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「24/7」
「ねぇ、シエル。・・・大丈夫なの?」 遠くからエリザベスの声がかすかに聞こえる。 身体はひどくだるいし、目蓋も重くて、あけることができない。 「・・・ん・・・ここはどこだ?」 目を閉じたまま、シエルはエリザベスに問いかける。 「何を言ってるの、シエル。自分の寝室じゃない。ウェディングドレスの試着の最 中に貧血を起こして倒れちゃったのよ。明日は、大事なお式なのに。シエルでも緊 張するのね」 大事なお式・・・一体、なんのことだろう? ウェディングドレス?それは、エリザベスが着るものだろう。 頭の中が混乱していて、考えがうまくまとまらない。 重い目蓋をうっすらあけると、エリザベスが心配そうにシエルの顔をのぞきこんで いた。 「やっと、気がついたみたいね。何か飲み物でも持ってきてもらう?未来の旦那様 に・・・」 エリザベスはいつものようににこにこ笑いながら、ベットのそばに置かれていた椅 子に座りなおした。 未来の旦那様・・・一体、誰のことだ? シエルには、何が何だかわからない。 だるそうに顔をエリザベスの方へ向け、よく見てみると、自分の知っているエリザ ベスより若干年上のように見えることに気がついた。 それに、顔を横に向けた時に、やわらかい髪が頬に触れたことに違和感を感じた。 髪はそんなに長いはずはないのに。 何かがおかしい。 だんだん頭がはっきりしてくると、いろいろな疑問がわいてくる。 重い身体をどうにか起こすと、長いブルネットの髪が肩口からさらさらと前の方に 流れ落ちてきた。 なんでだ? 部屋の中をゆっくり見まわして、シエルは唖然とした。 いつもの青い天蓋ではなく、淡いピンク色の天蓋へと変わっている。 部屋全体が落ち着いた雰囲気だったものが、おとなしめではあるが、可愛しい雰囲 気に変わっている。 「こ、これはどういうことだ!!」 シエルは自分で発した声のトーンにもびっくりして、口元に手をあてる。 いつもより声が高い。 それはまるで女の子のような声。 「・・・どうして?」 呆然としているシエルをエリザベスはさすがに心配になったのか、立ち上がり、呼 び鈴を鳴らした。 「今、ミカエリス伯爵が来るから待っていて。シエルったら、気を失っている間に 変な夢でも見たの?」 ミカエリス伯爵? 一体、誰なんだ、それは? だんだん頭が痛くなってきた。 僕は確か・・・職務机でいつものように会社の書類を見ていたはずだ。 ふと、視線を自分の身体に向けると、胸元をリボンで飾られ、レースがふんだんに 使われたピンクのネグリジェを着ている。 (な、なんて格好をエリザベスに見せているんだ!!) シエルは白い頬をほんのり赤く染めると、慌てて布団の中に逃げ込んだ。 男の僕がこんな格好をしているのに、エリザベスはおかしいと思わないのだろうか。 「急にどうしちゃったの、シエル。ミカエリス伯爵に会うのが恥ずかしくなってし まったの?」 エリザベスはからかうような口調で言うと、布団の中に隠れているシエルの頭を軽 くなでた。 「だって、おかしいだろう?男の僕が、そ、その・・・女物のネグリジェを着て寝 ているなんて・・・」 シエルは今にも消えてしまいそうな小さな声で言う。 「何を言っているの、シエル?シエルは私と同じ女の子じゃない。小さいころから おそろいのドレスを着たり、遊んだり姉妹のように過ごしてきたのに」 エリザベスはいよいよおかしなことを言い出したシエルにはお手上げのようだった。 女の子だって? シエルは恥ずかしいと思いつつ、恐る恐る自分の胸に触れてみると、弾力のあるほ どよくふくらんだ胸があった・・・。 男の僕に胸があるなんて、こんなことができるのはあいつしかいない。 シエルは自分の恋人でもある黒い執事を思いだした。 あいつは僕に何をしたんだ。 羞恥心でいっぱいのシエルは、布団から顔を出すことができずにいると、扉をノッ クする音が聞こえた。 「どうぞ」 シエルの変わりにエリザベスが返事をすると、部屋に入ってきたセバスチャンは、 一礼する。 「失礼致します。」 「執事みたいな態度はもうおやめになったら、ミカエリス伯爵」 エリザベスは笑いながら、執事の態度を一向に変えようとしないセバスチャンに近 寄っていく。 「シエルの様子がおかしいの。なんだか、とても混乱しているみたいで。私は、明 日の用意もあるし、今日はこれで失礼するわ。シエルをお願いね」 「レディ・エリザベス、玄関までお送り致します」 「いいえ、私は大丈夫よ。ミカエリス伯爵はシエルのそばにいてあげて」 エリザベスはベッドのそばに歩み寄ると、布団の中に引きこもってしまったシエル に聞こえるように、 「明日は私にとっても大切な日だわ。大好きなシエルの結婚式なんですもの。ゆっ くり身体を休めて、明日は昔のような笑顔を見せてね」 そういうと、セバスチャンに挨拶をして、部屋を出て行った。 「・・・セバスチャン。これはどういうことだ!!」 布団の中に隠れていたシエルは、布団をはぐと低い声で唸るような声で言った。 「どうか致しましたか、マイ・レディ。いえ、シエル?」 セバスチャンは優しい笑みを浮かべ、シエルのベッドサイドに座った。 「どうもこうもない!!僕は男だったはずだぞ!!それなのにどうして、女性に変 わっているんだ?お前の魔力で僕に何かしたのか?」 一気に言いたいことを吐き出したシエルは、はぁはぁと肩で息をしている。 「レディ・エリザベスの言うように、今日のシエルはおかしいですね。私が魔力を 使えるなどといいだすなんて・・・」 セバスチャンは困惑したような表情でシエルを見ていたが、白絹の手袋をした手で、 シエルのほんのり赤く染まった頬をやさしくなでる。 むっとするが、いつもセバスチャンがしてくれるシエルを安心させる行動のひとつ だ。 それは不思議と覚えている。 「お前は悪魔だろう?男の僕を女性に変えることだって、できるんだろう?それと も、これは夢なのか?」 シエルは真剣な表情で、セバスチャンの茶色の瞳を見つめる。 そうではないと説明がつかないことばかりだ。 セバスチャンは頭をふり、否定する。 「私は人間ですよ。それにこれは現実です」 「じゃあ、その手袋をとって僕にみせろ」 「わかりました。それで、シエルが納得するのであれば・・・」 嫌がると思っていたセバスチャンがあっさり手袋をはずすことを了解し、はずし始 めた。 「爪と左手の甲を見せてくれ」 セバスチャンは言われるまま、シエルの前に爪と手の甲が見るように差し出した。 「あっ!」 セバスチャンの爪は悪魔の黒い爪ではなく、綺麗に磨かれたピンク色の爪だった。 そして、左手にはシエルとの契約を表す契約印がない。 「そんな馬鹿な・・・」 狐につままれるとはこういうことをいうのだろうか。 僕の右目の契約印はどうなっているのだろうか。 シエルは不安になり、ベッドから降りると、鏡を探して、気を失ってから初めて自 分の顔を見た。 そこには、青と紫のオッドアイを持つブルネットの長い髪の女性というのは、まだ 幼い表情の女の子が映っていた。 「これが、僕なのか?」 右目は紫になっているが、契約印はない。 一体、自分の身に何が起こったというのだろうか。 確かに自分は男だったはずだ。 セバスチャンの爪が黒くないということは、悪魔ではないと言った言葉に嘘はない ということだろう。 それに、セバスチャンにはシエルに嘘がつけないという契約になっている。 これが夢で、その夢にセバスチャンが何か影響を与えていることはないのだろうか。 鏡の中の自分を信じられないという表情で、見つめ続けているシエルを心配してセ バスチャンはそばに歩み寄ると、シエルの細い身体を後ろから抱きしめた。 セバスチャンの手が優しくシエルの膨らんだ胸を包み込むように抱きしめているの で、くすぐったいような変な感じがする。 「な、何をするんだ!!」 シエルは恥ずかしさもあり、身体を捩ってセバスチャンの腕の中から逃れようとす るが、逃れることができない。 「何って、いつもこうしているじゃないですか、シエル。一体、何があったのか、 私にわかるように説明して頂けませんか?」 「説明って言われても、僕自身よくわからないんだ。・・・ただ言えるのは、僕は 目を覚ます前までは男として生きていたって事だけだ」 そういうとシエルは、唇を噛みしめ、不安そうな顔でうつむいてしまった。 自分の身に何が起こったのか、一番知りたいのは、シエル自身なのだから。 これは僕が見ている滑稽な夢なのではないか。 セバスチャンは、僕が困っているのをどこかでみていて、いつ出て行こうかと笑い ながら、様子をうかがっているのではないだろうか。 そうであってほしい・・・シエルは心から思った。 ここはなぜだか、居心地が悪い。 僕の知っているセバスチャンに逢いたい。 大丈夫だと言っていつものようにやさしく抱きしめてほしい。 シエルは、ほっそりとした自分の手の甲をつねってみると、とても痛かった。 痛いということは夢ではないのか。 セバスチャンは不安そうなシエルの心情を察し、優しく話しかける。 「男として、ですか?シエルは初めて逢った時から可愛らしい女の子でしたよ」 セバスチャンはそういうと、シエルを軽々と抱きかかえ、ベッドに座らせた。 シエルの肩にブランケットをかけると、セバスチャンもシエルの横に座った。 混乱している頭を整理しながらシエルは、自分の身に起こっていることをぽつりぽ つりと話しを始めた。 「今の僕は、これまで過ごしてきた人生とは全く違う人生にいるみたいだ。僕の両 親は何者かに殺され、僕自身も口にするのも嫌になるようなひどい目にあった。殺 されそうになった時、前に悪魔が現れ、僕は自分の魂と引き換えに僕の望みをかな える為、悪魔と契約をした。僕はその悪魔にセバスチャン・ミカエリスという名前 を与えた。そして、僕は女王の番犬として任務に就き、僕の両親を殺した者達が現 れるのを待っていたんだ。そうセバスチャンと共に待っている途中だったんだ・・・」 「私は、悪魔だったのですか・・・。シエル、私に恨みでもあるのですか?」 セバスチャンはショックを受けたようだったが、シエルの細い肩を抱き寄せ、自分 に寄りかからせた。 シエルの細い身体は、微かに震えていた。 セバスチャンは愛おしむように、小さな頭を優しくなで、シエルが落ち着くのを待 ってくれているようだった。 「私の知っているシエルの話しをしましょうか」 セバスチャンは、茶色の瞳を細め、優しく微笑んだ。 「シエルの家系は確かに昔から女王の番犬として、任務を任されています。それは、 同じようですね。シエルのお父様のヴィンセント様と私の父は古くからの親友で、 裏の世界の協力者でもありました。私は次男でしたから、家督は兄が継ぐことにな っていましたので、父とヴィンセント様との間で私とシエルを許婚にする話しが決 まっていました。私は、18歳の時から父と一緒にヴィンセント様の仕事を手伝い、 ファントムハイブ家の仕事を受け継ぐ為に、いろいろ教え込まれていました」 「そうだったのか。でも、伯爵家の次男がなぜ、僕の執事になったんだ?」 シエルのブルネットの長い髪をなでながら、セバスチャンは言葉を続けた。 「正確に言うと、家庭教師兼執事ですよ、シエル。ヴィンセント様とレイチェル様 がシエルの10歳の誕生日に事故でお亡くなりになりました。ファントムハイブ家の 特殊な事情もあり、女性であるシエルが女王の番犬として任務に就き、そして爵位 を受け継ぎ、会社の経営まで一人で行わなければいけなくなってしまいました。 シエルは事故に不信感を持っていたようで、女王の番犬として裏の世界の情報を得 ようとしていました。それを知った私は、シエルのそばに常にいて、守ることがで きるように家令のタナカさんと相談をして、自分の身分を隠し、シエルのそばにい られるようにしたのです。それに、シエルはまだ10歳の少女でしたから、急に許婚 だと言われて、私が現れても困るでしょうし。私は、シエルとは許婚だから、結婚 するということではなく、きちんと恋愛をして結婚をしたかったのです。結婚の約 束を忘れてしまったのであれば、もう一度、プロポーズをしなければいけないです ね」 セバスチャンは大きな青と紫のオッドアイの瞳で自分を不思議そうに見つめている シエルの左手をとると、自分の両手で包みこんだ。 (温かい・・・僕の体温よりも低い悪魔のセバスチャンとは違うんだな) 悪魔のセバスチャンと外見は同じだし、雰囲気もどことなく似ている。 僕が知っているセバスチャンは、どっちなんだろう。 セバスチャンの話し方、微笑み方、優しい瞳、似ているようだけれど、よく見てみ るといつも一緒にいる者にしかわからないほんの些細な違いに気がついた。 僕は今見ているセバスチャンの事をよく知っているんだ。 そのことに気がつくと、今まで自分の記憶だと思っていた少年のシエルの記憶から セバスチャンに聞いた話しがパズルのピースのように、組み合わされ、もう一人の 本来の自分のことを思い出し始めた。 大好きだったおとうさまとおかあさまが事故で死んでしまったこと。 セバスチャンが家庭教師兼執事として、僕のそばにいてくれると言ってくれて、と てもうれしかったこと。 セバスチャンと過ごしていく中で、セバスチャンを一人の男性として好きになって しまい、悩んだこと。 