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【2024/05/08 02:35 】 |
青の魔法/良野りつ
いつからだろう?気安く触れるのを許すようになったのは。
いつからだろう?口付けを許すようになったのは。

僕とセバスチャンの関係は、主人と執事であると共に、恋人でもあった。

好きですと言われ、優しく触れられる。
愛していますと言われ、キスを落とされる。

その時は、その甘い時間に酔いしれるが、その実、僕はあまりよく思っていなかった。

触れ方なんて、執事のそれじゃない。
キスだって、執事はしない。

していることは、恋人同士そのもの。だからきっと、僕たちは恋人で正しいのだろう。

でも。
好きだとか、愛しているとかの言葉だけじゃ足りなくて、
不安に駆られて肌を合わせる。
けれど、不安は消えるどころか膨らんでいくばかり。
信じていないわけじゃない。
愛しているからこそ、大切だからこそ、

形がないと不安になるんだ。



青の魔法



風のない、静かな夜。
セバスチャンの持っている蝋燭の灯りと、燃え上がる暖炉の炎が、部屋の中を優しく照らしている。
そういえば、あの日もこんな夜だった。

(壊れた指輪を戻してくれた、あの日も・・・)

「坊ちゃん。今夜は冷えますので、暖炉をいつもより暖かくしております」
暑くなったら呼んで下さいね、と言いながら、セバスチャンは燭台をサイドテーブルに置いた。
「ああ・・・」
シエルは気のない返事をし、ぼんやりと暖炉の火を見つめた。
パチパチと石炭の爆ぜる音が、心地良く耳に届く。
「どうかなさいましたか?」
シエルがあまりにもぼんやりしていたからだろう、セバスチャンが心配そうな顔で、彼の顔を覗き込んできた。

(こんなに優しそうな顔をされると、こいつが悪魔だという事を忘れそうになるな・・・)

けれど、忘れてはいけない。
こいつは悪魔なんだ。
契約があるから傍にいて、こうやって仕えている。

「いや、ただ・・・静かだな、と思って」
「そうですね。雨も風もなく、今夜は静かですね」
穏やかな顔で同意したセバスチャンは、シエルの隣に腰掛けた。
すぐ隣に大好きな香りを感じ、シエルの顔は、自然と緩んでしまう。

手を伸ばせば、届く距離にある温もり。
今なら訊けるかもしれない。
あの時は疑問に思わなかったけれど、月日の経った今だからこそ、不思議に思う事。
「セバスチャン」
「はい、何でしょう?」
シエルが名前を呼び、セバスチャンの方を向く。そうすると、彼もシエルの方を向いて、視線を合わせてくれる。
悪魔の癖に、こうやって真摯に向き合ってくれるところが、シエルは割とと好きだった。

シエルは静かに息を吸い込み、左手の指輪に触れながら、ずっと考えていた事を口にした。
「あの時・・・リジーがこの指輪を壊してしまった時、どうしてお前は僕にこれを戻したんだ?」
「どうして、と言われましても・・・」
困ったように笑うので、訊かない方が良かったのかと不安になる。
「あの時も言いましたが、大切なものだったのでしょう?」
「それはそうだが・・・」

確かに、大切なものだった。
けれど、壊れた指輪を自らの手で棄てた事には、きちんと意味があったのだ。
覚悟を決めた上で手放したのに、すぐに手元に戻ってきてしまった。
もちろん、嬉しくなかった訳ではないが、胸の中には、複雑な想いが渦巻いていた。


『指輪がなくとも、ファントムハイヴ家当主は、この僕だ』
指輪がなくても、僕は誇りを失わない。

『指輪は幾度となく当主の断末魔を聞いてきた』
いつかは僕も、この指輪に看取られながら、断末魔をあげるのだろうか。

『指輪を棄てて、もしかしたら聞こえなくなるかもしれない・・・そう思ってた』
夜毎鳴り響く悲鳴の地獄から、解放されると思っていた。


前向きの気持ちと、後ろ向きの気持ち。
セバスチャンは気付いていたのだろうか。だから自分に、指輪を戻したのだろうか?

甘えは許さないと。


固く拳を握りしめていると、セバスチャンの手に包み込まれ、そっと拳を開かれた。
「実は、今まで黙っていたことがあります」
「!・・・何だ?」
突然の告白に、シエルの胸はざわめき立った。
不安に耐えるように、自分の手に触れているセバスチャンのそれを、強く握りしめてしまう。
「この指輪を貴方に戻した事には、二つの意味があったのです」
「二つの・・・意味?」

一つは、ファントムハイヴ家当主ならば、持つべきだという事だろうか。
だとしたら、あともう一つの理由は?

