× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
右肩の蝶
「坊ちゃん、もうご機嫌を直しては頂けませんか?」 ベッドに腰掛けた執事が、僕を宥めすかす。 僕は、シーツにギュッとくるまり、顔を背けたまま、聞こえない振りをする。 長い溜息を吐く執事。 「貴方が、私だけのものだという事を確認するのは、いけないことですか?」 「確認とはなんだ。そもそも、僕が所有されているのか? 所有されているのは、お前じゃないのか?」 僕は、執事に訊ねる。 くすっと、執事が笑う声が耳に入る。 いつも余裕綽々なヤツの顔が、見ていなくても目に浮かぶ。 ヤツが、僕を着かえさせる為に夜着を脱がせた時、普段はしない行動をした。 白い手袋に包まれた指先で、僕の右肩を愛おしそうになぞった。 気になって、ヤツの触れたところを見た。 心臓が、大きく跳ねる。 そこには、あってはならないものがあった。 右肩に、蝶のような形の・・・赤い痣。 血管を、吹き上がるように血が駆け上って行くのが分かる。 顔面に集中していく熱さ。 耳まで赤くなっているに違いない。 ヤツの方に向き直って、声を荒げて訊ねる。 「これは何だ?!セバスチャン!」 意味ありげに笑うヤツの顔に、更に頭に血が上る。 「おまっ・・お前これは・・・!!」 分かっているが、その名詞を自分の口から言うのは、あまりに恥ずかしく絶句した。 いつの間にこんなものを付けられたのか、まったく記憶にない。 もしかしたら、僕が眠ってしまっている間につけたのだろうか。 こんな勝手な真似を許した覚えはないというのに。 「坊ちゃん、よくお似合いですよ。」 甘い声で、低く囁く。 うっとりするような響き。 ヤツは、僕を視線に捉えながら、肩の蝶を辿る。 柔らかな力加減で、楽しむようにゆっくりと。 ヤツの顔は、何処か嬉しそうに見える。 いや、確かに、ヤツは喜んでいた。 僕を包み込む視線が、甘すぎて居たたまれない。 「いつの間に、こんなものを・・!」 声を荒げてはみるものの、視線はヤツから逸れてしまう。 「昨夜は随分乱れておいででしたから、お気が付かれなかったのですね。」 「・・・!!」 僕に理解の出来ないもの、それはヤツの思考。 他に誰も聞いていないとかではなく、なんというか、 生々しい記憶が甦るのは憚られるような事を、 さらりと言葉にしてしまうコイツの感覚が、僕には分からない。 昨夜の自分の姿を思い出すと、羞恥で血が沸騰しそうだ。 僕が悪魔に転生して以来、ヤツは、僕の傍にはいなかった。 身体はここにあるのに、心は遠く、僕には、必要最低限しか手を触れなかった。 別に、触れて欲しかったという事ではないが、 意味も無く髪や頬に触れては僕をからかったヤツの薄笑いを、 懐かしいと思うほどには、見慣れていたのだと思ったのだ。 ヤツは、笑わなくなった。 事あるごとに、くすくすと気に障る笑い方をしていたくせに。 皮肉にも、嫌味にも、面白そうにも、笑いはしない。 僕にしてみれば、静かになって有り難いくらいのものだけれど、 この世界には、ヤツと二人きりなのだ。 笑う事をやめたようなヤツと死ぬまで一緒にいるのは、精神衛生上よくないし、 僕個人としても、願い下げだった。 ただ、ヤツは、もう一生笑わないようなヤツではない。 今は、笑う事を忘れているだけ。 必ず、思い出す。 人間だった頃と違い、時間は際限なく幾らでもあるのだ、 ヤツが笑い方を思い出すのを待つぐらいはしてやってもいい。 英国随一と謳われた、僕の執事の為に。 優雅な身のこなしで、僕の身の回りの世話をしているこの抜け殻に、 この何も見ていない瞳に、再び世界が映るのを、僕はここで待っていてやる。 自分の為に働いた執事には、主から、相応の報酬を与えなければならないから。 どのくらいの時間が経ったのか定かではないが、それなりに長い時間が過ぎ、 ヤツは、帰って来た。 僕を呼ぶ声の響きが変わった事で、それと分かる。 振り返って見たヤツの目には、世界がありのままの光度で映っていた。 長かった不在。 ヤツは膝を折り、僕に帰還の挨拶をする。 僕は、ヤツの頭を抱き締めて、褒めてやる。 迷子になっていた飼い犬の帰還を。 勝手に遠くまで行って、それでも、帰って来た。 もう二度と、僕から離れる事のないように、僕は呪(しゅ)を掛ける。 誓いの言葉とキスで完成するそれ。 誓約が成立すれば、ヤツは僕のもの、僕は、ヤツのもの。 融け合う距離で、僕たちは生きてゆく。 命が終わる瞬間までを、二人で。 ヤツと僕に取って、命の長さは、永遠と大差ない。 僕は、とうに覚悟を決めていた。 アロイスと、この身の内で共にいた間に。 ヤツは、この決闘に必ず勝つ。 勝負は、力が互角なら、動機付けのある方が有利だ。 