女王の番犬として生きることを決めた時に、女性としての幸せはあきらめたのに、 セバスチャンの言葉に心を動かされ、セバスチャンと身分の差の為に秘密の恋人同 士となったこと。 16歳の誕生日に真実を告げられ、かなうことがないと思っていたセバスチャンから プロポーズされ、喜んで受けたこと。 今まで、なぜ忘れていたのかわからないほど、鮮やかに次々と思いだされてきた。 白い頬をバラ色に染めて、うつむいているシエルに気づき、セバスチャンは顔を覗 きこんだ。 「・・・思いだしましたか、シエル?」 シエルは今までの態度を思い返すと恥ずかしくなり、それを悟られないようにそっ けなく答える。 「なんとなくだけど、思いだしてきた。でも、なんで、今まで僕は自分を男だと思 っていたんだろう?僕が経験したと思っていたことは全て夢だったということなん だろうか?」 シエルは疑問に思っていることを言葉にして、改めてあれはなんだったんだろうか と考え込んでしまった。 「何かの本で読んだことがあります。この世界には、いくつもの可能性があって、 別の空間に同じ人間が存在していますが、全く別の人生を送っていると。シエルは もしかすると、その可能性の1つである少年のシエルの人生を夢として見たのかも しれません。その人生があまりに強烈すぎて、自分自身のことだと勘違いしてしま ったのかもしれませんね」 「そうなんだろうか?だとしたら、もう一人の僕が過ごしている人生は僕のおくっ ている人生より、はるかに過酷なものだった・・・」 自分の記憶だと思ってしまうほどの強烈な人生。 シエル・ファントムハイブという存在は、どの空間のどの世界でも同じように愛し い両親を幼いころに亡くし、過酷な人生を歩むように運命づけられているのだろう か。 それとも、王室の歴史を陰から支えてきた英国裏社会を統べてきた闇の一族、特務 執行機関ファントムハイブへの永遠と続いてきた憎しみや恨みのせいなのかもしれ ない。 おとうさまとあかあさまを急な事故で亡くし、悲しみで泣く間もなく、女王の番犬 として任務に就いた。 それが当然だと思っていたし、おとうさまとおかあさまの不審な事故死の原因を探 ることができるかもしれないと思ったからだ。 女王の番犬として、任務につかないという選択肢も、もしかしたらあったのかもし れない。 でも、僕は自ら選び、女王の番犬となったのだ。 もう一人の僕と同じように。 それを後悔していない。 自分と同じ存在であるもう一人の僕も同じ気持ちだった。 明日、人生の1つの転機を迎える特別な時、何かの拍子でもう一人の存在に気がつ いたのかもしれない。 温かい涙が次々とシエルの手に落ち、シエルは初めて自分が泣いていることに気が ついた。 セバスチャンはシエルを抱き寄せ、頬を濡らす涙をすくい、頬に優しく何度もキス をした。 「泣かないで、シエル。私はシエルの涙に弱いのですから・・・」 「わからないけど、涙が止まらないんだ。僕はもう一人の僕にも、幸せになってほ しいんだ」 「私もシエルには幸せでいてほしいと思っていますよ。少年のシエルにも、もう一 人の私がいたのでしょう?」 「いつもそばにいてくれたよ。どんな時も。僕はセバスチャンの事を愛していて、 悪魔なのにセバスチャンは、僕を愛していると言うんだ。おかしいだろう?」 シエルはその時のことを思い出して、ふと微笑んだ。 そう少年の僕は、今の僕と同じようにセバスチャンを愛していた。 心から愛している。 その想いは一緒だと思えた。 「悪魔が愛してしまうほど、少年のシエルも美しいのでしょうね。見てみたいよう な気もしますが、私は、今、目の前のシエルに夢中ですから、やめておきましょう」 セバスチャンはシエルの頬に手を添えると、赤く色づいているシエルのふっくらと した唇に自分の唇を重ねた。 やわらかいシエルの唇の感触を愉しむように、何度も啄ばむようなキスを繰り返す。 シエルはセバスチャンのたくましい首に細い腕をまわすと、 「・・・もっとキスして、セバスチャン」 甘えるようにそう言うと、うるんだ青と紫のオッドアイの瞳でセバスチャンを見つ めた。 「・・・可愛いおねだりですね」 セバスチャンは、シエルを強く抱きよせると、角度を変えて深く口づけた。 シエルは戸惑いながらもセバスチャンに教えられたように、唇を少し開けると、セ バスチャンの舌がすぐにはいってきて、逃げたシエルの舌を絡め取った。 「・・・ん・・・んふぅ・・・ん・・・」 シエルの息が苦しくならないように、呼吸する感覚を与えながら、お互いの舌を絡 めあわせ、どちらの唾液なのかだんだんわからなくなっていく。 水の音が静かな部屋の中ではっきりと聞こえ、シエルの耳を侵していく。 セバスチャンの大きな手が優しくシエルの背中をネグリジェの上からなでると、シ エルの口から甘い吐息がもれる。 「・・・ん・・・セバス・・・チャン・・・」 シエルは惚けた瞳でセバスチャンを見つめる。 「こんな顔を他の誰にも見せないでくださいね、シエル」 見せるはずもないのに、セバスチャンはシエルとキスをするようになってから、何 度となく言うようになったセリフの1つ。 「・・・見せるはずないだろう。僕がキスをするのは、セバスチャンだけなんだか ら」 シエルはむっとしたように答えると、セバスチャンはにこやかに微笑む。 社交界デビューをして、すぐに結婚を決めてしまったシエルに、社交の場で伝え聞 いていたシエルの美貌を見ることを心待ちにしていた男性達を落胆させているなど と言うことは全く知る由もなかった。 シエルに他の男が近づくのをセバスチャンが避けていたというのもあるのだが。 その為か、噂が噂を呼び、社交界デビューの後も、なかなか夜会に姿を見せないシ エルの容姿については、いまだ神秘に包まれているのだ。 10歳のシエルを大切に守り、育ててきたセバスチャンとしては、他の男達の視線に シエルをさらすのは我慢できないことだったのだ。 大人げないと言ってしまえば、それまでなのだが・・・。 「今からシエルのウェディングドレス姿が楽しみですね」 本来であれば、盛大な結婚式を挙げても良いのだが、シエルがそれを嫌い、明日は、 近親者のみで教会で式を挙げることになっているのだ。 「記憶が戻ってきているとはいえ、なんだかまだ信じられない」 シエルは戸惑ったような、困惑したような表情をしている。 嬉しいはずなのに、素直に喜べないのは、もう一人の自分のことを思っているから なのだろう。 「・・・シエル。花嫁さんがそんな顔をしていたら、私と嫌々結婚するのかと思わ れてしまいますよ」 セバスチャンは冗談ぽく言ったのだが、うつむいていたシエルは慌てたように、顔 を上げ、真剣な眼差しでセバスチャンの茶色の瞳をじっと見つめている。 「そ、そんなことない。絶対にないから」 ずっと好きだったセバスチャンと結婚ができるというのに、自分は何をしているの だろう。 僕は僕なのだから。 今の僕の人生をしっかり生きていけばいいんだ、セバスチャンと共に。 「愛していますよ、シエル、これから先もずっと」 シエルの細い身体を強く抱きしめ、セバスチャンはシエルの耳元で低く囁いた。 一瞬、シエルはくすぐったそうに瞳を細めたが、首にまわした手でセバスチャンの 漆黒の髪を愛おしむように指に絡める。 「僕も愛してる。セバスチャンだけをこれから先ずっと」 セバスチャンの肩口に顔をうずめ、自分を安心させてくれる腕の中でシエルは瞳を 閉じる。 「おとうさまとおかあさまにも見せたかった・・・」 シエルはぽつりとつぶやいた。 「きっと天国から祝福してくれていますよ、シエル」 「うん」 自分の頭を優しくなでてくれるセバスチャンの手は、子供の頃、同じように頭をな でてくれたおとうさまを思い出す。 「絶対に幸せにします、シエル」 「セバスチャンは幸せ?」 うっとりと瞳を閉じていたシエルは、急に瞳を開けるとセバスチャンの茶色の瞳を 見つめる。 「もちろん、幸せですよ」 「よかった。僕だけが幸せじゃ意味がないもの。セバスチャンと僕、両方が幸せじ ゃないと。だから、セバスチャンの事は僕が幸せにするから」 シエルは大きなオッドアイの瞳を細めて、嬉しそうに微笑む。 久しぶりにシエルの心からの笑顔を見たような気がする。 笑顔が似合う少女だったシエルが、両親を亡くしてからは、あまり笑わなくなって しまった。 それでも、セバスチャンと一緒にいるようになってから、時々、笑顔を見せるよう になっていたけれど。 (明日は、レディ・エリザベスの言うように、以前の笑顔が見たいですね) セバスチャンは、腕の中のシエルを愛おしむように抱きしめ、額に優しくキスをし た。 ◆ ◆ ◆ シエルはセバスチャンと共にディナーを・・・といっても、セバスチャンが執事の 役をしながらという奇妙なディナーなのだが・・・すませた。 ファントムハイブという特殊な家柄の為、新たに執事を雇いいれるのも難しいとい うこともあり、セバスチャンはシエルとの結婚後も執事を続けると言って譲らない のだ。 確かに、セバスチャンは有能な執事だけれども、これからはシエルと共にファント ムハイブ家の主人となり、裏社会を統べる存在になるのに。 自分よりも有能な執事がいたら雇い入れてもいいというセバスチャンの意見がある ので、たぶんこのままセバスチャンが執事を続けていくことになりそうなのだが。 自分の部屋に戻ってから、シエルは、いつもより早めにメイリンに入浴の手伝いを してもらい、明日に備えて入念に入浴を済ませた。 ベッドサイドに座ると、シエルはふーっと大きく息を吐く。 白い頬は、入浴の為、ほんのりバラ色に染まり、身体もほてったままだった。 明日、私はセバスチャンの妻になる。 なんだか、まだ信じられない。 女王の番犬として任務に就いた時、女性としての幸せは望まないと決めていたのに。 いつの間にか、セバスチャンがその心を溶かし、シエルにとって、いなくてはなら ない存在になっていた。 誰にでも幸せになる権利があるのだと、セバスチャンはいつも言っていた。 私の背負っているものを一緒に背負ってくれると言ってくれたセバスチャン。 私はなんて幸せなんだろう。 シエルはベットに倒れこむと、淡いピンクの天蓋を見上げた。 この部屋は明日から、私とセバスチャンの寝室へと変わる。 子供の私には、広すぎて、おとうさまとおかあさまが亡くなってからは、よくセバ スチャンの部屋に行って、一緒のベッドで眠ってもらったものだ。 ふと懐かしくなって、シエルは身体を起こすと、赤いガウンをはおって、部屋をで た。 まだ、セバスチャンは部屋にいないかもしれない。 それでもよかった。 暗くて怖かった長い廊下は、今もまだ少し怖いけれど。 使用人達の部屋が並ぶ廊下にたどりつくと、懐かしさと安堵感に満たされる。 セバスチャンの部屋の扉を控えめにノックすると、すぐに扉が開かれた。 「シエル!?どうしたのですか?」 扉の前に立つシエルを見て、セバスチャンは驚いたようだったが、すぐに部屋に招 き入れてくれた。 「なんだか、昔のことを思い出していたら、ここに来たくなって・・・」 シエルはいないと思っていたセバスチャンが、部屋にいたこともあり、急に恥ずか しくなってしまった。 「そういえば、昔はよく私の部屋に泣きそうな顔をしながら、来ていましたね。そ のことを言うと、シエルは泣いてないと膨れていましたが・・・」 セバスチャンはシエルの上気したままのバラ色の頬を突っつく。 「だって、まだ泣いてなかったもの」 シエルはセバスチャンの身体に抱きつくと、上目づかいでセバスチャンを見つめる。 「・・・シエル。今夜は、一人で過ごす約束ではなかったですか?」 抱きついてきたシエルを優しく抱きしめながら、セバスチャンはため息をつく。 「そうだったかしら?きっとさっきの夢のせいで忘れてしまったのね」 いたずらっぽく笑うと、シエルはセバスチャンのシャツの胸元に顔をうずめ、青と 紫のオッドアイの瞳を閉じる。 大好きなセバスチャンの匂いは、どんな時もシエルを安心させてくれた。 「困ったシエルですね。他の使用人達がいくら私たちの関係を知っているとはいえ、 今日くらいは、別々に過ごしましょうと約束したはずなんですけどね」 「セバスチャンは私と一緒に過ごしたくないの?」 シエルは小首をかしげて、セバスチャンを見つめる。 「もう一人の少年のシエルの世界では私が、悪魔だったようですが、この世界では シエルが小悪魔のようですね」 自分がどれだけ魅力的な女性なのか、自覚がないというのは怖いもので・・・。 透けるように白い肌はなめらかで、触ると手にすいつくようにしっとりとしている。 ブルネットの長い髪は、セバスチャンの手入れの賜物で、さらさらと揺れるたび、 美しい艶が内面からあふれ出ている。 大きな青と紫のオッドアイの瞳は、入浴後ということもあり、熱で少しうるんでい た。 ふっくらとした唇はベリーのように赤く色づいている。 他の女性がうらやみそうなコルセットを必要としないほど、細くくびれたウェスト。 10歳の時からシエルのそばにいて、執事として身の回りの世話をしてきたセバスチ ャンにとって、美しく成長したシエルを見ることは嬉しいことであり、どこにだし ても恥ずかしくないレディに育てたつもりだ。 だからこそ、心配事が多いのだが・・・。 「小悪魔?なんのこと?」 シエルはセバスチャンの言った意味がわからず瞳を瞬く。 「なんでもありませんよ、シエル。