てて始めた、二人だけの生活。もう一年になるが、満ち足りた日々が続いていた。 「…次は、嵌められる前に起きる。綺麗な指輪だ…」 「気に入っていただけましたか」 「ああ。…当ててみせようか、明日はきっと、アメジストだろう?」 「さあ、どうでしょう」 翌朝、シエルはいつもより少し早めに目を覚ました。魔界の鳥がまだいくつも起き出していない暗がりの中で、大きな瞳を開いて白い手を顔の前に翳した。指輪はなかった。いささかがっかりして、それでもクリスマスの朝の子供のように枕元を探すと、柔らかな紙に手が触れた。 『私の形:半月形 私が活躍する場所:パーティー 私の格言:蝶 私の敵:禁欲 私の主題:イエスとノーの間』 シエルは夜具を跳ね退けて、真っ白なクロスを掛けた大きなテーブルの上を隈なく見た。 それは揺れるカーテンの下に、波打ち際の貝のように見え隠れしていた。透かし彫りの象牙に金箔を押した細長い箱で、中には、思った通り小さな扇が入っていた。 白い親骨にはダイアナの花―貞操を表すイタリアニンジンボクが彫られている。三層に張られた絹の面に描かれているのは『夏の夜の夢』の一場面だった。親骨から垂れた紐の先に、小鳥の卵のようなローズクォーツがぶら下がっていた。 シエルは扇の紐を手首に巻き、ライサンダーと手を取り合うハーミアの黒い髪を見つめた。いつの間にか来ていたセバスチャンが、後ろからそっと手を添えた。 「…私の花はほほのばら色、私の理想はトリアノン。…全て答えが『扇』になるなぞなぞだ」 「坊ちゃん、扇ことばというものをご存じですか?」 「扇ことば?」 「ええ、…例えば、開いた状態で左手に持つのは『私に話しかけに来て』…閉じた扇を心臓に当てるのは『あなたは私の心を射止めた』といった具合に」 「図々しいぞ、というのは」 セバスチャンは扇をパタパタと閉じさせ、フェンシングの突きのように宙を威して見せた。カーテンの裾が舞い上がり、ローズクォーツが朝の光を弾いた。シエルは振り返って、半開きの扇で下唇を叩いた。黒いシャンティレースの袖口にローズクォーツが隠れた。セバスチャンは細い手首を握って指先で紐を弄び、誘いに応えた。時折唇を離して「飲み込みが早いですね」等とからかうのも忘れずに。 「今日はそれを持って、人間の世界に遊びに参りませんか」 「人間の世界の…どこへ?」 「一年前に開店した、ムーラン・ルージュへ」 →next |
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