ヤツは、ヤツに取って決して譲る事の出来ないものの為に闘う。 クロードが闘う理由は、ヤツのそれに比べ、動機付けとしてはいささか弱かった。 その時点で、ヤツの勝利は決まったようなもの。 それなら、僕はどう動けばよいのか。 アロイスが僕に用意した未来は、喜べるものではなかったが、逃げるのは性に合わない。 あの時、アロイスは言ったのだ。 「全員、全部、幸せだ!」 それなら、その為の答えを出さなくてはなるまい。 人を試すような事をしなければ、安心できなかった子供。 いつも、信じないところからしか物事を見る事の出来なかった子供。 セバスチャンへの復讐の為に、僕を利用しようとしたけれど、 利用されたのは、彼自身だった。 ハンナとの契約の条件は、僕を悪魔に転生させる事。 それは、復讐なのか、嫉妬なのか、あるいは謝罪のつもりなのか。 多分、そのすべての思いを詰め込んだものなのだろう。 複雑に絡まる答えのどれも、正解。 全員、全部、幸せというからには、僕にもその権利があるのだろうから、 セバスチャンにその権利があるのかどうかは知らないが、 アロイスの、精一杯の思いを汲んでやりたいと思うのだ。 僕を悪魔にとは、アロイスらしい贈り物だった。 彼等は、今生の命を失うことで幸せになった。 僕たちは、悪魔として生き続ける事で、幸せになってやる。 それで、いい筈だな、アロイス。 僕の執事は、僕の元に帰って来た。 僕は、この期を逃さず罠を仕掛ける。 ヤツが、いつものペースを取り戻してしまう前に。 ヤツが僕をからかうのを楽しみにしている事を逆手に取ってやるのだ。 まるで誓いの言葉のように聞こえると気付かずに言ってしまったと思わせ、 確かな誓いの言葉を、僕は言った。 やはり、ヤツは乗ってきた。 特別な言葉に聞こえると僕に悟らせるつもりで、誓いの言葉を言う。 老獪な悪魔は、こうして時折、僕の手中に落ちて来る。 僕は、それに満足して、頬を緩ませた。 腕の中に抱いていたヤツの頭を解放すると、 嗤うつもりでいたヤツの目が、驚きに見開かれる。 不機嫌を想定したそこには、想定外の微笑み。 僕は、くすりと笑った。 ヤツが、僕をからかっては、くすりと笑う理由が、分かった気がしたから。 誓いのキスを促せば、ヤツは、跪いた体勢から伸び上がってくる。 僕の目を、真っ直ぐに見つめながら。 僕が悪魔になった事への呵責から、目を背け続けてきた赤く輝く瞳。 今、目を逸らす事無く、見入ってくる。 ヤツの瞳に映る僕の目が、笑っている。 瞼を閉じるのと、唇の感触を感じるのは、ほぼ同時だった。 触れた唇は、柔らかく僕を食み、次第に角度を深くする。 口腔へと差し出されるヤツの舌を、 僕は受け入れる。 触れられる限りの所を、浅く深く、堪能していくヤツ。 今までの距離と時間を埋めようとしているのか。 鼓動は早くなり、呼吸は浅くなっていく。 このままでは、膝に力が入らなくなってしまいそうだ。 誓いのキスというには、少々熱が籠り過ぎていた。 唇を離したヤツの眼は、妖しげな光を宿す。 もう一度唇を寄せて来るやつを静止して、儀式としてのけじめを教える。 思うままを許してしまっては、主従とは言えなくなってしまうから。 「イエス。マイ・ロード。」 礼の姿勢を取ってそう答えたヤツだが、立ち上がり様、僕を横抱きに掬い上げた。 僕は驚いて、反射的にヤツの頸にしがみ付いた。 人間だった頃は、こうして事あるごとに抱き上げられたものだ。 しかし、悪魔に転生してからのヤツは僕から距離を取っていたし、 こんな事は無かったので、思わず声が出てしまった。 ヤツは、いつものようにくすりと笑った。 自分が僕を抱き上げるのは、今に始まった事でもないだろうと言って。 コイツは、自分がどれ程の長さ、不在にしていたのかを失念している。 そんな昔の事は忘れたと告げ、僕はヤツの胸元に顔を埋める。 ヤツの胸の広さも、匂いも、どんなに遠かったか。 忘れそうに、遠く離れていたのだ。 低めだからといって、温もりがない訳ではない。 この体温も、忘れてしまうのかと思いそうだったのだ。 ヤツの腕が力を強くして、僕をしっかりと胸に押し付ける。 この腕の、力強さ。 もっと、骨が軋むほどにと、僕は思う。 二度と忘れさせないと言って、髪に口付けたヤツ。 肩に額を強く押し当てて、僕からの赦しを示す。 嘘を禁じられているヤツがそう言うのだから、もう二度と、こんな思いはしない。 そういうところだけは、信じていいのだった。 ヤツは、僕を抱きかかえたまま、屋敷まで帰って来た。 心なしか、ヤツの鼓動が早いように感じる。 寝室のベッドに、僕を下ろす。 もう眼帯をつけることの無くなった右眼に、キスを落とされた。 眉根を寄せて、困ったような顔で微笑むヤツ。 