折角、シエルが夜這いに来てくれたのですから、 期待に応えないといけないですね」 セバスチャンはそういうと、シエルを軽々と抱きかかえ、ベッドへと連れて行き、 シエルをベッドにおろすと、自分もベッドに乗り、シエルのそばに近づいていく。 「今日はダメ。昔みたいに腕枕をしてもらいながら寝るつもりで来たんだから」 シエルは慌てて、セバスチャンの腕から逃れると、布団の中にもぐりこんでしまっ た。 「・・・やっぱり小悪魔ですね・・・」 セバスチャンは苦笑すると、サイドテーブルの灯りを消し、シエルの待つ布団の中 に身体を滑り込ませる。 「セバスチャン、早く、早く」 シエルにシャツを引っ張られ、セバスチャンが腕を伸ばすとすぐにシエルの小さな 頭の重さが腕に伝わってきた。 「もっとくっついてもいい?」 シエルの甘い囁きに、軽く眩暈を感じながら、 「いいですよ」 と答えると、シエルの温かい身体がより近くなる。 「こうしていると、昔みたいね」 シエルは嬉しそうに言うが、セバスチャンにとってはもはや、寝るどころの話しで はない。 男心をもう少し教えておくべきだったとセバスチャンは後悔する。 月明かりがうっすらと入ってくる部屋の中。 セバスチャンに頭をなでられていると、話したいことがたくさんあったのに、シエ ルの目蓋は本人の意思に反して閉じてしまった。 昔は二人で寝ても広く感じられたベッドも、今のシエルとセバスチャンではちょう どいいくらいだった。 ここで過ごすのも今日で最後。 そして、シエルとこのベッドで寝るのも最後。 幼いシエルが眠りにつくまで、頭をなでていたこと。 眠った後、シエルが両親の名前を呼びながら、泣いていたこと。 女王の番犬としての威厳を保つために誰にも見せなかった涙。 今も、屋敷から外に出れば、女王の番犬として、またファントム社の経営者として の勝気な女性のシエルがいる。 せめて自分といるときは。たくさん甘えさせてあげたいし、安らぎを与える存在で いたいと思っていた。 少し早いかと思ったが、16歳の誕生日に全てを明かし、シエルと共に生きること をシエル自身に誓ったのだ。 やわらかなシエルのブルネットの髪にキスをする。 ふと、シエルを見ると瞳を閉じて、寝息をたてていた。 今日一日、いろいろなことがありすぎて疲れてしまったのだろう。 シエルの白い頬に優しくキスをすると、セバスチャンはシエルを優しく抱き寄せ、 自分も目を閉じる。 「良い夢を、シエル」 ◆ ◆ ◆ 闇に覆われていた部屋に少しずつ、太陽の光が差し込んでくる。 執事の朝は早く、夜は遅い。 昨日は、シエルと共に早々と眠ってしまったが・・・。 腕の中で、穏やかな寝息を立てているシエルは精巧に作られたビスクドールのよう に美しい。 規則正しく胸が上下にしていなければ、人形と見間違えてしまいそうだ。 このまま寝かせておいてあげたいと思うのだが、シエルが目を覚ました時に、セバ スチャンがそばにいないと不機嫌になるので声をかけるようにしている。 「シエル、そろそろ私は起きますけど、どうしますか?」 「・・・ん・・・もう、そんな時間?」 シエルはもそもそ動くと、セバスチャンの胸元に顔をうずめる。 「みんなが起きる前に部屋に戻りませんか?」 頭を優しくなでながら、シエルの耳元で囁く。 シエルの父親代わりでもある家令のタナカに見られたら、さすがに気まずい。 「ふふ・・・くすぐったい。わかったわ。部屋に戻るわ」 シエルは身体を捩りながら、瞳を開ける。 「おはようございます、シエル」 「おはよう、セバスチャン」 朝の挨拶もそこそこに、二人は軽くキスを交わす。 いつもと変わらない朝の風景。 二人にとって、特別な日の始まりにシエルは、ドキドキと胸が高鳴っていた。 セバスチャンはシエルを抱き起こすと、そのまま抱えて、自室を後にする。 まだ薄暗い静かな廊下を歩いている間、シエルはセバスチャンの首に細い腕をまわ し、まだ整えられていないセバスチャンの髪に指を絡めながら、足をぶらぶらさせ ていた。 その仕草は、幼い子供の頃のシエルを思い出させる。 「シエルは、小さな子供に戻ってしまったみたいですね」 セバスチャンは苦笑しながら、シエルを見る。 「そ、そんなことはないわ。私はもう子供じゃないわ。立派なレディよ」 恥ずかしい気持ちをごまかす為に、つい無意識のうちに行っていた行動が子供に戻 ってしまったようだと言われてしまい、シエルは余計恥ずかしくなってしまった。 白い頬をバラ色に染め、セバスチャンから視線を逸らす。 部屋に着くと、セバスチャンはシエルをベッドに静かに下ろした。 「まだ時間はありますから、横になっていてはいかがですか?」 セバスチャンは、そういうと後でまた紅茶をもって伺いますと言って、部屋を後に した。 シエルはベッドに仰向けに倒れこむと、枕元に置いてあったビターラビットを抱き しめながら、淡いピンクの天蓋を見上げた。 私はもう子供じゃない。 それはセバスチャンがよく知っているはずなのに。 誰かに守られるだけのか弱い子供の自分は嫌。 フランシス叔母様のように強くなりたくて、武術や剣術、自分の身を守る術は身に 付けた。 マダム・レッドには、もっと女の子らしくしなさいといまだに言われるけれど。 女王の番犬として生きることを決めた私には、女の子らしさなんて不必要なものだ ったから。 その私が、セバスチャンを好きになり、結婚することになるなんてまだ信じられな い。 今日からは、夜もずっと一緒にいられることが恥ずかしくもあり、うれしかった。 一緒に寝ていてもシエルの方が先に寝てしまうので、今まで1回しかセバスチャン の寝顔を見たことがないのだ。 それも、まだ恋人同士になる前の事で、珍しく早く目が覚めたシエルは、セバスチ ャンがまだ寝ているのをみて、最初は寝たふりをしているのではないかと様子をう かがっていたのだが、熟睡しているようなので、安心した。 セバスチャンの見たことがない顔を見れた嬉しさと独り占めしている喜びを今もよ く覚えている。 意外と長い睫毛、端正な顔立ち、薄い唇。 しばらくじっと見ていたけれど、セバスチャンの漆黒の髪に触ってみたくて、恐る 恐る手を伸ばし触ってみた。 やわらかい髪のさわり心地がよくて、髪を何度か指に絡めて見たけれど、セバスチ ャンが起きる様子がないので、ずっと触れてみたかったセバスチャンの唇にゆっく り手を伸ばし、触れてみた。 すごくやわらかくて、いつも頬にキスしてくれる時よりもずっとやわらかく感じた。 もっと触れてみたい・・・セバスチャンの腕の中にいたシエルは、もぞもぞと身体 をゆっくり起こすと、セバスチャンの唇に自分の唇を重ねてみた。 先程までのやわらかさとは、比べようもないくらいやわらかい感触にびっくりして、 すぐに離れてしまったけど。 今、考えてみると、あれが初めてのセバスチャンとのキスだったんだ。 シエルは、ビターラビットにキスをして、ぎゅっと抱きしめる。 扉をノックする音が聞こえ、セバスチャンが紅茶を運んできた。 「・・・やっぱり起きていたんですね、シエル」 いつもの執事の格好をしたセバスチャンは、手早く紅茶の用意をする。 「色々、思いだしていたら、眠れなくなってしまったの」 シエルはあの時のことを思いだし、笑っている顔を見られるのが、恥ずかしくてビ ターラビットで顔を隠す。 「何を思いだしていたんですか?」 「ふふ・・・内緒」 シエルは身体を起こすと、差し出されたソーサーを受け取り、細い指でティーカッ プを持ち、ミルクティーを一口飲んだ。 「内緒・・・ですか?ますます知りたいですね」 「内緒は内緒よ。誰かに言ってしまったら、内緒ではなくなってしまうわ」 シエルは唇に人差し指をあて、にっこりと微笑む。 「シエルと私の間で内緒・・・秘密なんてありましたか?」 「・・・あるのよ。セバスチャンが知らないだけで・・・」 紅茶を飲み終えたティーカップをソーサーに戻し、セバスチャンに手渡すと、シエ ルはその言い方に何か含みがあるように感じて、逆に気になってきた。 もしかして、あの事を知っているんじゃないかしら。 シエルは子供の頃だったとはいえ、寝ているセバスチャンにキスをしたことを知ら れているのではないかと思うと恥ずかしくなって、顔がほてってくるのがわかった。 「セバスチャン、何か思い当たることがあるの?」 「そうですね。私がシエルに言っていないことを内緒というなら、秘密があるかも しれませんね」 セバスチャンはにこにこしながら、焦り始めたシエルを見つめている。 やっぱりばれているの? でも、何かおかしい。 セバスチャンが私に言っていないことがある? それってどういうこと? 他に付き合っている女性がいるとか? シエルの顔がだんだん曇っていくのをセバスチャンは相変わらずにこにこしながら 見ている。 「セ、セバスチャン。私たちこれから夫婦になるのよね?秘密があるのはよくない と思うんだけど・・・後々、喧嘩の元になったりするかもしれないし・・・。今な ら、昔のことも許すわよ」 「そうですか?神様に懺悔するより前に、シエルに懺悔しておいた方がいいですね」 セバスチャンはベッドサイドに座ると、はぁーとため息をつくと、真面目な顔でシ エルを見つめた。 「な、なにかしら?」 無意識にシエルの声が上ずる。 「何から話しておきましょうか・・・」 セバスチャンは腕組みをして、思案している。 「えっ、そんなにたくさんあるの?」 嫌なことを色々考えてしまって、どんどん不安になっていく。 「そうでもないと思いますよ。例えば、朝、寝ているふりをして、シエルが何をす るのか、様子をうかがっていたら、キスをされてしまったりとか・・・」 「寝てるふりしてたの?」 シエルの大きな青と紫のオッドアイの瞳がより大きくなる。 「はい。シエルが何をするのか興味があったので、寝たふりをしていましたが、ま さか、キスされるとは思っていませんでしたから、びっくりして起きてしまいそう になりました。あとは、そうですね・・・寝ているシエルによくキスしたり・・・ これは、シエルも私にしていましたから、お互い様ですね」 「そ、そうね。あとは?」 「うっかりキスマークを付けてしまったのを虫さされだとごまかしたり、シエルの 見えないところつけたり・・・」 「・・・あとは?」 「胸が大きくなるように寝ている間に触ったり・・・」 「・・・」 「シエル、どうしたんですか?そんな呆れたような顔をして」 「セバスチャンは、私が寝ている間に気がつかないと思って、そんなことばかりし てたの?」 「無防備に横で寝ていられると、私も男ですからね。どこまでしたら、シエルが起 きるのかなと思いまして・・・」 「セバスチャンのエッチ!!」 ビターラビットをセバスチャンに向かって投げつけると、セバスチャンの身体にあ たり、膝に落ちる。 「シエルが可愛すぎるからいけないんですよ」 ビターラビットをサイドテーブルに置くと、シエルをベッドへ押し倒し、セバスチ ャンは耳元で低く囁く。 「・・・ん、くすぐったいってば」 「くすぐったいだけですか?」 シエルはセバスチャンのたくましい胸を細い腕で押すが、びくともしない。 「10歳の時からシエルのそばにいて、ずっと守ってきたんです。それくらいご褒美 をもらっても許されると思うのですが、マイ・レディ?」 「許してあげるわ。私の心も身体もずっと前からセバスチャンのものだから。でも、 セバスチャンの心も身体も私だけのものよ」 セバスチャンを見上げる青と紫のオッドアイの瞳には、強い意志が込められている。 この強い意志のこもった瞳がセバスチャンが魅了してやまない。 「初めてシエルを見たときから、私の心も身体も全て、シエルだけのものですよ。 ずっとシエルが欲しかった」 シエルの白い頬に唇を近づける。 「私も初めて見たときから、セバスチャンがほしかったわ。今日、それがかなうの ね」 シエルはセバスチャンの頬に手を添えて、自分の唇をセバスチャンの唇に重ねる。 軽くキスを交わし、二人で微笑みあう。 「そろそろ朝食を食べて、式の準備をしないといけないですね。今日は時間に遅れ るわけにはいきませんから。この続きは、夜ですね・・・」 「えっ?」 セバスチャンは立ち上がると、白い頬をバラ色に染めているシエルを抱き起こす。 「おや、不満ですか?」 「そんなことないわ」 シエルは慌てたように、セバスチャンから離れる。 大胆な言動をとったかと思うと、急に恥じらいの表情を見せる。 その二面性が、セバスチャンにとっては可愛くて仕方がない。 「それでは、着替えの用意を致しましょうか、シエル?」 セバスチャンは驚いているシエルを気にする様子もなく、衣裳部屋に入っていく。 「待って、セバスチャン。私の着替えは、だいぶ前からメイリンの仕事になってい たはずだけど・・・」 「今日から、またシエルの身の回りの世話は、私がすることになりました。ファン トムハイブの執事・・・いえ、主人たるもの自分の妻の身の回りのことができず、 どうしますか?」 何着かの洋服を手に取り、迷っている様子のセバスチャンは当たり前にように言う。 「夫に世話をしてもらっている奥さんなんていないと思うんだけど・・・」 逆はあるかもしれないけれど。 セバスチャンに手をひかれ、衣裳部屋に入り、姿見の前で洋服をシエルに合わせ、 今日のイメージではないですねと独り言を言っているセバスチャンには聞こえてい ないようだ。 「セバスチャンは、私の夫になるのであって、執事ではないのだから、身の回りの ことはしてくれなくてもいいのよ」 半ば呆れ気味にシエルが言うと、セバスチャンは真剣な表情でシエルの細い肩に手 を置く。 