「ええ。指輪を棄てたところで、貴方がファントムハイヴ家の当主であるという事実に、変わりはない。
高貴な立場であり、高貴な魂を持つ貴方だからこそ、この指輪を持つべきなのです」
ですから、『この指輪は貴方の指に在る為のもの』と申したでしょう?と話される内容は、ほとんどシエルの予想通りだった。
「じゃあ・・・もう一つは?」
「もう一つは、私の願いです」
「願い?」

(この悪魔の口から、願いという言葉を聞くなんて・・・)
シエルは、どこか滑稽な気分だった。
しかし、理由を話すセバスチャンの顔が、照れくさそうに微笑んでいる事に気付いたので、芽生えていた不安が少しずつ溶けてゆく。
セバスチャンがこんな顔をする時は、執事ではなく、決まって恋人の姿でいる時だから。

シエルにじっと見つめられ、セバスチャンは、その先の答えを求められていると気付いた。
いつかは話そうと思っていた、自分の願いを。
「坊ちゃんは、男が指輪を贈るという意味をご存知ですか?」
「!?・・・特別だって、言いたいのか?」
「ええ、その通りです。指輪なんて、誰にでも贈るものじゃないでしょう?」
(確かに)
指輪と言えば、恋人同士や夫婦の間で贈られるのが一般的だ。
(でも・・・)
「これは、元々僕の指輪だろう?お前の言っている意味では、筋が通らないじゃないか」

シエルに指輪を戻したのは、恋人だから特別に贈った、と言いたいらしい。
けれど、指輪は元からシエルのものなので、プレゼントとして贈ったことにはならない。
(一体どういう意味なんだ?)
いつの間にか不安は消え去り、シエルの頭には、疑問ばかりが膨れ上がっていく。
「一度朽ち果てたものを再生し、貴方に戻す・・・一度死んで蘇った貴方には、その指輪ほど相応しいものはないでしょう?」
「・・・・・・ッ」
数年前の忌まわしい光景が頭の中を過ぎり、シエルはギリリと歯噛みした。

「それに・・・」
顔をしかめているシエルの頬に手を添え、セバスチャンはゆるりと撫でた。
宥めるように滑るその感触に、しかめていた顔の力が緩む。
「あの時の貴方に、特別な意味で別の指輪を贈っていたら、きっと受け取らなかったでしょう?」
「そう・・・かもな」
あの頃は、今よりも素直さがなく、意地を張ってばかりだった。
そんな自分に渡されたのでは、セバスチャンの言う通り、きっと受け取らなかっただろう。

今だからこそ、受け入れられる事実。
戻ってきた指輪に、そんな意味が込められていたなんて、ちっとも分からなかった。

セバスチャンの照れくさそうな顔や、頬を撫でてくれた手の感触を心の中で反芻し、シエルは指輪を愛おしそうに撫でた。
「今の話、そんなに嬉しかったですか?」
「ああ。・・・ずっと、形あるものが欲しかったから」
「・・・と、言いますと?」
初めて聞かされるシエルの本音に、セバスチャンは目を丸くした。
「好きとか愛してるとか、そんな不確かな言葉じゃなくて・・・何か形あるもので、お前の気持ちが欲しかったんだ」

だから、特別な意味を込めて戻されたこの指輪を、とても愛おしく感じるのだ。

「形なら、あるじゃないですか」
「・・・え?」
まるで至極当たり前のように言うので、シエルはポカンとセバスチャンを見上げた。
「貴方と私が、今こうやってここに存在している・・・それが、形ですよ」
「・・・でも」
「最初は主従として契約を結び、今はそれ以上に、恋人として傍にいる・・・それは、形にはなりませんか?
好きと囁くのも、愛していると触れるのも、貴方だけなんです」

(・・・そうか)
答えは、こんなにも近くにあったのだ。
セバスチャンの与えてくれるものばかりに目が行き、セバスチャン自身を見ていなかっただなんて・・・情けなくて笑ってしまう。
(セバスチャンにとって、僕が形ある餌や愛であると共に、僕にとっても、セバスチャンは形ある駒で愛なんだ)

「私の答え、お気に召して頂けましたか?」
「・・・ん」
シエルが寄り添うと、セバスチャンはその頭に手をやり、艶やかな髪を梳くように撫でた。
「それにしても・・・指輪を贈るなんて、まるで・・・」
「プロポーズのようですねぇ」
「ッ、そうだな」
もごもごと言えずにいた自分が馬鹿みたいに思えるほど、セバスチャンは、さらりと言ってのけた。
シエルが一人頬を染めていると、頭を撫でていたセバスチャンの手が、頬へと滑り落ちてきた。
一つ、触れるだけの口付けが落とされる。

「坊ちゃん。この指輪に、貴方の魂に誓います」


どこまでも坊ちゃんのお傍におります

最期まで―――




END


【あとがき】
結婚がテーマなのに、暗めのお話になってしまい、申し訳ないです><
指輪のお話は、いつか書いてみたかったので^^;
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!!
良野りつ
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【2011/05/31 19:11 】 | Gallery | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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