「坊ちゃん、手加減できそうにないのですが、お許し下さいますか?」 切なく苦しげな声。 僕を真上から見下ろすヤツの頬には、漆黒の髪が掛かっている。 それを、耳に掛けてやり、そのまま後頭部に手を回して、 ゆっくりと僕の方へ引き寄せる。 鼻先が触れるくらいにまで近づけたところで、囁く。 「僕は、手加減など頼んだ覚えはないぞ。」 ヤツは一瞬、目を見開いたが、すぐに不敵に笑って見せた。 「そんな事をおっしゃって。 後悔なさっても、私の所為ではありませんからね。」 「望むところだ。」 強い眼差しでヤツを見て、くすくすと笑った。 いくら応えても、ヤツは求める事を止めない。 僕は、ヤツに求められるままに限界いっぱいまで応えては、意識を飛ばす。 欲しがるヤツに、僕の全てを与えたい。 僕もまた、ヤツを欲しているのだった。 今まで、どれだけ手加減していたのかと思う激しさが、僕を狂わせる。 声を上げ、身体を仰け反らせては果てるのだ。 何度でも。 僕の右肩に蝶がとまる瞬間に気が付かない程、溺れていた、 昨夜の僕の姿を思うと、ヤツに顔を見られるのさえ恥ずかしく、 どうしていいか分からなくなって、頭まですっぽりとシーツの中に潜り込む。 朝の支度をさせようと、ヤツが、僕にシーツの中から出て来るように促すが、 どんな顔をしていればいいと言うのか。 今まで一度も付けさせたことの無い印が、右の肩にあるのに。 恥ずかしさで体温が上がる。 声を殺していても、ヤツが笑っているのが気配で分かる。 僕は体を縮こまらせて、枕に顔を押し付けた。 ギシリと音を立てて、ベッドが沈むのを感じる。 ヤツが、シーツを被った僕の上から体重を掛けてきた。 耳の辺りに顔を寄せて来る。 「誘っていらっしゃるのですか?」 シーツ越しに、ヤツの声と息が、耳に届く。 身体がビクンと反応するのは、止められない。 すぐに言い返したいのに、言葉が出て来なかった。 一瞬遅れて、シーツを跳ね除けて飛び起きる。 「そんな訳あるか!!」 既に身体を引いて備えていたヤツが、笑っている。 静かな笑顔で。 ゆっくりと差し出される、白い手袋をした手が、僕の背中に回される。 ヤツが、大事そうに、僕を胸へと引き寄せるから、 僕は身体の力を抜いて、ヤツの肩に凭れ掛かる。 ここは、僕の場所。 「私の坊ちゃん。」 ヤツの声がくぐもって聞こえる。 「声に出して言うな、恥ずかしい。」 「そうおっしゃるから、印を付けたのですが?」 声に出すのが恥ずかしければ、印を付ければいいらしい。 僕も、こいつの右肩に赤い蝶を止まらせよう。 お前は、僕のものだと言う代わりに。 End PR |
![]() |
「Honey」
夜桜の下、永遠の愛をお互いに誓いあった時、僕とセバスチャンの『ゲーム』は終了し た。 その後、二人の関係が変わったかというと、何も変わらなかった。 そう、僕の心以外は・・・。 セバスチャンはいつものようにシエルの好きなスイーツを作り、アフタヌーンティーの 用意を整え、執務室の扉をノックする。 「はいれ」 その言葉を待ってから、失礼致しますとセバスチャンは部屋に入ってくると、恭しく一 礼した。 「お待たせ致しました。坊ちゃん」 心なしかセバスチャンの声がはずんでいるように聞こえる。 会社の書類に目を通していたシエルは顔を上げ、茶色の瞳を細めて自分を見ているセバ スチャンに視線を向ける。 「仕事に集中していて気がつかなかったが、もうそんな時間か」 シエルは書類を机に置き、凝り固まった華奢な身体を思いっきり伸ばす。 左の薬指にちょうちょ結びされている薄紅色のリボンが、ひらひらとシエルの頭の上で 揺れている。 あの日セバスチャンに結んでもらった左手の薬指のリボンは、セバスチャンの魔力によ って、シエルとセバスチャンにしか見えないようになっている。 揺れるリボンを見て、セバスチャンは優しく微笑む。 お互いがお互いのものだという証。 「少し休憩されてはいかがですか?」 「そうだな。ちょうどきりもいいところだし・・・」 セバスチャンは執務机の上の書類を手早く片付けると、イチゴのミルフィーユ、バニラ アイスクリーム添えとシエルの大好きなミルクたっぷりのミルクティーが入ったティー カップをシエルの前に用意する。 シエルの大きな青い瞳は、セバスチャンの白絹で覆われた左手の動きをじっと見つめて いた。 手袋ごしに見ることはできないが、セバスチャンの左手の薬指にも同じ薄紅色のリボン が結ばれているはず。 それを考えると、あの時に誓った言葉が思い出され、今更ながら照れてしまう。 あの時の気持ちに偽りはない。 自分の心にあった素直な感情を言葉にしただけなのだから。 「どうしましたか、坊ちゃん。