「だからこそ、人の目を気にしないで、シエルの身に周りの世話ができるのではな いですか」 「・・・はぁ?」 少しの間の後、シエルはセバスチャンの言葉の意味がわからず、聞き返してしまっ た。 「少し前まで、シエルの着替えや入浴は私の仕事でしたけど、シエルも年頃になっ たということことで、メイリンに仕事を引き継ぎましたが、やっぱりシエルの身の 回りの世話は私ではないと、どうも落ち着きません。シエルの美しさを引き立たせ ることができるのは私だけですから」 何を真剣な表情で語っているんだろう・・・。 シエルは呆れるのを通り越して、どうでもよくなってしまった。 セバスチャンはこう言いだしたら、何を言っても無駄だということをよく知ってい るからだ。 「・・・わかったわ。セバスチャンの好きにしていいわ」 シエルはため息をつくと、セバスチャンに手伝ってもらい、服を着替えると、朝食 の為、食堂へと向かった。 「おはようございます、お嬢様」 扉をセバスチャンがあけると、いつも以上に明るい声が聞こえてくる。 タナカ、バルドロイ、フィニアン、メイリンが食堂で並んで待っていた。 「おはよう、みんな」 シエルはにっこりと笑うと、部屋に入ると、部屋の中がいつもより華やかに飾りつ けられていることに気がついた。 「これは、どうしたの?」 シエルは不思議そうに、部屋の中を見回しながら、セバスチャンが引いてくれた椅 子に座る。 「今日は、お嬢様とセバスチャンさんの結婚式なので、みんなでお祝いをしようと 思って、僕たちで飾り付けしてみました」 フィニアンがにこにこ嬉しそうに笑いながら、シエルの好きな白バラを1本差し出 した。 「・・・ありがとう、フィニアン。とってもうれしいわ」 白バラを受け取ると、シエルは青と紫のオッドアイの瞳を閉じ、白バラの匂いを堪 能する。 「お嬢様、私たちが本当にお式へ参列しても、よろしいのでしょうか?」 メイリンが不安そうな顔で聞いてきた。 「いいのよ。だって、タナカ、バルドロイ、メイリン、フィニアン。みんな私の家 族みたいなものだもの。気にせず、参列して。衣裳も用意したのだから」 シエルのその言葉を聞くと、三人は口々にお礼の言葉を言う。 本当に祝ってほしい者しかよばない。 それがシエルの考えだったから。 いつも自分の為に命をかけてくれる皆に感謝の気持ちを込めて。 「マイ・レディ。朝食が覚めてしまいますよ。皆さんも時間までに各自の仕事を終 わらせるように」 セバスチャンの指示が出ると、三人は部屋を出て行った。 「お嬢様、本当に私がエスコートしてもよろしいのでしょうか?」 タナカは、使用人という立場なのに、父親役をお願いされるという大役に戸惑って いるようだった。 「タナカは、私にとって父親のような存在よ。私を一人でヴァージンロードを歩か せるつもり?」 シエルはセバスチャンが入れてくれた紅茶を一口飲む。 「そんな事はさせられません。しかし、私は使用人ですから・・・お気持ちは嬉し いのですが、立場をわきまえませんと・・・」 「今日だけ特別ということではダメ?おとうさまの時から、ファントムハイブ家に 仕えてくれているタナカにしか頼めないお願いなのだけど」 シエルは戸惑っているタナカにどうしたものか、思案しながら、セバスチャンの方 をちらりと見る。 「タナカさん、私からもぜひお願いします」 セバスチャンは、シエルの意図を感じとり言葉を続ける。 「お二人にそう言っていただけるのであれば、断ることはできません。誠心誠意、 大役を務めさせていただきます」 タナカは一礼をすると、嬉しそうに目を細めた。 「ありがとう、タナカ。とても心強いわ。私一人では、緊張してヴァージンロード を歩けないかもしれないと心配していたから」 「私も少し心配でしたし。昨日のように緊張のあまり倒れてしまうのではいかと・・・」 セバスチャンもシエルと同じテーブルにつくと、食事を始めた。 「それでは、今朝は私が執事の役を務めさせていただきますので、ゆっくりお食事 下さい。旦那様」 そういうとセバスチャンのティーカップに紅茶を注いだ。 「ありがとう、タナカ。でも、朝食の間だけだ。私は執事の仕事が気に入っている のでね」 セバスチャンがそういうと、シエルはくすくすと笑いだした。 「どうしたのです、シエル。いえ、マイ・レディ」 「いいのよ、シエルで。ファントムハイブ家は特殊な家だけど、これからはもっと 特殊な家になるのだなと思って」 「そうですね。それもまた新しいファントムハイブ家になっていいのではないです か」 「えぇ、二人で新しいファントムハイブ家を作っていくのだから。これから、楽し みだわ」 二人で朝食をとる・・・そんな当たり前のことが、幸せだと思えるようになった自 分の気持ちの変化にも驚いていた。 おとうさまとおかあさまが亡くなった時には、こんな風に誰かと笑いあいながら、 食事ができるようになるなんて思っていなかった。 セバスチャンがそばにいてくるようになったから、というのが一番の理由だと思う けど。 ずっとこんな幸せが続くと良いのに。 シエルは心から思った。 ◆ ◆ ◆ |
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「瞳の奥をのぞかせて」 この世にはかなう想いとかなわない想いがある。 一度失ってしまったものは、二度と戻らないように。 いくら想っても、届かない想いがあるように。 かなわない想いなら、最初から望まない方がいい。 この想いがなんという感情なのか、僕は知りたくない。 僕にとってこの想いはきっと不必要なものだから。 ◆ ◆ ◆ 「坊ちゃん、庭の桜が見ごろになってまいりました。今年は趣向を変えて、夜桜を 見に参りませんか?」 広大な敷地に建っているファントムハイブ邸には、家令のタナカが故郷を偲んで数 十本の桜の木が植えられている。 その桜を見ることは、毎年シエルの楽しみの一つになっているのだ。 シエルの横で、アフタヌーンティーの用意を流れるような優雅な動作で進めている 黒い執事はにこやかに微笑みながら言った。 「夜桜か・・・暗くてはせっかく咲いている桜も見えないだろう。それに、夜はま だ寒いんじゃないか?」 自分の執事兼『恋人』の誘いの言葉に、会社の書類に目を通していたシエルは、め んどくさそうに顔を上げる。 この小さな『恋人』の返事を予想していたかのように、セバスチャンは茶色の瞳を 細め、言葉を続けた。 「幸い今夜は満月でございます。月の光の下で見る桜は、普段見る桜とは違い神秘 的だとタナカさんもお話しされてましたよ。寒がりな坊ちゃんの為に、温かい飲み 物とスイーツを用意致しますので、いかがでしょうか?」 「本当か?それなら考えてやってもいいぞ」 今、目の前に色とりどりのフルーツがたくさんのったタルトが用意されているにも かかわらず、スイーツと聞いて、シエルは深い青色の瞳を輝かせている。 「では、決まりですね。他の使用人に知られてしまうと、大騒ぎになってしまいま すから、二人だけで参りましょう」 紅茶を注いだティーカップを執務机の上に置くと、セバスチャンはシエルの形のい い耳に口元を近づけて、低く囁いた。 「なっ・・・急に何をするんだ!!」 シエルは耳を押さえて、白い頬をほんのりと赤く染め、大きな椅子からずり落ちそ うになりながら、いまだ自分の顔の近くにあるセバスチャンの顔を睨んだ。 「相変わらず、耳が弱いですね、坊ちゃんは。『恋人』同士になってから半年も経 つと言うのに・・・」 セバスチャンは白絹の手袋で覆われた手を伸ばし、シエルのほんのり赤く染まった 頬を優しくなでる。 「・・・し、仕方ないだろう。慣れないものは慣れないんだ・・・」 拗ねたような口調で言いながらもシエルは、自分の頬をなでる手に甘えるようにす り寄る。 シエルにその自覚はないのかもしれないが、その仕草はセバスチャンの好きな猫を 思い出させる。 (猫は猫でも血統書つきの高貴な猫ですが・・・) セバスチャンはふと口元を緩ませる。 「嗚呼・・・私の愛しい坊ちゃん」 恥ずかしそうにうつむいているシエルの顎に手をあて、少し上を向かせると、セバ スチャンはそのふっくらとした唇に自分の唇を重ねる。 シエルのやわらかい唇の感触を楽しむように何度も軽く唇を合わせるだけの軽いキ スを繰り返す。 悪魔のセバスチャンにしかわからない甘い香りがシエルの身体から薫ってくる。 「・・・坊ちゃん、もっとキスしてもよろしいですか?」 「・・・す、好きにしろ・・・」 そっけない言葉とは裏腹に、セバスチャンを見つめるシエルの青い瞳が少しうるん でみえるのは気のせいだろうか。 (本当にかわいい方ですね。これでもう少し素直だといいのですが・・・) セバスチャンは心の中で苦笑しながらも、シエルの小さな身体を片手で胸元に抱き 寄せ、ブルネットのやわらかい髪をなでた。 シエルは戸惑いながらもセバスチャンのたくましい首に細い腕をまわし、真紅に変 わった瞳を覗きこむようにみつめていた。 (僕はセバスチャンの瞳にどんな風に映っているんだろう?) ただの特別な魂の入れ物? か弱く、自分では何もすることができない子供? 悪魔の欲望を満たすための玩具? セバスチャンとのキスで与えられる頭の芯がぼーっとするような感覚は決して嫌い ではないけれど、どんな意味が込められているのかを考えるときりがない。 セバスチャンは角度を変えて、シエルの唇に深く口づける。 シエルの狭い口腔の中に舌を侵入させ、小さな形の整った歯を舌でなぞっていく。 「・・・ん・・・んふぅ・・・ん・・・」 シエルの口から甘い吐息がかすかにもれてくる。 甘い香りが一層強く薫り、セバスチャンの鼻先をくすぐるように広がっていく。 シエルは、小さな舌をセバスチャンの舌にからませようとするが、すぐに逃げられ てしまい、逆に強くからめとられてしまう。 いつもはそっけない態度をとっているシエルもこの時ばかりは、セバスチャンとの キスに夢中になってしまう。 お互いに名残惜しそうに唇を離すと、セバスチャンがもう一度シエルを抱き寄せ、 軽く唇を重ねる。 「坊ちゃんのキスはいつも甘いですね」 セバスチャンは肩口に顔をうずめているシエルを壊れものを扱うように優しく抱き しめる。 「・・・セバスチャンだって、そうだぞ」 今にも消えてしまいそうなほど、小さな声でシエルはつぶやく。 「そうですか?さすがに自分のはわかりませんからね。あぁ、せっかく入れた紅茶 が冷めてしまいましたね」 机の上に置かれた紅茶からすっかり湯気が消えてしまっている。 セバスチャンはシエルを椅子に座らせると、乱れてしまった髪やリボンタイ、服装 をすばやく直し、ティーカップを下げようと手を伸ばした。 それを制するようにシエルがティーカップに細い手を伸ばし、一口飲んだ。 「いや、これでいい」 「よろしいのですか?それでは、後でさげに参ります」 さっきまでの甘い笑みは消え、いつもの執事の表情に戻ったセバスチャンは、一礼 して部屋を出て行った。 その後ろ姿を見ていたシエルは、心の中でため息をつく。 (『愛しい』・・・か。偽りの言葉だとわかっているのに、うれしいと思ってしま うのはなぜなんだろう?あいつは、このことに気づいているのだろうか?) 今あったことをフィルムを巻き戻すように思い返し、自分の態度に不審なところは なかっただろうかと考えてみる。 いつものようにあいつのいう『恋人』でいられただろうか。 シエルは先程交わしたセバスチャンとのキスを思い出し、しっとりとぬれた唇に触 れる。 想いのこもっていない偽りのキスだとわかっているのに。 それを思うとシエルの胸は切なく痛んだ。 自分の今の感情を自覚してしまったら、あの悪魔はなんと言うのだろうか? 僕を蔑むのだろうか? 嘲笑うのだろうか? 決して、この想いがなんという感情なのか考えてはいけない。 こんな必要のない想いは、早く自分の心から切り捨ててしまわなければ。 この感情に気づく前の自分に戻らないといけない。 これはただの悪魔との『ゲーム』だ。 甘い言葉も態度も悪魔の手管の1つなんだ。 そう思っているのに、なぜ心はこんなに揺れ動くのだろう。 セバスチャンがシエルの為に作ったフルーツタルトを一口食べる。 (味がよくわからない・・・) 涙でぼやける視界でフルーツタルトを見つめ続けた。 ◆ ◆ ◆ 事の発端は、セバスチャンがもちかけた『ゲーム』だった。 「契約が終了するまでの間、私と『ゲーム』をいたしませんか?」 ゲームの天才といわれるシエルだ。 どんなゲームでも負けたことがない。 悪魔が持ちかけてくるゲームとはどんなものなのだろうか。 興味を覚えつい聞き返してしまった。 「・・・どんなゲームだ」 「簡単なゲームです。私と坊ちゃん、二人でいるときは『恋人』同士としてふるま うのです」 シエルは読みかけていた本をあやうく落としそうになってしまった。 「なんで、僕が執事のお前と恋人同士のまねごとなんてしないといけないんだ。意 味がわからないぞ」 睨みつけるシエルを気にする様子もなく、セバスチャンは言葉を続ける。 「恋をしたことがない坊っちゃんには、難しいゲームでしたか?」 人を小馬鹿にするような笑みを浮かべながら、セバスチャンはシエルを見下ろして いる。 「そういう問題じゃない!!なんで男の僕とお前が恋人になるんだ!!だいたい、 恋人同士のふりをすることに意味があるのか?」 周りから優秀な執事だと称賛されているこの悪魔は、どこかの赤い死神の変な影響 でもうけたのだろうか。 