いえ、シエル」 じっと自分の左手の動きを目で追っているシエルに気付き、セバスチャンは声をかける。 (猫じゃらしを追う猫のようですね・・・) セバスチャンは内心、苦笑する。 「な、なんでもない」 慌てたように視線を逸らし、机の上のフォークをつかむと、イチゴをさし、一口で口に 入れる。 きっと、ずっとみていたことなんてセバスチャンにはわかっているはずだ。 自分の耳まで赤くなっているのではないかと思うほど、顔がほてっている。 スプーンでバニラアイスをすくい、口に入れると冷たくて、少し顔のほてりが冷めてい くように感じた。 スイーツを夢中で食べているシエルをセバスチャンは、愛おしむように見つめていた。 半年の時間をかけて、シエルの心をやっと自分に向けさせ、心を手に入れることができ た愛しい存在。 微かに薫るシエルの甘い香りに酔いそうになる自分がいる。 早く全てを自分のものにしたいと思う反面、ここで焦ったら、今までの時間が無駄にな ってしまうと不安になる自分がいる。 悪魔の自分がこの小さな恋人、妻といった方が良いのだろうか・・・(シエルはどう思 っているかわからないが)に対して、不安を感じるなんて、今までなら滑稽だと笑い飛 ばして、自分の思うままに、力でシエルの身体を支配していただろう。 「愛しい」という感情を知ってしまったからこそ、シエルの行動や言葉の1つ1つに敏 感になり、不安になったり、喜びを感じたりすることができるようになった。 この人間のような感情をセバスチャンは嫌いではなかった。 永く生きてきたセバスチャンにとって、新鮮であり、何よりも彼の嫌う退屈を感じない。 スイーツを黙々と食べているシエルだったが、内心、いつもスイーツを食べている時間 は、二人で何をしていただろうかと必死に思いだそうとしていた。 今まで、どんな会話をしていたのか全く思い出せない。 普通どおりにすればいいとわかっているのに、その『普通』が急にわからなくなってし まったのだ。 ちらりとセバスチャンに視線を向けると、にっこりと微笑んでいる。 ますます気まづい。 何か言わなければと思うが、頭の中は真っ白のまま。 一体、どうしてしまったんだろう。 「シエル、ミルクティーのおかわりはいかがですか?」 ポットを片手にセバスチャンが近づいてくる。 セバスチャンが近づいてくるとわかっただけでも、ドキドキしてしまう。 「・・・い、いらない」 シエルは自分の心の変化に気づかれたくなくて、ついそっけなく答えてしまった。 「さようでございますか」 セバスチャンは残念そうな声で言うと、ポットを台車におき、シエルに近づいてくる。 (・・・どうしたらいいんだろう) ドキドキと鼓動が早くなり、この場から逃げ出したいような気持ちにさえなってきた。 フォークを持つ手が緊張で微かに震えているのが視界に入り、フォークを机の上に置き、 セバスチャンから隠すように、机の上から自分の膝におろす。 「今日のスイーツのお味はいかがですか?」 耳元で低く囁かれ、シエルは身体をこわばらせる。 「・・・まぁまぁだな」 シエル好みの味なのに、なぜか素直に美味しいと言えない。 自分の為にセバスチャンが心をこめて作ってくれたスイーツだとわかっているのに。 「まぁまぁですか?今日のシエルは、手厳しいですね。では、もっとシエル好みのスイ ーツをディナーでは用意致しましょう」 セバスチャンはにっこりと微笑むと、シエルの白い頬に白絹の手袋に覆われた手を添え て、自分の方を向かせる。 セバスチャンの茶色の瞳の中に映っている自分が少しずつはっきりと見えてくる。 キスされると思った瞬間、自分の唇を手で隠してしまった。 「急にどうしたんですか、シエル?」 今まで何度となくキスをしているのに、こんな反応をされたことがないセバスチャンは びっくりしたようにシエルを見ている。 「な、なんでもない。・・・今は、そういう気分じゃなかっただけだ・・・」 シエルはセバスチャンの視線から逃れるように大きな青い瞳をふせる。 「・・・そうですか。何かあったのですか?」 さすがのセバスチャンもショックを受けたようで、シエルの顔をのぞきこんでくる。 本当はキスしたかったのに。 シエルはなんで、あんなことをしてしまったのだろうかと後悔していた。 「・・・何もない」 相変わらず視線を合わそうとしないシエルに、セバスチャンは違和感を覚える。 いつだって、自分の瞳を迷いのない大きな青と紫のオッドアイの瞳で見つめてくるのに。 言いようのない不安に襲われる。 やっと手に入れたシエルの心なのに。 「何もないようには、見えませんよ、シエル」 セバスチャンの瞳が茶色からあざやかな真紅へと色を変える。 シエル自身、今まで『偽りの恋人』同士だった時には、平気だったことが、今はセバス チャンの事を考えるだけで、胸がドキドキして、落ち着かなくなり、どうしていいのか 全くわからなくなる。 