シエルはセバスチャンの言葉の真意をはかりかねていた。 「悪魔には、性別も年齢も関係ありませんから、そのあたりは気にしなくてもよろ しいかと・・・。それにレディ・エリザベスとの結婚に向けての予行練習になるの ではありませんか?」 「・・・僕はそんなに長く生きるつもりはない」 復讐を果たすために生きているシエルにとって、誰かと結婚をする自分なんて考え られるはずがない。 だいたい、復讐を成し遂げたら、自分の魂はこの黒い執事に契約の対価として引き 渡すことになっているのだから。 誰かを愛するなんて感情はとうの昔に忘れてしまった。 恋愛感情なんてものはきっと今のシエルにとっては、一番不必要なものだろう。 「何事も経験しておくのはいいことですよ、坊ちゃん」 「僕が聞きたいのはそういうことじゃなくて・・・」 「ただの私の気まぐれですよ。悪魔の私が人間のような感情をもつとは限りません し、坊ちゃんも私を愛するはずがない。その二人が恋人を演じることで気持ちが変 わるのか。・・・興味がわきませんか?私は一度試してみたかったんです」 いつものにこやかな笑顔でとんでもないことを言い出したセバスチャンに、シエル は半分あきれた気持ちと、秘かに育ちつつあったある想いに気づかれたのではない かと内心焦り感じていた。 (このゲームだけは、どうしても受けるわけにはいかない) いつもの冷静さをよそおいながら、シエルは、 「僕は興味など全くない。試したいのなら、他の人間を相手にすればいいだろう」 さも興味なさげに読んでいた本に視線を戻す。 「他の人間ではダメです。相手が坊ちゃんではないと意味がないのです。永く生き てきた私が初めてこんなに興味を覚えた人間は坊ちゃんだけなのですから。それと も坊ちゃんは、最初から負ける事がわかっている『ゲーム』はしない主義ですか?」 わざとシエルを挑発するような言葉をぶつけてくる。 「負けるだと?それは、セバスチャン、僕がお前を好きになると思っているのか? はっ、相変わらず自惚れの強い奴だな」 ついいつもの調子で答えてしまった。 「では、『ゲーム』を受けて頂ける、ということでよろしいですね?」 にっこりと音が聞こえてきそうな微笑みのセバスチャンをみて、シエルはしまった と思ったが、今更断れるような状況ではない。 セバスチャンはベットサイドに座り、いつの間にかわったのか悪魔の本性を現す真 紅の瞳でシエルを見ている。 シエルは、心の中で大きなため息をつきながら、自分の性格を少し恨んだ。 「・・・わかった。恋人のふりでいいんだろう?僕がセバスチャンを好きにならな ければ、僕の勝ちということだな。僕が勝ったら、何か『褒美』はもらえるのか?」 こうなってしまったら、開き直るしかない。 セバスチャンは少し考えるようなそぶりをみせて、 「・・・そうですね。では、坊っちゃんの願いを1つかなえるというのはいかかで しょうか?」 「じゃあ、食事を3食スイーツでもいいのか?」 「それは、坊っちゃんの執事としてお受けいたしかねます」 悪魔でも執事という立場は忘れていないようだ。 「僕の唯一の願いだとしても?」 「それ以外でお願い致します」 チェッと舌打ちすると、セバスチャンに窘められた。 (僕の本当の願いは・・・きっとかなうことのない願いなんだ) かなわない願いなら、最初から望まない方がいい。 シエル自身の中で芽生え始めた想いが、消えてしまうように願うのもいいのかもし れない。 消えてしまえば、この想いがなんなのか知らずにすむ。 シエルは自嘲気味に笑う。 「どうかなさいましたか?」 不思議そうにシエルを見つめるセバスチャン。 「いや、なんでもない。願いは考えておく。今、決めなくてもいいだろう?」 「はい。決まりましたら、おっしゃって下さい」 「わかった。せっかく、悪魔にかなえてもらえる願いだ。よく考えさせてもらうと しよう」 シエルは、不敵な笑みでセバスチャンを見つめ返した。 セバスチャンは、手を伸ばし、シエルの前髪を耳にかけると、隠れていた右目を見 えるようにする。 右目を眼帯で隠していないシエルの瞳は紫と青のオッドアイにみえる。 そうセバスチャン以外には。 (いつ見ても綺麗な瞳だ。・・・その瞳に映るのが私だけになればいいのに) シエルの右目にうかぶ契約印とセバスチャンの左手に刻まれた契約印。 見えるところにあればある程、効力を増す。 悪魔が獲物を見失わないようにという意味もあるが、それ以上のつながりを求めて いる自分がいる。 (坊ちゃんにとっては、意味のない『ゲーム』かもしれませんが、私にとってはと ても大切なことなんですよ) ゲームの真意にシエルはまだ気づいていないようだ。 今、気づかれてしまっても困るのだけれど。 頭のいいシエルのことだ、もしかするとすぐに気づいてしまうかもしれない。 しかし、時間をかけて、ゆっくり慎重に事を進めていかなければ、『ゲーム』を持 ちかけた意味がなくなってしまう。 「坊ちゃん、願いのことを考えるのは、結構ですが、これから行う『ゲーム』のこ とも忘れないで下さい。『ゲーム』の期間は私と坊ちゃんの契約が終了するまで。 または、それまでの間に私か坊ちゃんのどちらかが、本気で相手を愛し、自分の気 持ちを伝えた方が負けです」 セバスチャンは静かにそういうと、ベットから降り、シエルの足元に跪づいた。 「わかった。僕は『ゲーム』と名のつくもので負けたことはない。今、言った言葉 を忘れるなよ、セバスチャン」 「イエス・マイロード」 胸に手をあて、セバスチャンは恭しく頭を下げた。 「では、今から『ゲーム』をスタートしてもよろしいでしょうか?」 「いつからでもいいぞ」 こうなってしまっては、いつから始めても同じだろう。 シエルは軽い気持ちで答えた。 「ありがとうございます。では、さっそく」 セバスチャンはすっと立ち上がると、再びベットサイドに座った。 「坊ちゃん、夜ももう遅いですから、そろそろおやすみください」 今まで見たことがないような優しい笑顔でセバスチャンは言うと、シエルの細い肩 を抱き寄せ、白い頬にキスをした。 「な、な、なっ、何をするんだ!!」 シエルは頬を押さえながら、すばやくセバスチャンから離れた。 「決まっているじゃないですか。私たちは『恋人』同士なのですから、おやすみの キスくらい当たり前ですよ。それとも唇の方がよかったですか?」 シエルは耳まで赤くしながら、大きなオッドアイをさらに大きくして、セバスチャ ンを睨んだ。 「『ゲーム』はもう始まっているのですから、『恋人』同士がすることはさせて頂 きます。坊ちゃんには、少しずつ『恋人』同士がどういったことをするのか、教え て差し上げますから、ご安心ください」 セバスチャンの満面の笑みを見ていると、一日で淑女になれるように教え込まれた 時の事を思い出した。 シエルは背筋が凍るような悪寒を感じた。 (僕はとんでもない『ゲーム』を受けてしまったのではないだろうか・・・) そう思う反面、自分よりも体温の低いセバスチャンの唇がふれた頬は、今はどこよ りも熱くなっている。 (悪魔でも唇はやわらかいんだな・・・) 見てはいけないと思っているのに、セバスチャンの薄い唇に目が行ってしまう。 (・・・気づかれたか?) いつの間にか抱きかかえていた本をまくらのそばに置きつつ、様子をうかがいなが ら、上目づかいでセバスチャンをみると、 「そんな目で見て、私を誘っているのですか?」 ベットサイドに座ったままのセバスチャンに抱きかかえられて、身体の小さなシエ ルはセバスチャンの膝に座るような格好になってしまった。 「なっ、すぐに離せ!!」 力いっぱい手でセバスチャンの胸元を押すが、びくともしない。 シエルの身体から甘い香りが薫り始める。 (全く自覚がないというのは、怖いですね・・・) 今後は、いろいろと気をつけていかないとやっかいなことになりそうだと思う反面、 セバスチャンは内心、ぞくぞくと反応する身体と喜びに満たされていた。 「・・・キスしてほしそうな顔で見ている坊ちゃんがいけないんですよ」 「いつ、僕がそんな顔をした?」 顔を逸らすシエルの顎に手を添えると、自分の方を向かせる。 「今もしていますよ。キスしてほしいって・・・」 そういうのが早いか、ふと息が顔にかかったかと思うと、シエルの唇にセバスチャ ンの唇が重なっていた。 思っていた以上にやわらかく、少しひんやりするセバスチャンの唇。 シエルは真紅のセバスチャンの瞳を吸い寄せられるようにみつめていた。 一方的なキスからシエルの唇を解放すると、セバスチャンはシエルを何事もなかっ たようにベットに寝かしつけた。 「明日も予定がたくさん入っておりますから、早くおやすみください」 サイドテーブルに置いてあった燭台を持つと、セバスチャンはいつもの執事の顔で 一礼して部屋を出て行った。 暗闇の中、一人残されたシエルは、今起こったことを思い出し、熱い頬を覚ますよう に両手でふれる。 (・・・これは『ゲーム』なんだ。だたの『ゲーム』だ) シエルは自分に言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返した。 残酷なほど優しいキスをした悪魔の唇の感触が消えない。 (・・・絶対に魂以外はやるものか・・・) シエルは自分の身体を両手で抱きしめながら、そう誓った。 ◆ ◆ ◆ ディナーを済ませ、執務室で本を読んでいると、小さく扉をノックする音が聞こえ た。 「はいれ」 誰が来たのかは、声を聞かなくても分かっている。 「失礼致します」 扉を開け、入ってきたセバスチャンは一礼する。 「そろそろ月も昇ってまいりましたので、夜桜を見に出かけましょうか、坊ちゃん」 「わかった」 本にしおりをはさみ、ローテーブルの上に置く。 その間にセバスチャンがコートを用意し、立っているシエルに着せた。 「玄関から出てしまうと、他の者に気づかれてしまいますから、テラスから外に出 ましょう」 セバスチャンに促され、シエルの寝室に移動し、窓を開けると、テラスへと出た。 外は思っていたよりも寒くなかった。 「坊ちゃん、失礼致します」 セバスチャンは、シエルを軽々と抱きかかえると、シエルは一瞬とまどいながらも、 セバスチャンのたくましい首に細い腕をまわし、胸元に顔をうずめる。 それを確認すると、セバスチャンは、テラスから庭へと軽々と飛び降りた。 「少し急ぎますので、しっかりつかまっていて下さい」 シエルはまわした腕に力を入れ、これ以上近づけないくらいにセバスチャンの身体 に自分の身体を押しつけた。 (・・・胸の鼓動が伝わってしまわないだろうか?) そんな考えが一瞬浮かんで、身体を強張らせたが、いつものセバスチャンの匂いに ふとシエルの頬が緩み、目を閉じ、身体をセバスチャンにゆだねた。 聞こえるのは、セバスチャンの胸の鼓動と、風の音、そして風が揺らす葉のかすか な音だけ。 「つきましたよ」 セバスチャンの言葉にシエルは、青い瞳をゆっくりとあけると、目の前の光景に一 瞬で心を奪われてしまった。 満開の桜は、月の白い光を浴びて、可憐な薄紅色の桜の花びらが、今は、青白く輝 いて、闇の中で浮かび上がっているように見える。 昼に見る可憐な桜とは、まったく別の物のようだ。 青白く光を放つ桜は、何かを惑わせるような怪しい雰囲気に包まれている。 (太陽の日差しを浴びている桜より、夜の桜の方が僕にはお似合いだな) 裏の世界に身を置くことを自ら選び、そして悪魔の手をとり、復讐をすることを望 んだ自分には、輝かしい場所など似合わないのだから。 「綺麗だな・・・」 シエルはセバスチャンに地面におろしてもらうと、桜の方へ向かって歩きだした。 「えぇ、とても綺麗ですね」 セバスチャンの瞳は桜ではなく、月の光を浴び、桜以上に輝いている小さな『恋人』 を見ていた。 (何者にも穢されることのない坊ちゃんの魂のように美しいですよ) 桜の下まで歩を進めたシエルは、桜の木を見上げる。 満開の桜・・・ずっと見つめていると不思議と心を奪われてしまいそうな感覚に陥 る。 「桜の花は、人の心を魅了し、心を奪うと言います。坊っちゃん、心を奪われない ように気をつけて下さい」 いつの間にかシエルの後ろには、セバスチャンが立っていた。 「・・・僕の心はもう奪われてしまったようだ」 桜を見つめながら、シエルは静かに告げた。 「桜にですか?それとも別のものにですか?」 「さぁ、どうだろうな?」 いたずらっぽくそう答え、シエルは振り返ると、セバスチャンの瞳は鮮やかな真紅 へと色を変えていた。 「それは、困りますね。坊ちゃんは、私の『恋人』なのですから」 「でもそれは、偽りだろう?セバスチャン、お前だってわかっていることだろう?」 「偽りですか・・・。確かにそういう『ゲーム』でしたね」 セバスチャンの声は気のせいか、いつもより低く、さみしげに聞こえる。 「なんだ、『ゲーム』の負けを認めるのか?」 シエルは自分の心の偽りを悟られないように、不敵な笑みを浮かべてセバスチャン を見上げる。 「・・・坊ちゃんは、この半年、私と偽りの『恋人』としてですが、過ごしてみて 何か変わりましたか?」 鮮やかな真紅から茶色へと変わったセバスチャンの瞳には、憂いが浮かんでいるよ うに見える。 (これも僕を試す為の演技なのか?悪魔というのは、どこまでもたちが悪い) この半年、セバスチャンの『ゲーム』に振り回され続けたシエルは、ここぞとばか りに大きなため息をつく。 「何も変わらない。