こんなの自分らしくないとわかっている。 今の僕ではセバスチャンに嫌われてしまうかもしれない。 自分でも気づかないうちにセバスチャンの事をこんなに好きになっていたなんて・・・。 今まで自分の気持ちに気づかないふりをしていた分、自覚してしまった想いの強さに自 分の心も頭もついていけない感じがする。 自分の今の気持ちをうまくセバスチャンに説明できる自信がない。 気まずい雰囲気にシエルは耐えられなくなり、椅子から立ち上がり、セバスチャンに背 を向け、1歩踏み出そうとした時、後ろからセバスチャンに強く抱きしめられてしまった。 「どこに行くつもりですか、シエル。やっと貴方の心が私にむいたと思ったのに、貴方 はもう心変わりですか?」 誓いあった言葉も忘れてしまったのですか?セバスチャンはシエルの耳元で、低く囁く。 片腕でシエルを抱きしめたまま、セバスチャンは口で白絹の手袋をはずし、机の上に放 り投げる。 「・・・忘れたわけじゃない」 シエルの白く細い首にセバスチャンは長い指を滑らせていく。 ひんやりとした指が動くたび、くすぐったいような、甘くしびれるような感覚に耐える ようにシエルは大きな青い瞳を強くつぶる。 目じりには、うっすらと涙がたまってくる。 「なぜ、私を避けるような態度をとるのですか?」 やっぱり気づかれていたんだ。 シエルはうつむいて、自分の左手の薬指のリボンを見つめる。 「・・・そんなつもりはなかったんだ」 今にも消えてしまいそうな声で呟く。 セバスチャンは、シエルのリボンタイをほどくと、シャツのボタンを上からいくつかは ずしていく。 突然のセバスチャンの行動に、シエルは動けずにいた。 「私がどれだけ貴方を求めているのか、わかっていないのですね」 身体をこわばらせているシエルの首に、薄い唇を近付け、軽くキスを繰り返す。 自分よりも体温の低いセバスチャンのやわらかい唇がふれるたび、その部分だけが熱く、 熱を帯びていく。 「・・・ん・・・セバ・・・ス・・・くすぐっ・・・たい・・・」 自分の身体にまわされているセバスチャンの左腕に両手でつかまる。 「本当にくすぐったいだけですか、シエル?」 シエルの首に唇を寄せたまま、セバスチャンは含みを持たせるような口調で聞く。 「・・・ん・・・」 シエルは唇をかみしめる。 セバスチャンから与えられる身体の力が抜けていくような甘い感覚。 初めてキスしたときとは、比べものにならないくらい胸がドキドキして、頭に靄がかか ってしまったように、何も考えられない。 足に力が入らなくなり、自分の身体を支えるのが、だんだん難しくなっていく。 シエルの身体からは、甘い媚薬のような香りがいっそう強く薫る。 「どうしたんですか、シエル?」 その様子を見て、意地悪そうに微笑むとセバスチャンは、シエルの眼帯のひもをほどき、 紫の右目が見えるようにする。 セバスチャンの好きな青と紫のオッドアイの瞳は固く閉じられ、目じりには、涙がにじ んでいる。 何も言おうとしない今のシエルのようであり、自分に対して心を閉ざしてしまったよう にも見える。 「・・・・・・」 どうしたら、今の自分の気持ちをセバスチャンに伝えられるんだろう。 ボーっとする頭で懸命に考えるけれど、言葉が出てこない。 「何も言わないつもりですか、シエル?」 セバスチャンは、何も言おうとしないシエルのシャツの中へと手を滑らせる。 ひんやりとしたセバスチャンの掌の感覚にシエルの身体が、さらにこわばる。 細く白い首に口づけ、そのまま舌を這わせ、セバスチャンが強く口づけるとシエルの身 体に甘い痛みが走る。 シエルの身体はすでに自分のものだとわからせるために、所有印の赤い華を咲かせる。 心にも同じように自分のものだという所有印をつけることができたら、良いのに。 強くつぶったシエルの瞳から涙がこぼれおちる。 「・・・ん・・・やぁ・・・」 シエルは身体を捩って逃げようとするが、セバスチャンの腕から逃れることができない。 「私から逃れることができると思っているのですか、シエル?悪魔の私から愛されると いうことがどういうことか、わからない貴方ではないでしょう?どれだけ、私が貴方を 愛してるのかも・・・。やっと全てが私のものになったと思ったのに、貴方は私を避け る。なぜですか?なぜ、こうも私を拒絶するのですか?私を愛していないのですか?」 いつもは憎たらしいほど余裕なセバスチャンが、シエルにすがるように強く抱きしめ、 絞り出すような声で呟く。 その声にシエルの心は、ひどく痛んだ。 はっきり今の自分の気持ちを言わないことが、セバスチャンを傷つけている。 愛しい人を傷つけているのは、自分自身。 