そういうセバスチャンは何か変わったのか?」 「・・・坊ちゃんは、本当に何も気づいていないのですか?私がこの『ゲーム』を 貴方に持ちかけた本当の意味を?」 セバスチャンは意外そうにシエルに聞き返した。 いつものシエルであれば、自分の真意にすぐに気付くと思っていたのに。 「セバスチャンの気まぐれだろう?違うのか?」 シエルは、セバスチャンが何を言いたいのかわからず、だんだん苛立ちを感じ始め ていた。 「確かにあの時、私の気まぐれだと言いました。それは、坊ちゃんと契約し、執事 として過ごしていく日々の中で、自分の気持ちの変化に気づいてしまったからです。 その感情を坊ちゃんにも気づいて欲しくて『ゲーム』を持ちかけたのです。」 「どういう意味だ?」 セバスチャンはシエルの眼帯のひもをほどき、右目の契約印を見えるようにすると、 自分の両手の手袋を外し、シエルの前に跪き、シエルを優しい瞳で見上げた。 「坊ちゃん。いえ、マイ・ロード。私の左手の契約印と坊っちゃんの右目の契約印。 それは、私と坊ちゃんの主従関係をあらわすもの。契約の対価は、坊ちゃんの魂。 その魂を最高の状態で手に入れる為、私は私の美学に従って行動をすればよかった。 しかし、それだけでは、物足りなくなってしまった」 「物足りない?」 シエルは、形のいい眉をひそめ、怪訝そうに聞き返した。 「・・・坊ちゃんの魂だけではなく、坊ちゃんの心と身体、坊ちゃんの全てを自分 の物にしたいという欲望が芽生え始めたのです。私の悪魔としての本能。最初はそ う思っていました。しかし、それだけではないことに気づいたのです。だから、坊 ちゃんと『ゲーム』をすることで、坊ちゃんにも私の感じている感情、『愛しい』 という気持ちに気づいてほしかったのです」 「そんなの絶対に違う!!」 シエルはセバスチャンの言葉をさえぎるように大きな声で怒鳴ると、セバスチャン を睨みつけた。 「・・・坊ちゃん」 セバスチャンは悲しそうな顔でシエルを見つめ返した。 「悪魔が人間のような感情をもつとは限らないと言ったのは、お前だぞ、セバスチ ャン!!」 「確かに私はそう言いました。しかし、坊ちゃん、私が貴方を愛してるとあの時告 げていたら信じましたか?」 「・・・お前が愛しいのは、僕の魂であって、僕自身ではないだろう」 シエルは静かにそういうと、セバスチャンから視線を逸らした。 「確かに、坊ちゃんの魂は私にとって特別です。そして、シエル・ファントムハイ ブという人間もまた私にとって特別な存在なのです。悪魔の私が坊ちゃんに逢わな ければ、決して知ることのなかった『愛しい』という感情を教えたのですから」 「・・・・・・・・・・」 (セバスチャンは悪魔だ。人間と同じような感情を抱くと思えない。僕の魂への執 着には気づいていたが・・・) 悪魔のセバスチャンが、僕を愛しているなんて、信じることはできない。 僕は、誰も愛するつもりなんてないのだから。 セバスチャンよりも人間の僕の方が人としての感情を失っているのかもしれない。 いや、考えないようにしているだけなのかもしれない。 「『ゲーム』をすることで、坊ちゃんが少しでも私の事を考えてくれればいいと。 そして、私の気持ちに気づいてくれればと期待していたのですが・・・」 シエルは、この半年の事を思い返していた。 確かに『ゲーム』を持ちかけてきてから、セバスチャンの態度は少しずつ変わって いた。 それは、『恋人』を演じているからなのだと思っていたからなのだが・・・。 (そういえば・・・) シエルはある事に気づき、ハッとする。 何も答えようとしないシエルにセバスチャンは、顔を覗き込んだ。 「坊ちゃんは、私が『ゲーム』の話をしたときに、何か気づきませんでしたか?」 「・・・あぁ・・・」 なぜ、今まで、気がつかなかったのだろう。 最初からセバスチャンは『ゲーム』の事を持ち出した時に、勝敗について何も語っ ていなかったことに。 「坊ちゃんなら、すぐ気付いてくれると思っていたのですが・・・」 セバスチャンは苦笑しながら言った。 「じゃあ、自分が最初から負けるとわかっていて、『ゲーム』をしたいと言ったの か?」 「はい。私が想うように、坊ちゃんが私を想ってくれるかは、わかりませんでした から・・・。そうなればいいとは思っていましたが」 シエルは困惑した表情で、セバスチャンの顔を見つめた。 いつもは憎たらしいくらい余裕の笑みを浮かべているセバスチャンが、見たことが ないくらい情けなく見えるのは、気のせいだろうか。 「・・・セバスチャン。お前は、僕に嘘がつけない。そうだな?」 「はい。そういう契約ですから」 何度となく確認している契約の内容のひとつ。 シエルは跪づいているセバスチャンに近づき、両手でセバスチャンの両頬に手を添 え、自分の額とセバスチャンの額をくっつけた。 「ぼ、坊ちゃん?」 「僕は、自分の事ばかり考えていて、大切なことが見えなくなっていたようだ」 自分の本当の想いに気づかないふりをして、自分の心と向き合わないでいることに ばかりきをとられて、『ゲーム』の本当の意味に気づけなかったということか。 シエルはセバスチャンの茶色の瞳を覗き込み、その中の真実を見つけ出した。 「坊ちゃん、どうかされたのですか?」 突然、大胆な態度をとるシエルにびっくりしたようだったが、セバスチャンはシエ ルの手に自分の手を重ねた。 自分よりも体温の低いセバスチャンの体温がなんだかとても心地よく感じる。 「・・・人は自分を守るために嘘をつく。そして、僕も」 「そのようですね」 「僕の気持ちに気づいていたのか?」 「なんとなくですが。坊ちゃんが『ゲーム』とは言え、あんなに可愛らしい恋人を 演じられるとは思っていませんでしたから・・・坊ちゃんは自分の気持ちを言って くれないとは思っていましたが、ここまでとは思いませんでした」 「・・・僕はどんな『ゲーム』でも負けないと言っただろう?」 やわらかい表情で微笑むシエルを愛おしむように、セバスチャンはシエルをやさし く抱きしめた。 「『ゲーム』は坊っちゃんの勝ちです。坊っちゃんの願いを1つかなえましょう」 シエルはずっと言うことはないと思っていた願いを口にした。 「僕の願いは決まっている。契約としてではなく、命令でもない。セバスチャンの 心が欲しい。セバスチャンの全てが欲しい。これから先ずっと僕だけのものでいろ」 「はい、坊ちゃん。私の心はすでに貴方の物です。私の全ては貴方だけの物です」 その答えを聞くと、シエルは恥ずかしそうにセバスチャンから視線を逸らし、満開 の桜を見上げ、青い瞳を細めた。 そんなシエルの様子を見ていたセバスチャンが、シエルの手をとり、軽く口づけを すると、温かい春の夜風が吹き、ひらひらと桜の花びらが舞い降りてきた。 「とても綺麗だ・・・」 ひらひらと舞い降りてくる白い花びらに手を伸ばしてみる。 つかめそうでつかむことができない白く小さな花びら。 手に入れることができないと思っていたセバスチャンの心みたいだ。 シエルの手のひらに1枚の桜の花びらが舞い落ちてきた。 セバスチャンは、跪づいた姿勢のまま、シエルを見上げ、 「坊ちゃん、私の願いも聞いて頂けますか?」 「『ゲーム』に勝った者だけが褒美をもらえるのではないのか?」 シエルが意地悪そうに言うと、 「僭越ながら、この場合は引き分けに近いかと・・・」 確かに、シエルもセバスチャンを好きになってしまったのだから、そうとも言える。 「セバスチャンの願いをかなえると言っても、人間の僕には魔力もないし、できる ことは限られるが・・・」 「魔力など必要のない願いですよ。坊ちゃんが私と永遠の誓いをたててくれればい いのですから」 「永遠の誓い?」 聞き返したシエルをセバスチャンの真紅の瞳が見つめていた。 「私は悪魔ですから、永遠の愛の誓いを神に誓うことはできません。坊ちゃんも神 ではなく、悪魔の私の手をとったのですから、神に誓うことはないでしょう。です から、お互いが、お互いの為に永遠の愛の誓いたいのです」 「そ、それってまさか・・・」 シエルは白い頬を赤く染めながら、頭の中が一瞬真っ白になった。 「はい。人間でいうところのプロポーズということになるのでしょうか?坊ちゃん と私が両想いだということがわかり、お互いがお互いを求めているのですから、自 然な流れだと思うのですが・・・」 シエルの左手をにぎったままセバスチャンはにっこりと悪魔に似つかわしくないほ ど、優しい笑みを浮かべている。 お互いがお互いを求めている・・・か。 確かに、今の僕にはセバスチャンのいない人生は考えられない。 セバスチャンと共に同じ道を歩み、残りの生命を過ごすことも僕の願いということ か。 ずいぶん、欲張りになってしまったものだ。 シエルはふと口元を緩め、セバスチャンの手を握り返した。 「・・・僕の最期をみとり、僕の魂を手に入れるのは、セバスチャン、お前だ。僕 はお前に誓おう、永遠の愛を・・・」 「私はシエルに誓いましょう。永遠の愛を・・・」 初めてセバスチャンに呼ばれた自分の名前に、シエルは恥ずかしそうにうつむいた。 セバスチャンは胸元に手を入れると、とりだしたリボンをシエルの左手の薬指に巻 きつけると、ちょうちょ結びをした。 「これは?」 「結婚指輪の変わりです。暗くてよく見えないと思いますが、このリボンは、桜と 同じ薄紅色なんですよ」 「薄紅色?」 セバスチャンは、もう一本のリボンを取り出し、月の光にかざした。 「これは、タナカさんに教えてもらって桜から染めたこの世界に2本しかない物で す。それをシエルに受け取ってもらいたかったのです」 「桜の花びらで染めたのか?」 シエルは自分の左手のリボンをじっと見つめる。 月の明かりで青白いようにしか見えないが、言われてみると薄紅色にも見える。 「いいえ。桜の花びらからは色は染められません。木の皮を煮詰めると薄紅色に染 めることができるのです」 「桜の木の皮から染めたのか?桜の木を見ていると、茶色に染まりそうだが・・・」 シエルはセバスチャンの言葉がまだ信じられないようだ。 「桜の花びらの薄紅色は、桜の木自体が内部に持っている薄紅色の色素で染めてい るそうです。自然というのは、不思議なものですね」 あのこげ茶色の幹が、桜の可憐な薄紅色の元になっているなんて、まるで、今のセ バスチャンみたいじゃないか。 残酷な悪魔からは考えられないような優しい笑みと甘い言葉を囁き、僕を愛してい るというセバスチャン。 指輪の変わり・・・なんて人間のようなことまでするなんて。 誰が想像できただろうか。 シエルはセバスチャンの手に握られていたリボンを受け取ると、セバスチャンの左 手の薬指に巻きつけた。 「・・・シエル?」 「これは指輪の変わりなんだろう?セバスチャンもつけなければ、意味がない」 決して器用とは言えないシエルが、リボンと格闘すること数十分。 どうにかちょうちょ結びをすることができた。 「これで私とシエルは人間でいうところの夫婦ということですね。私の気まぐれで、 長い時間を過ごすことになるかもしれませんがよろしいですか?」 「・・・セバスチャンの好きにしろ」 そっけない言葉で返事をするが、恥ずかしくてセバスチャンの顔を見ることができ ない。 セバスチャンは立ち上がると、シエルを軽々と抱きかかえ、白い花びらが舞い散る 中、用意してあったテーブルと椅子の所まで連れて行った。 「約束通り、温かい飲み物とスイーツを用意してありますよ」 椅子に座らせてもらったシエルは、そばに立つセバスチャンを見上げる。 「・・・僕はこっちのスイーツの方がいい」 セバスチャンの黒いタイを引っ張ると、セバスチャンの薄い唇に自分の唇を重ねた。 ・・・最初から全部僕のものだったんだ。 お互いの唇の感触を楽しむように軽いキスを繰り返していたが、セバスチャンに強 く抱きしめられ、次第に深いキスへと変わっていく。 「・・・ん・・・んふっ・・・セバス・・・チャン」 甘い吐息の合間に愛おしい悪魔の名前を呼ぶ。 「・・・もっと僕に夢中になれ」 「シエルももっと私に夢中になってください。私がどれだけ、シエルを愛している かこれから教えて差し上げますよ。・・・快楽も喜びも全てを・・・愉しみですね」 シエルの身体からは媚薬のように甘い香りが薫る。 鮮やかな真紅の瞳が怪しく光ったように見えたのは気のせい? 二人の薬指のリボンが優しい春風に吹かれ、揺れていた。 ◆ ◆ ◆ この世にかなう願いとかなわない願いがある。 一度失ってしまった物が二度と戻らないように。 でも、願えば、かなう想いがあることを知った。 この先、どうなるかなんて誰にもわからないけれど。 愛しい悪魔といれば、かなわない想いもかなうような気がする。 この先も、ずっと二人でいれば・・・。 ~Happy Wedding~ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ はじめまして、月の雫と申します。 セバシエ大好きという気持ちだけで、物語まで書いてしまいました( ̄▽ ̄;) 稚拙な文章ですが、少しでも楽しんで頂けると幸いです。 題名は、お気づきの方もいると思いますが、私の好きなアーティストの方のタイト ルをお借りしました。 目は口ほどに・・・とよくいいますので、目を見て大事なことを確認しあった二人 という感じでしょうか。 「24/7」という話しも書いていますので、よかったら読んでみてください。 シエルとセバスチャンの結婚、おめでとうございます!! |
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癖というのはなかなか治らないものだ。
自分の髪を触るだの、親指を噛むだの、癖というものはもう自分の無意識下で行われているもので、やめようとするには、やめようと意識をしないといけない。 その癖が生まれる原因の1つとしては、その行動が日々繰り返されていたからというものもあるだろう。 当たり前になってしまったこと=癖と考えてもあながち間違えでは無いのかもしれない。 人生の中で何度も何度も繰り返し行われてきたことが癖にならない方が難しいのだ。 だから人間誰しも癖の1つや2つ、持っているだろう。 もしかしたら自分も、ましてや他人も気が付いていない癖が。 しかし僕の場合。 その癖は自分も、ましてや相手も気が付いている。 ― 素直じゃない二人 ― 「やはり気になりますか」 シエルの癖を見逃さなかったセバスチャンは苦笑しながら声を掛けてくる。 目敏い相手にシエルはため息をついて、撫でてしまっていた親指から手を離した。 「別に。ただ何となくだ」 「何となく、と言う割にはいつもそこを触っておられますよね」 「・・・仕方ないだろう。三年間ずっとしてきた仕草だ。急にやめろと言われてやめられるわけがない」 腕を伸ばして自分の手の平、否、親指を見て自嘲するかのように哂う。 そこには黒い爪が輝き、真っ白く細い指が鎮座している。そこに何の飾りもなければ、指輪だってない。 「置いてこずに持って来れば宜しかったのでは?」 「嫌味かそれは」 「さぁ、貴方の判断にお任せします」 ニッコリと微笑むセバスチャンにシエルは舌打ちをしながら、先ほどまで眺めていた外に視線を戻す。 置いてこずに持って来ればよかったなんて、どの口がほざいているのだろうか。 もう自分はシエル・ファントムハイヴという人間では無く、そして女王の番犬でもない。 あの指輪を持ってくる意味も無ければ、持っていたいとも思わない。 が、いつまでたっても親指を撫でる癖が抜けないからセバスチャンは嫌味を言ったのだろう。 それか・・・。 シエルは窓際に座ったまま力を抜き、頭をコテンと枠に預ける。 外には海があり、潮の匂いが混じった風がシエルの頬を撫でていく。 それは心地いいものだが、どこか今の自分の穴が開いた部分を錆びさせていくようで痛みを感じてしまう。 (女々しいな、いつまでも) 悪魔になれば感情も消え去るのかと思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。 いや、もしかしたら自分は人間から悪魔になった“異端”なので、本来ならば消え去っているものなのかもしれない。 「坊ちゃん」 「なんだ」 変わらず背後に立つセバスチャンの声に投げやりな態度で返事を返せば、相手から提案が差し出された。 「新しい指輪を付けたら如何ですか?」 「新しい指輪・・・?」 「えぇ」 眉を顰めながら目線だけをセバスチャンに向ければ、セバスチャンは口元に弧を描いたままこちらへと近づき、シエルの前で膝をつく。 「そうすれば指輪がない指を気にすることも無いかと」 「別に指輪をすることに拒否は無いが・・・」 指輪をすることは別に構わない。 自分を飾り立てることに興味はないが、指輪を嫌がる理由もないのだから。 だが、正直。 あの指輪の代わりに他の指輪をする、というのは何だか気に食わない。 もうあの指輪も捨てて親指は軽くなったというのに、新たな指輪をしたことで、まだ自身があの指輪を気にしてしまっていることを目に見えて確認するような気にもなるのだ。 それに。 (わざわざ親指という妙なところに別の指輪を嵌めるというのも可笑しな気がする) そう思い提案を渋っているとセバスチャンはこちらの思考を読んだようで、シエルの左手を取りながら「ご安心ください」とクスリと笑った。 「親指ではないところに指輪を嵌めましょう」 「別の指に?」 「えぇ。たとえば」 こことか。 そう言いながら触れた指は。 左手の薬指。 「・・・・・・・・は?」 その指を触れさせた状態のまま、シエルは眉を顰めたまま首を傾げた。 左手の薬指に指輪を嵌めるだなんて。 この悪魔が自分で遊ぶことに関してはいつも怒りを覚えるけれど、今回は怒りを通り越して呆れてしまった。 「貴様、どれだけ僕を嘲笑いたいんだ」 「嘲笑いたいだなんてとんでもない。私はいつ如何なる時も本気ですよ?」 「じゃぁ、本気で左手の薬指に指輪を嵌めろと?随分とつまらん嫌味だな」 もう付き合ってられん、とシエルは再び窓の外に視線を戻そうとすれば。 「冗談でも嫌味でもないですよ」 「うわ・・・・?!」 グイと掴まれていた手を引かれ、身体がセバスチャンの胸元へと倒れていく。 もう片方の手で窓枠に手を掛け身体を支えようとするが、その前に抱き寄せられ、身動きが取れなくなってしまった。 「ちょ、セバスチャン!」 「私が貴方に指輪を贈ります」 「はぁ?!」 言われた言葉に驚き目を見開いて相手を見つめれば、酷く楽しそうな顔が瞳に映りこむ。 誰が誰に指輪を贈ると? 「貴様言っている意味が分かっているのかっ」 「えぇ。分かっておりますよ」 セバスチャンはそのまま掴んでいる左手を口元へ近づけ、薬指にチュッと口付ける。 それにシエルはビクリと身体を奮わせ、頬を染めながら「離せ!」と叫ぶが、「嫌です」の一言で一刀両断された。 抱きしめられたことは何度もある。勿論それは主人と執事として、または契約者と悪魔として。 しかし今はそのどちらにも当てはまらないような気がして、シエルは早くなる鼓動を感じながら、セバスチャンから逃れようともがく。 「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか」 「嫌がるに決まっているだろう!こんな、ワケの分からない・・・」 頬を赤く染めたままシエルは無意味に首を横に振った。 左手の薬指に指輪を贈る。 イコールそれは“結婚してください”ということ。 (なんで、そんな・・・っ) 一体セバスチャンが何を考えているのか全く分からない。 ただの冗談や嫌味なら分かる。 いつだってコイツは嫌みったらしくて、自分との間には喧嘩が耐えないのだから。 けれど。 ―――冗談でも嫌味でもないですよ 彼はそう言ったのだ。 嘘をつかない彼が。 「べ、別に親指を気にしてしまうのを紛らわす為にする指輪なら、薬指じゃなくてもいいだろう」 今のワケが分からない状況を何とかしたくてシエルは別の方向へと流してしまおうとするが、セバスチャンはそれを許さない。 「そういう意味で言っているわけじゃないと、分かっていますよね?」 「・・・ッ!」 「お子様な坊ちゃんの為にストレートに言いましょうか」 それにビクリと身体を奮わせる。 (あぁ・・・来る) どうしてそんなことを思うのか分からない。 だがなぜかセバスチャンからこれから言われるであろう言葉は、どこかでいつか言われるような気がしていた。 それでも、それをずっと知らない振りをしていた。 聞きたくないと耳を塞いでいた。 だって聞いてしまったら、きっともう。 逃げられない――― 「坊ちゃん」 いつもと同じ声で呼ばれる同じ名前。 けれど赤く煌いている瞳は、いつもよりも真摯で。 シエルの左手を取り抱きしめたままセバスチャンは、 「結婚してください」 そう言った。 室内に沈黙が広がる。 先ほどと同じように潮風が頬を撫で髪を揺らすが、シエルの意識の中には入ってこない。 今シエルの世界には目の前にいる悪魔と、その悪魔が言った言葉しかないのだ。 それ以外を認識する余裕などどこにもない。 一体どれぐらい二人は見つめ合っていたのだろうか。 沈黙が破られたのは、シエルの震える小さな声だった。 「・・・本気、か?」 「はい」 セバスチャンは頷く。 嘘はつくなと命令してあるし、それに。 この瞳を見て嘘だと思える奴がこの世にいるだろうか。 「・・・じゃぁ、お前は・・・」 「坊ちゃんを愛しておりますよ」 「~~~~~ッ!!」 その言葉に一気に身体中に熱が広がる。きっと顔も真っ赤になってしまっているだろう。 シエルは逃げるように顔を自らセバスチャンの胸板に埋めれば、クスリと笑う声が耳を擽った。 「坊ちゃんは私の気持ちに気付いておられるかと思っておりました」 「気付くか馬鹿ッ!」 「おやおや・・・」 では順番を間違えてしまいましたね。 そう言いつつも、クスクスと笑う声が絶えない。随分とご機嫌なようだ。 こちらはこんなにも掻き乱されているというのに。 それにまだプロポーズの返事だってしていない。 「随分と余裕だな」 少しでも自分のペースを取り戻すべく嫌味の一言を言ってやるが、セバスチャンは平然と、そうじゃない、と答える。 「坊ちゃんが随分と可愛らしくてつい」 「はぁ?!」 「人間の頃も、そして悪魔となった今も、私のことで坊ちゃんが焦ったり恥ずかしがったりした様子をあまり見たことがありませんでしたので」 「馬鹿か貴様はッ」 自分のペースを取り戻すどころか余計にまた恥ずかしい言葉を吐かれ、結局また振り回されてしまう。 (くそっ・・・) 恥ずかしさで死ねそうだと唸れば、セバスチャンは掴んでいた左手を離し、その手で今度は顎をクイっと上に向けさせる。 その自然な動作に抵抗する間もなく、真っ赤に染まった顔をセバスチャンに曝してしまう形となってしまった。 それに再び嫌味やら文句やら言ってやろうと口を開くが相手の方が一歩早く、こちらの言葉を奪ってしまう。 「それで、坊ちゃんの返事は?」 「うっ・・・」 「プロポーズしたのですから、返事をするのは当たり前でしょう?」 呆れるような表情に一瞬本気で殴りたくなるが、まだ抱きしめられた状態で自由が利かないので睨み付けるだけで我慢する。 それにセバスチャンは対抗するように口元を吊り上げるが、その瞳はプロボーズした時と同じ真摯で。 どこまでも本気なのだと、思い知らされる。 そしてその瞳にゾクリとした快感が背中に走ったことも。 そして、やはりもう逃げることが出来ないということも。 自分が自分自身に思い知らされた。 「セバスチャン」 シエルは相手を睨みつけたまま名前を呼ぶ。 きっと自分の瞳も赤色に染まっているのだろう。けれど相手はその瞳を見つめたまま逸らそうとはしない。 「お前の癖って何か知っているか?」 「癖、ですか?」 返事とは違う話しに驚いたのか、若干瞳を大きくしながら首を傾げる。 それにシエルは笑いながら頷いた。 「お前が僕に何か本気で伝えたいことがあると、まずは僕に嫌味を言ったり試すようなことをするんだ」 「・・・そう、ですか?」 「まぁ、ただ嫌味を言う時もあるがな」 「あまり意識したことありませんでしたね」 ムスッとしたような声で言うセバスチャンにシエルはまた笑い、コツンと額と額を合わせた。 そして相手の顔を見ないように目を閉じる。 これから言う言葉は相手の顔を見てなんて言えるわけがない。 一回だけ大きく深呼吸をして、そして。 「僕じゃなければ、きっと嫌味を言われた時点でその後にお前が言う言葉なんて聞こうとしないだろう」 僕じゃないと、お前の本音には辿り着けない。 「だから、仕方ないから、その。お前の傍にいてやる・・・」 小さな声で、返事を返した。 「つまりは、どういうことですか?」 「え」 まさか今の返事にそう返ってくるとは思わず、伝わらなかったのか?!と若干焦りながら瞳を開ければ、酷く嬉しそうな表情のセバスチャンが映る。 (全部分かっているだろうがッ) シエルはビシッと何か亀裂が入ったような音がどこかからか聞こえ、口元をヒクヒクと引きつらせながら 「ゴンっ」 合わせていた額を引いて、頭突きをかました。 「っ~~~~~!!」 構えていなかったところに本気の頭突きをくらったセバスチャンが痛そうに表情を歪ませたのを、シエルは痛みで潤んだ瞳で見て笑い「つまりはなッ!」と叫ぶ。 「貴様のプロポーズを受けて立ってやる、ということだ!」 「~~~~・・・貴方という方は本当に・・・」 僕も愛している、ぐらい言ったらどうですか。 そう文句を言った後、そのままセバスチャンの唇がシエルの唇に重なった。 一瞬なにが起こっているのか分からなかったシエルだったが、口付けられていると理解した直後、相手を殴ろうと手を伸ばすけれど。 ―――坊ちゃんを愛しておりますよ 伸ばされた腕は相手を殴らず。 代わりに相手の首に回して。 セバスチャンの欲しがった返事を、唇で返した。 素直に伝えられないから 癖という名の言い訳で 大好きな君に プロポーズ!! **** もう公式でも結婚してても不思議ではない二人なので、 一体どんなものを書こうかと色々と迷いました(笑) が、結局二人の普段の生活の中で普通にプロポーズをするという、 なんともストレートな文章となりましてorz セバスチャンが指を触る癖についてシエルに指摘したのは 元々プロポーズをしようと決めていたからなんですww 素直じゃない二人を見ているのはとても楽しかったです(笑) 最後まで読んでくださって、ありがとうございました! |