自分が今、しなければいけないこと。 それは・・・。 シエルの身体にまわされたセバスチャンの腕から手を離し、左手の白絹の手袋をはずす とそのまま床に落とす。 自分とセバスチャンをつなぐ薬指の薄紅色のリボン。 セバスチャンの大きな左の掌に自分の小さな右の掌を重ねる。 「・・・違うんだ、セバスチャン」 ひんやりとしたセバスチャンの掌がとても心地いい。 セバスチャンは黙ったまま、シエルの次の言葉を待つ。 「・・・僕は自分の気持ちにずっと気づかないふりをしていた。でも、一度、自覚して しまった想いの強さにどうしていいのかわからなくなったんだ・・・。セバスチャンを 傷つけるつもりなんてなかったんだ。あの時、誓った言葉に偽りはない」 「証明していただけますか?」 セバスチャンは、シエルを強く抱きしめていた腕の力を緩める。 シエルは少し戸惑ったように、振り向くと、涙でうるんだ大きな青と紫のオッドアイの 瞳で、セバスチャンを見上げる。 身長の差が、今の自分とセバスチャンの心の間の壁のようでなんだか嫌だった。 シエルは、黙ったままセバスチャンの手を引っ張って、自分の椅子に座らせる。 こうすれば、セバスチャンと自分の目線が同じになる。 自分で作った壁なら、自分で壊せばいい。 シエルの行動に少し驚いたようだったが、セバスチャンはシエルがどう証明するつもり なのか興味があった。 鮮やかな真紅の瞳をじっと迷いのない大きな青と紫のオッドアイの瞳で見つめ、シエル は両手でセバスチャンの頬を包み込む。 「僕の全てはセバスチャン、お前のものだ。セバスチャンだけを心から愛している。今 も、これから先もずっと何があろうとも、僕の気持ちは変わらない」 シエルは、セバスチャンの薄い唇に自分の唇をゆっくりと重ねる。 軽く啄ばむようなキスを繰り返す。 細い腕をセバスチャンのたくましい首にまわすと、深く口づけて、セバスチャンの唇の 間から小さな舌をいれ、歯列に沿って、舌で舐め上げていく。 セバスチャンはシエルの細い腰に腕をまわし、抱き寄せると、シエルのリードで始まっ たキスの主導権を自分が奪うように、シエルの舌に自分の舌を絡ませた。 「・・・ん・・・セバ・・・ズル・・・イ・・・」 甘い吐息の合間に、シエルは抗議をするが、セバスチャンはお構いなしに、シエルの舌 先を舐めると、赤く色づいたふっくらとした唇を舌でなめる。 「ずるくないですよ。シエルが、証明してくれたので、私も証明しただけですよ」 身体の力が抜けてしまったシエルを自分の膝に横向きに座らせると、はだけているシャ ツの鎖骨の辺りに舌を這わせ、強く口づける。 「・・・あっ・・・ん・・・」 甘いしびれるような痛みがシエルを襲う。 本当は胸につけたいところだけれど、シエルの心は自分のものという証の赤い華を咲か せる。 熱で惚けた大きな青と紫のオッドアイの瞳で、シエルはセバスチャンを見上げる。 「そんな目で見ると、とまらなくなってしまいますよ、シエル」 シエルの身体からいつも以上に強く薫る甘い香りに、眩暈がしそうなのに。 「・・・とまらなくなる?」 不思議そうに聞き返すシエルに、セバスチャンはちょっと困ったような顔をする。 「それは、これから時間をかけて、教えていきますよ、ハニー」 「・・・ハニー?なんで、僕がハニーなんだ。立場的に、逆じゃないのか?」 シエルは不満そうに言う。 「そのうち理由はわかりますよ。愛しています、シエル。私たちは、夫婦になったので すから、これからは、恥ずかしがらずに自分の気持ちは素直に言ってくださいね」 白い頬にキスをすると、シエルを包みこむように抱きしめた。 「・・・な、なるべく言うようにする」 シエルは、照れたようにセバスチャンの胸元に顔をうずめ、上着をぎゅっと握る。 「なるべくではなく、絶対です。夫婦に隠しごとは禁物ですからね」 ブルネットのやわらかい髪にセバスチャンはキスをする。 「・・・わかった」 「もう一回、愛してるって言って下さい、シエル」 耳元で低く囁くと、シエルは耳を真っ赤にしている。 きっと白い頬もほんのり赤く染まっているのだろう。 セバスチャンは、自分の胸元に顔をうずめているシエルの照れた顔が手に取るようにわ かる。 さっきは、あんなにはっきりと自分の気持ちを自分にぶつけてきたのに、次の瞬間には 照れてしまい、なかなか言おうとしない。 そんな二面性がまた可愛いのだが・・・。 シエルに言ったら、怒るだろうか? 「・・・愛してる」 ぽつりとつぶやくシエル。 「できれば、私の顔を見て、言って下さい」 セバスチャンは、きっとにこやかな笑顔で言っているのだろう。 そんなの見なくても、シエルにだってわかる。 これは、何かの嫌がらせなのだろうか。 