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「お帰りなさいませ、坊っちゃん。私にします? 私にします? それともワ・タ・シ?」 「食事にしてくれ」 「ワ・タ」 「食事にしろ」 「…………」 私の旦那様は、本当にツンばかりで困ります。嗚呼、もしや新たな門出に照れていらっしゃるのでしょうか? 何せ私たちは、 結婚 したのですからね! あくまで結婚! 悪魔の私が坊っちゃんと契約し、早三年。 アニメ黒執事で世の紳士・淑女の皆様からご好評を頂いた私達の元には、クランクアップ後直ぐに黒執事Ⅱのオファーが来ました。 Ⅱ期は、約一年という準備期間を経て放映。私の坊っちゃんへの想いが前回よりも丁寧に描かれていたこと、これは大変良かったでしょう。演技にも熱が入るというものです。 しかしそれ以上に作中では、クロードさんにアロイス様、ハンナさんまでが私の坊っちゃんにべたべたべたべたと――本当に、腸が煮えくり返るかと思いました。 それでも仕事と言われれば、その身を投げうることもいとわない坊っちゃん。立派に役をお勤めになりました。 しかしその間私が、どんなに歯痒い思いをしたことでしょう。 私の坊っちゃんが、撮影とは言え他の者に良いようにされる。ハンカチーフを噛みしめ、枕を濡らした夜は数数えきれません。 そこで私は、はたと気付いたのです。 これは契約以上に強く、私たちを縛るものが必要だと。ストレートに言えば既成事実を作って逃すな! 私の旦那様作戦です。 坊っちゃんは照れながらも、私のプロポーズを快諾して下さいました。 あの時の表情といったらもう――私の長い悪魔の生の中でも、最も幸福な日であったことは言うべくもありません。 恐らくお気づきのお嬢様も多かったことと思いますが、最終話のカード? あれは私たちの結婚式の招待状です。何故か作中では修正が入っていましたが。間違いなくあれは、私達の結婚式の招待状でした。 あれから数ヶ月。6月、大安吉日、最高にお日柄の良い日に私たちは森の小さな教会で、ひっそりと挙式しました。 リンゴーンと鐘の鳴り響く中皆に祝福され、晴れて私は坊っちゃんのお嫁さん! 嗚呼何て素敵な旦那様! 良きかな結婚! と思ったわけですが……。 変化が、無い。 その後一応、前以上に同じお部屋で過ごすようにはなりました。主人の部屋に入り浸るなど執事の美学に反するとは言え、そこはあくまで夫婦ですから。嫁ですから。 でも帰宅後の定番台詞に私を求めて下さったことは無いですし、裸エプロンをした日にはまるで虫けらを見るような瞳で私をご覧になりました。 YES・NO枕は常に私がYESで坊っちゃんがNO。いってらっしゃいのチューにはビンタが飛んできます。 こんなことって有り得ますか!? 私たち、新婚ほやほやの夫婦なのに! 中身は熟年離婚寸前です! それでも、愛する坊っちゃんに三行半を叩き付けて里帰りなど出来るはずもありません。 せめて夜の営みだけでもしっかりしたい……。そう思いながら私は、必死で打開策を考えました。 ◇ 「……で、それでアタシにどうしろって言うのよセバスちゃん?」 これは新婚早々離婚の危機かしら!? とにやつくのは、赤死神ことグレルさんです。 ひっそりとして、人気は無い。こっそり忍び込んだ死神派遣協会の一室で私は、ため息を吐きました。 「馬鹿なことをおっしゃらないで下さい。私と坊っちゃんが離婚だなんて、ありえません」 「あら、じゃあ何かしら?」 「その……噂を聞いたんです」 「噂?」 それは死神の鎌でも刈れなかった魂が協会内で保管されているという、ほとんど都市伝説のような噂でした。 肉体を失った魂は、片割れとしての生きた肉体を求めさ迷う。普通ならば刈り終えた時点で魂の行く末は決まっていますが、あまりに未練が強すぎるとその道を外れてしまうことがある、と。 「――やあね、流石悪魔のセバスちゃんと言ったところかしら」 「では、」 「いい、これは危険なのよ? 強い未練を持った魂は、その想いを遂げるために生きた人間を利用するの。先客なんて関係なしだわ。無理矢理入り込んで身体を乗っ取って、」 「成る程……」 私はグレルさんの言葉に、ほくそ笑みました。これこそ私の欲しかったものに、間違いありません。 「やだんセバスちゃんのその微笑、し・び・れ・るゥ~!! もうあんなガキどうだっていいじゃない! こんな辛気臭い話より、今すぐアタシといけないアバンチュールを……」 「ふぅ、まあそれも良いかもしれませんね」 「んもう、セバスちゃんったらホントお堅……ってえ゛ぇーーーー!!!」 ……今、完全に男性の声でしたね。 「私達新婚なのに、坊っちゃんは全く相手をして下さらないですし? 正直溜まってるんですよね。私」 「ヒッ、ヒドイわセバスちゃん、そんな言い方…。まるで性欲処理みたいな……大人のビジネスライクな関係みたいな……そんなの、そんなのって」 燃えるじゃない!!! 私は勢いをつけて、唇めがけて飛び付いてきた顔面をギリギリと止めました。片手で。 「貴方もあの堅物死神に知られたら困るでしょう? だから、大人のアバンチュールは絶対に誰も訪れない場所にしたいんです。――例えば、ほとんど人が訪れない重要機密が保管されている部屋、とか」 ◇ 爽やかな風が屋敷を通り抜ける、6月某日。 シーズンを迎えたローズガーデンのスターリングシルバーは重厚な芳香を漂わせながら、ファントムハイヴの屋敷を彩っていました。 昼食の時間、坊ちゃんは、私に横抱きにされた状態で食堂に足を踏み入れました。 私の首筋に腕を絡め、うっとりとこちらを見つめる坊ちゃん。 愛しい愛しい、私の坊ちゃん。 「食堂に到着しましたよ、坊ちゃん。降りて下さい」 「……やだ。せばすちゃんの膝の上じゃなきゃ、食べたくない」 「おやおや坊ちゃん、いくら私のことがお好きだからと言って我侭はいけませんよ」 「わがままじゃないっ!」 ぎゅう、とまるで赤ん坊のように、私に抱きつく坊ちゃん。 やだやだ、もうミカエリスカンゲキ!! 広い食堂に足を踏み入れた時から、使用人たちはざわざわと、まるでこの世のものではないものを見るような目で坊ちゃんを見ています。 主人を相手に、拾い食いでもしたんじゃ…などと失礼なことをのたまう始末。 でもまあ、あながちそれも間違いではないのかもしれません。 それは遡ること、数時間前。 今朝のことです――…。 「お目覚めの時間ですよ、坊ちゃん」 私は主人の起床の時刻に合わせて、寝室の扉を叩きました。 まっさらな夜着の裾から艶やかな脚を露にする、悩ましい坊ちゃん…を横目に、さっさとアーリー・モーニングティーと朝食を用意します。 「お待たせ致しました、坊っちゃん。本日は昨夜インドから届いたアッサムをご用意致しました。少々こくが強いので、普段よりミルクは多めでどうぞ」 「ん」 私は温かな紅茶を手渡すと(ばれていないとでも思っているのでしょうか、)ほんの少しだけ頬を緩ませる愛らしい旦那様を見つめる。 寝癖でぴょんとはねた前髪を整えながら、ティーカップに近づく瑞々しい唇を見つめる。見つめる。 「……何だ」 「はい?」 「その血走った目は何だと訊いている! こんな状態で飲める訳がないだろう!」 おっと……私としたことが、これはまずいですね。 「別に何も? はい、ふーふー。どうぞお召し上がり下さい」 「だから、」 「ほら、あーん」 「んく!」 無理矢理カップを傾けると、しぶしぶと言った様子で嚥下する坊ちゃん。 「んあ………?」 細い喉がこくり、上下に動いたかと思うと、坊ちゃんはくるくる目を回して倒れました。 人間の魂は、エネルギーの集合体です。 そしてこの紅茶にはまさしく、グレルさんをたぶらかし死神派遣協会から持ち出したある人間の魂――「愛情に飢えた満たされない魂」が入っていました。 寂しさ故の、ちょっとした、出来心だったんです。 最近大した事件もありませんでしたし。 ――そんな訳で今日の坊ちゃんは、大変可愛らしくあらせられます。 望み通りお膝の上に乗せて差し上げると坊っちゃんは、この上なく嬉しそうに微笑みました。 「ん、せばすちゃん! ぼーっとするな、はやく食べさせろ!」 「はいはい、」 「それじゃなくて…それだ、はやくっ」 食べさせてもらうのが当然と言わんばかりに、 まるで雛鳥のようにピーピーと鳴きながら口を開ける坊ちゃん。 可愛らしい頬を染め、私の手から食事をする愛しい愛しい旦那様。 「ん、おいしい…セバスチャンのごはん、好き……」 坊ちゃんのその言葉にまさしく、屋敷内に衝撃が走りました。 あの坊ちゃんが、好きだと! 私(の作った食事)を好きだと!!! 脇に控える使用人たちも、これは何事かと言い合います。 そう、彼らも勿論私たちの結婚を知っていましたが、今日まで新婚らしいムードなど皆無だったのですから。 坊ちゃんは正気に戻ったら、私をお叱りになるでしょうか? でもとりあえず今は、素直な坊ちゃんを前に夜が楽しみで楽しみでなりません!!! ◇ その後坊ちゃんは、一日私に大いに甘えてお過ごしになりました。 午後は絵本を読み聞かせて差し上げて、屋敷内は私の抱っこで移動。 使用人に隠れて軽いキスをねだるその表情の、なんと愛らしいことでしょう!! 私は今、替えの蝋燭を用意しスキップしそうな勢いで坊ちゃんの寝室に向かっています。 というのも先程のバスで、坊ちゃんのお許しが出たからです! 『あの、坊ちゃん…勝手ながら明日の午前の予定は、午後に移しています。ですからその…今夜は……』 『ん、分かってる。僕もセバスチャンと……その………』 『坊ちゃん!』 アーッもう坊ちゃん坊ちゃん!! 久々の夫婦の営みに、あまりに楽しみで胸が震えます。 それにこの素直な坊ちゃんのご様子ですと、あんなアクロバティックな体位からこんなアブノーマルプレイまでお付き合い願えるかもしれません! 嗚呼、いけませんね。妻である私が、こんなみだらなことを考えていると旦那様に知れては――。 私は必死で緩む頬を引き上げると、扉をノックしました。 「失礼致します、坊ちゃん」 「ばか…おそいぞ……」 薄暗い燭台の下シーツを引き上げ、恥ずかしそうに頬を染める坊ちゃん。 私にはその肩が確かに、剥き出しであるのが見えました。 「えぇっ坊ちゃん、まさかもう……」 「~~っ言うな! 待たせるお前が悪いんだ…もう、早く……」 「坊ちゃん!!」 私はもう、辛抱たまらん! と言った様子で坊ちゃんに飛びつきました。 潤む瞳を見つめ、口付ける。 唇を離し、その柔らかな頬に指を滑らせもう一度口付ける。 「んっ……!?」 そうして、坊ちゃんの唇に舌を滑り込ませると、逆に絡め取られました。 思わず、おかしな声が出てしまいます。 「せばすちゃん、大好き……」 「わ、私もです、ぼっちゃ…ンっ、」 今度は坊ちゃん自ら隙間に舌を差し入れると、踊るように舌を絡ませてきます。 そのままきつく、吸い抜かれる。 あれ…何だかこれおかしくありません? 歯列をなぞり唾液を嚥下しながら、舌を動かす坊ちゃんの動きは完全に玄人のものです。 しかもその間に気がつけば、テキパキと私のシャツを脱がせていきます。 「きもちいい…セバスチャン、もっとちょうだい…」 「あっ」 言っていることも、その仕草もなにもかもが素敵に愛らしい坊ちゃん。 しかし露になった私の胸に吸い付き、時々歯を立てながら敏感な場所を転がす坊ちゃん……。 「くっ……」 いえ、嬉しいのですよ!? 積極的な坊ちゃんも新鮮で、実に良いではありませんか。 それに私はあくまで妻。坊ちゃんの命令には何でも従うつもりです。 ですが……ですが、私の臀部を揉みこむ小さな手。 これは、つまり――。 「ストーップ!! ここまでです坊ちゃん!」 途端に眉を寄せ、不機嫌を露にする坊ちゃん。 べ、別に坊ちゃんに抱かれるのが嫌な訳ではありませんよ!? ただここまで坊ちゃんのために守り抜いてきたバックヴァージンを、このような状態で本当に良いのかと…それに、まさかの展開で……。 「なんだうるさいな、つべこべ言うな! お前は僕の妻だろう、口答えするなっ」 「ですがほら、坊ちゃんは今正気じゃないですし……」 「はあ!? その僕をどうこうしようとしていたのはどこのどいつだ! いいから黙ってやらせ……」 ――ぱたり。 おっと、ちょっと聞きたくない言動が聞こえそうになり、つい手が出ました。 ほとんど反射的に頸部に手刀を入れると、ぱたりと倒れる坊っちゃん。 「すみません坊ちゃん、つい手が出て……ほんとその、すみません………」 執事兼妻にあるまじき行為に、私は手をつき深々と謝罪しました。 ◇ その後ウィリアムさんにけしかけられたのでしょう、泣きながらやってきたグレルさんに私はあっさりと魂を引き渡しました。 坊っちゃんはもうすっかり、元通りです。 やっぱり、身体を乗っ取られた坊っちゃんなんて坊っちゃんじゃありませんよね! 私ったら妻失格です、どうかしていました。 ということで正気に戻った坊っちゃんに、謝罪を。 「坊っちゃん、その…先日は…」 「知らん!!」 「え」 「き、記憶に無いっ。もういいから、何も言うなっ」 「えー……」 そこまで言うと、くるりと椅子を回し背を向けてしまわれる坊っちゃん。 でも私は、確かに見たのです! 坊っちゃんのお耳が、真っ赤に染まっているのを!! 「その……僕はお前のプロポーズを受けたんだ。それは、そういうことだろう? お前が不安になることなんて、何もない」 「坊っちゃん……」 嗚呼、私の旦那様はなんて漢前なのでしょう!! このセバスチャン・ミカエリス、貴方に一生ついていきます! 「坊っちゃん、大好きです。私は間違っていました。やはり、そのままの貴方が一番です」 「……言ってろ」 嗚呼、なんて素敵な旦那様! 良きかな結婚!! 私は椅子ごと、ぎゅっと坊っちゃんを抱き締めました。 fin. |
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