でも、今回、セバスチャンを傷つけるような態度をとってしまったのは、自分自身なの だから。 シエルはセバスチャンの上着をぎゅっと握ったまま、ゆっくり顔を上げる。 ああ、やっぱり悪魔のにこやかな笑顔だ。 シエルは、覚悟を決めると、鮮やかな真紅の瞳を大きな青と紫の大きな瞳でみつめる。 「愛してる」 「私も愛しています」 悪魔のセバスチャンに愛されている僕。 そして、その悪魔のセバスチャンを愛している僕。 二人で、愛を囁きあい、二人で微笑み合うと、蜂蜜のように甘い甘い口づけを交わす。 これが僕とセバスチャンの日常になっていくのも悪くない。 END ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 月の雫です。 「瞳の奥をのぞかせて」の続編を書いてしまいました・・・。 少しでも楽しんでいただけましたでしょうか? 読んで頂いてありがとうございます。 |
![]() |
緩慢しきった日差しの中、 濃紺の髪が青碧眼の大きな眼にかかるのを 扉をノックする音が聞こえ、 白手袋に包まれた手で銀のワゴンを押し、 そして紅茶色の瞳を無表情に、 「何をそんなに、
「ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』」
「暇だからな」
シエルは目をあげて、セバスチャンに、
「ああ、十分にな」 「それはお誘いですか?」 「いや、違う」 と瞬時にきっぱり否定するシエルに、
「誰が・・」 「ああ、そうですか。
と言って、セバスチャンの唇が重なり、
「嫌なんだ、お前はいつもそうやって、 「挿れないから?」
「抱かれたいのですか? どの表現がお好みですか?」
オーダーを取るような口調の、
「何かのキャッチコピーかっ」
「ダイレクトなものを選びましたね。 「お前が選べっていったんだろうが・・」
「壊せとは誰も言ってない!」 「同じ事です」
「無理ですね」
「ああ、人によりますけど」 「じゃ何か? 「ええ、仰るとおりです」 「・・・酷い・・酷すぎる」 「こればっかりは--」 申し訳なさそうに頭を下げる、
「何故そこで突然敬語なのです? 「いや、なんとなく・・」 「まぁそれもありますけど、 言いあぐねるセバスチャンに、
「いや、精神的な問題かと--」 「馬鹿か!! 「いや、貴方が尋ねといて何故、答えると、 「ああ・・そうだったな。
「あほか、泣くかこんなので」
そしてその冷たい手が、シエルの滑らかな
「一々評論しなくていい」 「やっぱりこうしていると、
苦しそうに喘ぎながら、シエルが尋ねる。
「馬鹿なことを・・
薄れゆく意識の中で、セバスチャンの、 目が覚めると、
「ちょっとサプライズをご用意するために、 「なんだと?」 シエルは憤懣やるかたないといった様子で
セバスチャンは寝台に座り、
「指図ではありません、
吐息が重なり、舌が絡み合う。
「ええ、こちらに来てください」
「だから?」 「これから月に行くのです。 「それが考えたこと?・・」 「これが私の結論です。ぼっちゃん。
「ぼっちゃん、瞳を閉じないで。 「うるさい」
テレビのニュースは、どのチャンネルも、 「ぼっちゃん、あれを見てください」 「嫌だ」 「なんで、
「ええ、全く--」 「お前は僕を、
「この宇宙船の中の話じゃなくて・・」
「いや、 「ああ、壊す壊さないの話でしたっけ?」 「もういいっ!」
「いや、
「いや、もう十分、 「まだ足りません」 シエルは意思の強そうな唇を曲げて、
「回数が--」 「は?一度じゃ駄目? ってかそんな恥ずかしい台詞、
「さぁもう一回言ってください」 「命令するな」
「挿れたいなら、挿れさせてやるから、 「何かの品詞の活用みたいですね」
かすかに喘ぎ声を発するシエルに、
「そんなものはどーだっていい!」 「そうですか--」
「それじゃ駄目です」 「挿れろ!」 「その方がいい」 というと、
「でも・・ 「嫌だと?」
「いや、 「それもそうですね」
「言うな」
しばらく互いに舌を吸い合い、
「じゃさっきから窓の外窓の外って、 「いえ、 「一体何だったんだ?」 「初めのは、
「太陽系最大の断層で--」 「また出た・・地層・・」 「何か言いました?」 「いや別に・・ 「エロスという名前の小惑星でした」 「ふんっ」
先程の、
「でしょうね。もうすぐ木星通過ですから」 「関係あるのか?」 「ええ、木星の衛星の火山から噴き出る、 「・・・・」
「それは・・守れるようなものなのか!?」 「いつだって、何からだって、
太陽光が、土星の氷と石で出来ているはずの円盤状の部分の一点のみ照らしていた。
ちょうどシエルの左手の薬指のところに、
受け取ってくれますか?」
「優しくされたかったですか?
それをまるで逃がさないとばかりに、 ピンを弾くように、 猛り狂うようにシエルを抱きながら、 星が降る。 Its so deep¸ its so wide¸ 涙で見えてはいないが、
呼吸もできないほど 膨張する宇宙の端を 光と影のように 相反する物が同化していく。
痛いっ!染みるっ」
「熱を持っていらっしゃる」 「当たり前だ!馬鹿・・」 「あそこに見える氷で冷やしましょうか?」
「窒素が主成分の氷なので、 「馬鹿か! 身体ごと砕ける。 「この膨張する宇宙の果て。 膨張スピードと、
「いえ--ちゃんと目的がありますよ」 「どんな?」 「さぁ、この船を降りましょう」 「降りるって・・・」
「アレが地球に帰っても、 それならこうして、
カーテンがいきなり開かれ、 「ぼっちゃん、お目覚めの時間ですよ」
シエルが寝具をはぐと、
「はい?」 「また・・」 「何がまた--なのですか?」 セバスチャンはひざまづいて、 シエルは身体の感触を確かめるが、
「知らんっ!」 シエルは不機嫌そうに、顔を背けた。
・・ああ、そうだった、
「僕は聞いてないぞ?お前の答え・・」 シエルはセバスチャンの方に向きなおして
セバスチャンは、シエルの柔らかい頬に、
「そっち? セバスチャンは、
「いえ--
「挿れられたい」 シエルはセバスチャンの漆黒の髪をわざと
貴方は私の主。
--きっと貴方はなかなか、 愛されたいという言葉は、 でもそう言われない限りは、 それだからこそ、壊すぐらいなら、 セバスチャンは、立ち上がって、 一面には、
そう言ってセバスチャンは、 延々と続く霧の海の中、 「ぼっちゃん、あの夢をおぼえているなら、 「ああ、よく意味がわからなかったけどな」 「簡単な事ですよ。 「それがなにか?」 「いえ、なんでも」
もしも貴方がむやみやたらに、 貴方が言わなければ言わないだけ、 そして私たちはそれを、 たとえどんな代償を支払ったとしても--
「もうじきに着きます」
・・死の島?・・
シエルが呟くとセバスチャンは軽く頷いて
セバスチャンはシエルに、 すると壁はくるりと回転して、 -5- シエルの足元の床が、 -4- シエルが下を見下ろすと、建物三階分以上の高さにいることが分かり、 -3- 「セバスチャン!!どういうことだ?」 「さぁ、行きますよ」 後ろに立ったセバスチャンは、 -2- 「だからどこに?・・」
-1- そして元はプールだった発射口の真下に移動すると、
- GO - メインエンジンが点火して、 自動操縦に切り替えてから、 <完> :::::::::::: まさかのサンダーバード黒執事コラボ! |
![]() |
|
![]() |
"I hope nothing." That is a downright lie.
「これは?」 「……坊っちゃんには少し地味ですね」 「じゃあ、これ」 「少し安過ぎるのでは?」 「なら、あっちは?」 「他の物をお願いします」 色とりどりの美しい宝石が散りばめられた指輪の数々。 流石は王室御用達の宝石店だけあってどれも一級品ばかりである。 けれど、セバスチャンはどんなに素晴らしい出来の指輪でもお気に召さないらしい。店員は困惑し、彼の傍らに居るシエルはとてつもなく不機嫌になった。 「時間の無駄だったな」 結局何も購入せずに店を出た二人は、寄り添うように石畳の道を歩いている。通行人達は美少年と、その隣の美麗な執事の組み合わせに好奇の視線を向けながら通り過ぎて行った。 「大体、指輪なんて両手の指を飾れるくらい持っているだろう」 「ええ。ですが、まだ足の指がいくらか余っておられますよ」 「そうきたか……」 「それに、妥協したくないのです。坊っちゃんの指を彩る特別な指輪ですから」 蕩けそうな笑顔に、シエルの頬が引きつった。 たかが指輪に何故そこまで拘るのか。 「なら、どうするつもりだ?お前の妙な拘りの所為でロンドン中の店は全て見て回ったんだぞ」 「そうですね…。良い機会ですから、休暇も兼ねてフランスにでも飛んでみましょうか?」 「馬鹿、そこまでしなくて良い!」 本気とも冗談ともつかない事を平気で口にしているあたり、この執事ならばやりかねない。 必死で止めるよう命じたシエルに、彼の執事は冗談ですよと茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せるのだった。 END. |
![]() |